やっぱし感情は、表に出したほうがよいのかな。
わたしは、幼い頃から、「わぁ!(すごい!)」だとか、「キャー!(素敵!)」だとか、「あーっ!(うれしっ!)」だとか、感情を表情やことばに出すのが苦手。
おばさんになって、それこそ恥ずかしげもなくなって、人と会話することはそんなに抵抗はなくなったが、特に「良いこと」に関しては、感情を表情やことばに出すことは、恥ずかしい気がするし、わざとらしく感じることもあるし、ぶりっ子にさえ思えてしまう。
昔から、感嘆詞丸出しで次からつぎへと言葉の出てくる人は、親に可愛がられて天真爛漫に育ったんだろうなと、勝手な想像をする。
女性特有の、キャピキャピという雰囲気も苦手。
まだ義父が畑に出ていたころ、私と同世代かちょっと上の年代の女性のアルバイトさんたちが、義父のことを、「社長」「社長」と連呼し、キャピキャピの雰囲気で、義父と対話し、時には腕までからませているのを、わたしは冷めた目で見ていた。
彼女たちの甲高い声が、私たちが仕事をしている柿畑まで聞こえていた。
義父は他にも行くところがたくさんあって、喋る女性との交流も多いから、私なんて「シャベラナイ嫁」とまで言われた。
それでも、義父との距離感が、嫁いできた当時より、ほんの少し縮まったのは、義父とのコミュニケーションが、ほんの少し増えたからだろうか。
誰かと喋るのが生きがいみたいな義父は、まるで実父とタイプがちがう。
何かの拍子に会話がはじまると、少し話しが膨らむ。
そこが、義母ともちがうところ。
それに、ところどころで、ツボを押さえる。
たとえば、町へ繰り出すときには、「たこ焼き」やら「巻きずし」やら手土産を買って帰り、テーブルにそれとなしに置いておく。
義母もそれにやられるようで、「昔から、何かしら買ってきてくれるのよ」と、畑でそんなに働かないことなんて帳消しになってしまうみたいに、昔、嬉しそうに話していた。
ある意味、義父は器用なんだろうな・・・と思う。
だけど、そんな義父を私は、冷めた目で見ながら、お腹がすいているタイミングだと、盗み食いするようにパクパクいただく。
「もったいない・・・」と、常日頃、思っているのに。
「毎回毎回、同じものを・・・
食べるか食べないかも分からないのに・・・」だなんて。
実際、誰も手をつけず、長いあいだ放置されていることもあるし。
そんな義父がこの間、カットスイカを買ってきてくれた。
義父は、傍にわたしがいると、いの一番に私に話しかけてくれる。
kakiemon すいか 買ってきたぞ。
と、今回もたまたま近くにいた私に話しかけてくれた。
義父さん・・・わたし、もう歯磨いたんやけど・・・(汗)が本音。
でも、言ってみた。
わぁ!ありがとう!はつもん(初物)やん!
私の分、取り分けて冷蔵庫に入れてもいい?
わたしにとって、必死の返事だった。
いつもなら、「ありがとう」とお礼だけは言うけど、それだけ。
それは、十分キャピキャピの雰囲気が含まれている返答だった。
元来の私は、そんな可愛らしいことは言わない。
おぉー!いいぞ!いいぞ!食ったらええぞ!
嬉しそうに義父は言う。
次の日、冷蔵庫に冷やしておいたスイカを、3キレ頬張った。
冷たくて、スッキリした甘さが、口いっぱいに広がる。
わぁ!美味しぃ!
1年ぶりのスイカが、美味しくないはずがない。
とても美味しかった。
そこへ、義父が起きてきた。
思い切って、義父に言ってみた。
義父さん、昨日買って来てくれたスイカ、いまよばれたんよ。
美味しかったわ。ありがとう。
そうか。また、買ってきたるぞ。
良いことばには、良いコミュニケーションが生まれた気がした朝のこと。
義父と、普段、そうそう会話をするわけではない。
だけども、昔にくらべると、投げかけられた言葉に対して、膨らみをもたせて返答できるようになったので、コミュニケーションも生まれる。
実父が亡くなったとき、無口な父と「もっと喋っておけばよかった」と後悔したが、義父がいつ亡くなっても、そういう後悔はしないと思う。
それほども義父とコミュニケーションがあるわけでもないし、普段会話するわけでもないけど、それくらい、実父とはコミュニケーションがなかった。
今回の何てことない会話も、後々、「想い出」として残る気がする。
今回、書きながら気付いたこと。
たぶん、可愛らしいことを言えないのは、幼い頃から、親を相手に「可愛らしいこと」を言ってこなかったから。
そういう雰囲気でもなかったしね。
幼い頃から、天真爛漫に、親の前でも振舞えたのなら、違和感も感じなかっただろうし、もっとキャピキャピした性格だったかもしれない。
だけど、そんなこと、中年のおばちゃんが言っても仕方がないから、せめて、可愛らしいおばちゃんになろうかしらね。
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