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506 頑張れ‼ 斎藤元彦 兵庫県知事 「罪と罰」

はじめに

今日の教育コラムでは、彼の辞職が近づいていることを踏まえてどのような責任を今現在、斎藤元彦知事が負うことになりかねないかということについて少しお話してみたいと思います。

罪と罰

格差問題という言葉は、今の社会で生まれた言葉のように感じますが歴史的に見ればどの時代にも格差問題はあったのです。
その背景には、経済的な構造の問題や災害や戦争などの問題、階級社会などのような社会のしくみなど様々なものが関係しています。わかりやすい例を出すと格差は、資産などのお金のあるなしに置き換えることができます。
お金がなかなかたまらないというときに、こんな風に考えることがあります。どうして、こんなにも自分は努力しているにも関わらないのに報われないのだろうか。社会が不公平なのではないか。などという思考です。
そんな格差問題が生じさせた出来事を小説の中心に置いたものにドストエフスキーの「罪と罰」という作品があります。

斎藤元彦とラスコーリニコフ

この小説は、世界的な名著ですから多くの人々が読み、何らかの影響を受けていることと思います。小説の中身すべてをお話しすることは長編小説ですしファンの方もいいので私にはできませんが、ラスコーリニコフの置かれた状況と罪について少しさわりのところだけ触れてみたいと思います。ラスコーリニコフは主人公で、貧しい青年です。苦学して名門大学に通っていました。しかし、貧困から学費を滞納します。そして除籍処分になってしまいます。そんな彼の下宿していた近所に金貸しをしている老婆がいました。
この老婆は強欲で家族にもひどい仕打ちをしてこきつかっていました。こうした老婆の行動に生きる価値があるのかを疑問に持った青年は、老婆を亡き者にすれば周りの救われるし、何よりも自分が今一番苦しんでいる金銭的な苦労が解消されると考えるようになります。まさに傲慢な考えが彼を支配していくわけです。
自分のように頑張っている人間は、救われて当然で問題(ラスコーリニコフの場合はお金がない事)さえ解決すれば、自分は優秀な人間なのだから人生を前に進めることができると考えたのです。

傲慢という罪と受けるべき罰

斎藤元彦知事とラスコーリニコフが重なって見えてしまうのは、その傲慢さを感じてしまうからかもしれません。
今後の斎藤知事の進む道は、罰を果たしていくことが多くなるように思います。まずは、再選が出来なければ社会的な立場を失います。そして、公益通報者保護法を逸脱していれば、その責任を問われます。またパレードの問題については背任容疑で告発されています。他にも拙速な懲戒処分や圧力をかけた犯人探しやプライベート情報の意図的な流出により自ら命を奪うことになった故人への民事裁判の可能性もあります。

公務員の職権濫用

そして、私はこれまでの行為をみていると「公務員職権濫用罪」に当たるのではないかとすら感じます。正に傲慢な態度で拙速に懲戒処分を決め、公益通報者保護をしてこなかった一連の組織的な内部違法捜査も含めすべてが、人の権利を行使を妨げるものではないかと思うのです。知事という立場や副知事や幹部という立場を乱用して、公務員としての立場を乱用して個人を特定する様な違法な行為をしたり、無言の圧力をかけて寄付を集めたりするような行為を許せば、私たちは傲慢な政治家や公務員たちの奴隷にならざるを得ません。
元県民局長は、実際に懲戒処分を受けています。しかも結論ありきの拙速な調査がその根拠になっています。また客観的な視点の根拠も法的な根拠も今では賛否両論あるような調査でした。
結果的に命を奪うことになったわけですから、兵庫県の調査は告発者である元西播磨の県民局長さんの幸福を追求する権利を奪ったわけです。これは憲法13条の幸福追求権に当たるわけですが、人はみな幸福に生き続ける権利を有しています。
しかし、結果はどうでしょう。第三者機関の判断も待ってもらえず、ろくな調査もされず、嘘八百、公務員失格と罵られ、誹謗中傷だと当事者たちに一方的に決めつけられ、プライバシーをさらされるという職権の乱用により命まで奪われたのです。
この罪を斎藤元彦知事が認識することはないのかもしれません。自分が正しい、まだや知事をやれると思い込んでいる人間に必要なのは「相手の立場になる」という最も基本的な道徳心なのかもしれません。




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