【海外レビュー翻訳】坂本慎太郎「幻とのつきあい方」|Pitchforkによるレビュー
アメリカの音楽メディアPitchforkによる、坂本慎太郎のソロデビュー作「幻とのつきあい方」のレビュー。
今回はその翻訳記事です。
坂本慎太郎は2019年にアメリカツアーも行っており、向こうでの評判もなかなか良いようです。
あちらではゆらゆら帝国よりもソロ活動の方が知名度高いっぽいですね。
Pitchforkが今作につけたスコアは7.4点!
まあまあ高評価、といったとこでしょうか。
彼の音楽が海外のリスナーにサウンド面のみで評価されるとなった時、どう受け取られるのかが気になります。
元ネタと思われるアーティストをいくつか挙げてくれてるのはありがたいですね、勉強になります。
今回も意訳、雑訳多いです。予めご了承ください。
坂本慎太郎というアーティストについて理解するには、Todd Rundgrenが参考になるだろう。
Rundgrenと同じく、坂本のキャリアはサイケポップのガレージロックバンドから始まり、スタジオにこもって理想とするポップミュージックの制作に励むようになるのはバンドが解散してからである。
2人が辿った道筋は同じものだ。
しかし、Rundgrenが70年代に遁世的なポップアルバムを数作リリースする以前の、Nazzとしての活動がたった2年で終わったのに対して、坂本は今回のソロデビュー以前に、ゆらゆら帝国を1989年から2010年まで率いてきた。
過去数十年の日本のグループと同様に、母国においてゆらゆら帝国は絶大な人気を誇っていたが、アメリカでの人気はカルト的なものにとどまっていた。
(例外としてDFAレコーズはバンドのアルバムを2枚リイシューしている。)
「幻とのつきあい方」の申し分のないプロダクションは、少数だが熱心なリスナーたちに向けられたもののように感じられる。
(注:Todd Rundgrenの代表作「Something/Anything?」のオープニングトラック。サウンド的にも確かに似たものを感じますね。)
今作において坂本はプロデュースや多くの楽器の演奏を自ら行っているが、その姿はRundgrenが「Something/Anything?」の中ジャケで見せた、ホテルの一室に引きこもった輝かしい神のような姿を思わせる。
坂本が足の親指で卓の音量を調整しながらコンガを録音している様子は容易に想像できるが、今作が持つ雰囲気はどちらかというと、無名のバンドがホテルラウンジの地下で疲れ切った出張中のビジネスマンのために演奏している風景、そして不幸な人々の早朝に寄り添うサウンドトラック、そうしたものを想起させる。
彼は情熱的なフロントマンというよりかは、和製Bryan Ferry的な存在で、RundgrenやSteely Dan、そしてJuan Garcia Esquivelの「Space-Age Bachelor Pad」のようなポップ・ミュージックの形式主義を思わせる曲を、聞き手と坂本の間に意図的に距離を置いた生気のない歌詞とともに歌う。
(注:本文で名前が挙がったアーティストの、再生回数多い曲を適当に選びました。サックスソロや女性コーラス、パーカッションの使い方などは、坂本氏との共通点と言えなくも無い?)
だが、さらに深堀りすると、地域のミュージシャンたちが世界的な規模で具体的に影響を及ぼすようになった、過去のポップ・ミュージックのムーブメントの名残が感じられるだろう。
それは60年代ブラジルのトロピカリアや、坂本が生まれ育った東京の、90年代中頃の渋谷系だ。
今作において一つ素晴らしい点は、そういったムーブメントとの関りを持ちつつも、意図的にそれらに無関心であるところだ、まるでジャケットで坂本と共にポーズをとるマネキンのように。
(あるいは、ゆらゆら帝国のアーティスト写真で真ん中に写っていた坂本自身のように。)
無関心だが、潔癖というわけでもない。
確かに、多くの読者はこの違いをプレーンかダイエット・プレーンのどちらを選ぶかくらいにしか考えていないかもしれないが、よく考えれば、これがわずかな違いにこだわるナルシシズム以上のものだと分かるだろう。
今作は自意識だけでなく、(注:Herbie Hancockの)「Rockit」のMVに出てくる家で録音されたようなユーモアも感じられる。
(注:Herbie Hancockの「Rockit」のMV。言わんとすることは分からなくもない…。)
私個人としては、「仮面をはずさないで」にて(注:Grateful Deadの)「Shakedown Street」風のギターが聞こえた瞬間に惹きつけられ、コンガや坂本のメロディアスなベースライン、それに続く金切り声のようなサックスソロでこの曲と恋に落ちた。
「傷とともに踊る」の二度目のブレイクでのフルートか、あるいは「ずぼんとぼう」で水槽のエアポンプ風のSEが聞こえた時、もしくは「幽霊の気分で」のゲッツ/ジルベルト風の揺らぎが五感を刺激する時、今作の意図的な人工物感がBeckのそれよりもむしろ、S1m0ne(注:2002年公開の映画)のそれに近いことがわかってくる。
もしかすると、これこそ彼が新しいスキルを磨きあげる方法なのかもしれない。
不気味の谷にひっくり返ることなく、幻とつきあうこと。
(注:Grateful Deadの「Shakedown Street」。個人的には「仮面をはずさないで」よりも、2nd収録の「義務のように」に似てると感じました。)
(注:「S1m0ne」の日本語予告。アル・パチーノ出てるのか…。)