完全同居している私と義母との距離感
結婚して25年たつ私は、結婚すると同時に義両親との同居が始まった。
結婚前に伺ったときには「都会から嫁さんが来てくれるのよ。キツイことを言うたらアカンよ」と義父にとどめをさしてくれた義母は、結婚当初から、逐一、私の横へ寄ってきて、水回りのこと、ほうきの持ち方から、洗濯物の干し方などに口を出してきた。
ここには書けないくらい細かいことまで、言ってきた。
それでもかわす方法を知らなかった私は、姑の言葉を真っ向に受けたうえに、「嫁たるものは姑に口答えをしてはいけない」とばかりに思っていて、嫁いで数年間はひと言も口答えしなかった。
そのうち、言い足りなかったのか、聞こえるか聞こえないかの微妙な声の大きさでゴニョゴニョゴニョと言ってくるのが日課になってきたので、「言いたいことあるんだったら大きな声で言ってくれません?その声の大きさがストレスなんです!」とはじめて、言い返した。
生活に多少慣れてきて余裕がでてきた私が、よほどきっちりしているだろうと義母を見ていて、そうではないと分かってきたタイミングでキレたのだ。
そこで、義母は少しはひるんだけど、私のストレスは収まらなかった。
とうとう精神的に追い詰められた私は、主人に助けを乞うたが、あてにならなかった。(今となっては「オレにはどうすることもできない」は分かるんだけどね・・・他人を変えることはできないし。)
私はひとり、私なりの手立てを考えざるを得なかった。
私が考えたたったひとつの手段が、家のなかで、義母と距離を保つことだった。
普段は喋らない上に、かと言って二人きりになると、嫌なことを言ってくる義母と、家の中で距離を置くことくらいしか解決方法はないと思ったのだ。
ありとあらゆる場所で、義母と時間が重ならないように工夫することは、完全同居という環境柄、とても難しかったが、多少ストレスは減った。
それでもなお、解消されないことは、私がヒトツヒトツ賢くなって解消していった(と思っている)。
もちろん、途中、義母との距離を縮めようと試みた時期もある。
わたしがまだ幼かった息子を連れ、リビングでテレビを見る義母へ幾度か話しかけに行ったが、会話はちぐはぐで疲れた。
今思えば、実母と相性が悪かったように、義母とも相性が悪かっただけのことだと思うが、さすがに疲れて、自然に任せようと割り切った。
だけど身を持たせるため、特に育児のことは口を挟まれないように、自分の考えを述べるようにして、「これだけは」ということは願い出ることにした。
仕事はもちろんのこと、やるべきことはきちんとやって、日常生活において自分のスタイルを保ちたい部分は強引に貫き通し、生活を自分のペースにもっていくことによって、私が強くなったお陰だろうか、義母はそんなに何も言わなくなった。その代わり、雑談もない。
そんな折、主人を交えて、3人で話す機会があった。
話題の内容は忘れたが、そのなかで、義母が言ったことを覚えている。
わしは、kakiemonさんに嫌われているから・・・
義父は、一度、義母も主人もいるところで、「お前は喋らないヨメだ」とののしったことがあるが、かと言って、義父母からざっくばらんに話しかけてくれたことはない。
義父母に好かれようと、家事も仕事も一生懸命したが、何一つ褒めてくれたことも認めてくれたこともなかった。出てくる言葉は逆のことばかりだった。
精神的に追い込まれた私は、褒められたり認められたりするために頑張るのは違うな・・・と気づけて良かったけれど。
最近になって、多少、義父との関係は多少変わってきているけど、義母は今でも別に喋ろうとしない。
そんな私の心の内を知っているからだろうか。
義母が喋ってこないのは・・・。
かといって、私は私なりのやり方で、義母と距離を置くようになってから、今更ながら距離を縮めようとも思わない。
はねつけようとも思わないが、仮に縮めようと思っても、心が受け付けない。
若いころ、がむしゃらに好かれようと、身体を張って頑張っていたのを、「言葉」ではねつけたのは、義母なのだから。
いま、図々しいくらいの図太い神経を持っているかもしれない私が、同じ言葉を投げかけられても、それほど心は痛まないかもしれないけど、あのときの私は、まだ若くてストレートにしか物事を考えることができなくて、ある意味純粋だっただけに、背負った傷は大きい。
義母が放った言葉の裏は、義母にとっては「自分は嫁に嫌われている可哀そうな姑」なのだろうけど、そうなるに至った私の心情だってあるのだ。
それに気づかない義母って・・・。
誰かに似てる・・・。
そう・・・実母だ・・・。
気づいたと同時に、改めて「言葉」の重さは計り知れないと思った。
義母にしろ実母にしろ、あちらから距離を縮めようとしてくるのならば、こちらも努力しないこともないし、無視をしようだなんて思っていないけど、今のところどちらも音沙汰なしの状態だ。
改めて「言葉」の重さは計り知れないと感じた私は、日常で、また、育児をしていくうえで、より一層「言葉」を大事にしてきたつもりだけど、それを機に「言葉」について考えることが多くなった。
そして、育児も集大成に入るころ、ヒトツのことを思いたった。
<<つづく>>