「死を遠ざけている医療」
※月1〜2回、不定期でコラムを投稿しております。
※こちらのコラムは私の主観です。全医療者や医師の意見として受け取らないようにご注意願います。
こんにちは。
全女性にとっての心の拠り所を目指す産婦人科医。
どうも、さいこうです。
今回は、
基本的に「良いもの」と捉えられているであろう
“新しい治療法”について少し違う観点から考えてみました!
それでは、どうぞ。
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近年の医学の進歩は目覚ましく、
不治の病と呼ばれていた多くの病気の治療法が開発・発見されている。
これにより、本来亡くなるはずだった人が生き続け、人はより長く生きることができるようになり、一般的には素晴らしいことだと考えられている。
今回は、あえて
この新しい治療法というのが
果たして本当に人々に幸せや希望だけを運んできているのか、について考えてみたい。
※一医療者として治療そのものを否定する気は毛頭ないことを最初に断っておく
新しい治療法とは、
それまで終わりを迎えるはずであった生命を、
長ければ数十年以上も延ばすことができる医療技術である。
これは何とも喜ばしいことである一方、
ある種の迷いを生じさせていることもまた事実である。
その迷いとは、
死への迷いである。
具体的にいうと、
心臓の病気で、余命があと一年だと宣告された患者がいるとする。
臓器移植という選択肢がない世界では、
患者はその事実を受け入れるしかなく、
ショックはあれど、
死というものと向き合い、
それを乗り越えて、
残りの時間をどのように過ごすべきなのか、
を考えるだろう。
ところが、臓器移植という治療法を知った患者は
「もしかしたら、もっと生きられるかもしれない」
と考え、
生死の狭間で迷うことになる。
私も含め、多くの人は死を恐れている。
※人がなぜ死を恐れるのか。死とは、生とはそもそも何なのか。というテーマに関してはまた今度話していきたいので今回は割愛する
そのため、死を直視せずに新しい治療法(生)という希望に目線を向けたくなるものである。
これは言い方を変えると、
天が与えた
“死と向き合い、死について考える機会” を奪い、
生死への迷いを与えているのだといえる。
このように医療とは、
良くも悪くも
“患者を死から遠ざけようとしている行為である”ことを忘れてはならない。
死は、いくら遠ざけようと必ずやってくる。
それと向き合わずして、果たして本当の幸せはあるのだろうか。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
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