203 県民の日
はじめに
山梨県では、11月20日を県民の日としています。他県にも県民の日は存在しますが、しない県もあります。私の生まれた長野県では県民の日はなかったように記憶しています。
因みに、他県の県民の日は確認できるもので次のようになります。
北海道(7月17日)、秋田県(8月29日)、福島県(8月21日)、
茨城県(11月13日)、栃木県(6月15日)、群馬県(10月28日)
埼玉県(11月14日)、千葉県(6月15日)、東京都(10月1日)
山梨県(11月20日)、富山県(5月9日)、福井県(2月7日)
静岡県(8月21日)、三重県(4月18日)、和歌山県(11月22日)
愛媛県(2月20日)、鳥取県(9月12日)、鹿児島県(7月14日)
日にちはまちまちですが、実は大きな共通点があります。県民の日の由来は、県が設置されたこと又は新設されたことを記念するという点ですが、このきっかけは明治4年、1871年に行われた行政改革の一つ廃藩置県にあります。今日の教育コラムは、県民の日に因んだお話を少しだけしてみたいと思います。
甲府県から山梨県へ
山梨県の名称は、甲府県でした。その名称が変更されたのは、明治4、1871年11月20日のことです。今から152年前のことです。それまでの甲府県を山梨県と改めたわけですが、山梨県という名称になったのには少し政治的な理由があります。
明治新政府が、廃藩置県を進めていく中で、各県の名称を決める際にある一つの基準に基づいて決定していきました。それが、明治維新の戦いつまり戊辰戦争において、朝廷側についた藩は旧藩名を県名として使用することを許し、敵対する幕府側についた藩については、それまでの名前を捨てさせ、新たにその地域の郡の名称や山川名を県名とするよう方針が出されました。
〇旧藩名を県名とした県
⇒鹿児島県、山口県、高知県、佐賀県など
〇新しくその地域の郡名や山川名を県名とした県
⇒佐倉藩・・・千葉県 小田原藩・・・神奈川県
山梨郡・・・山梨県など
甲斐国は、明治政府誕生に功績がありませんでしたので、旧藩名を用いて件名にすることはできませんでした。そのため、当時の甲斐国の中心であった甲府が属していた、「山梨郡」の山梨の部分を県名としたわけです。
つまり、例外もありますが、明治維新で朝敵だったか、そうではなかったかを見分ける方法として、県名と県庁所在地名が違うところは朝敵だったと見ることもできるわけです。繰り返しになりますが、少しだけ例外もあります。
藩閥政治
明治維新後の新政府では、薩摩・長州・土佐・肥前の4藩、特に薩長の二藩の出身者が中心となり閥をつくって政治を進めていました。こうした偏った政治体制に反政府側が名付けた政治形態を藩閥政治と言います。
藩閥政治に対する反対は、「西南戦争」の後、徐々に高まっていきます。それは、国民が政治に参加する権利を得る運動へとつながっていきます。それが自由民権運動です。
この動きが発生した理由は簡単で、一部の人間だけで何かを行おうとしても、意見が言えない参加できない、存在を認めてもらえないと感じる人が多ければ、不満が積もっていくわけです。
憲法をつくることを求めた、「自由民権運動」と憲法を守ることを求めた大正時代の「護憲運動」は目的は少し違いますが、藩閥政治への批判の中で生じた動きなわけです。この成果は大きく、藩閥政治は次第に衰退していき政党政治へと移行していったのです。
そして今
そして今日においては、政党政治の在り方についても多くの課題を感じている人々が存在しているという状況になっています。
宗教と政治の関係、企業献金の問題、政党政治と利権の問題など、国民が政治に参加できない状況は、見かけ以上に深刻なわけです。私たちは、いくつもの歴史的な課題を乗り越え、民主的な国家の形成を進めてきたわけですが、地方分権、道州制など検討はするが進まない課題が山積しています。明治維新は歴史的な転換点ではありますが、実は反省すべき点が多い近代史の一場面なのです。私たちは、未来に向けて歴史から何を学ぶべきなのでしょうか。県民の日とは、その名前の誕生を記念するという単純なものではなく歴史から未来を学ぶ日なのかもしれません。