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日常生活と認知症の関係

私の一日は、午前5時の起床からはじまる。

起きると着替えてから、台所で一杯の白湯を飲む。

白湯を飲んでから、お風呂の浴槽洗いに向かい、お風呂の水を入れながら、洗濯機を回す。

つぎは、トーストの用意をして、コーヒーを飲みながら新聞を読みながら少し一息。

一息ついたら、朝食の酢キャベツの用意。

用意が終わるころに、ちょうどお風呂の水がいっぱいに。

お風呂の水がいっぱいになる手前で、かかと上げの運動。

お風呂の水をとめて、お部屋で朝食へ。

朝食の前の筋トレルーティーンは、全部で8種類。

朝食を終えると、ゴミ捨てして、洗濯物を干す。

干し終わったころに、ちょうど息子の起きる時間。

一応、部屋の外から声をかけて、自分の部屋で仕事前のくつろぎタイム。

アルバイトさんが来ていないときは、6時50分から、アルバイトさんが来てくれているときには、7時35分から、日焼け止めを塗ったり、自分が飲むお茶を用意したりして、仕事へGo!


ここまでが、およその朝のルーティーン


お昼は、帰ってくるとすぐに洗濯物を取り込む。

アルバイトさんが来ていないときだと、仕事を早めに切り上げ、11時半からお昼ご飯に。(早くに済ますと義母と重ならないハズ)
アルバイトさんが来ているときだと、12時からお昼ご飯に。

メニューはいつも決まってる(作る必要なしで、お手軽に)

アルバイトさんが来てくれているときには、12時35分に仕事に出る用意をはじめる。(12時40分に畑に出向き、1時スタート)


夕方5時に帰ってくると、お風呂を焚きはじめると同時に夕食作り。
食事作りが終わっていると同時に、調理に使ったものも同時に片付ける。

5時半には食べ終わり、食器洗いをし、一日の終わりに水回りのチョコっと掃除。

5時50分にお風呂場へ行き、歯磨き。
6時に入浴。
入浴は少なくとも10分。
100秒単位で頭皮マッサージ、ツボ押しなど6種類のルーティンを。

6時半には出てきて、7時半までパソコンタイム(どんなに名残惜しくても、よりよい睡眠のために、7時半には、必ず終了する。)

8時半には電気を消して、9時にはテレビを消して寝る!(早い?)

日常で決めていること
※それぞれの置き場所は決めておく。
 トイレのチョコっと掃除週に2回ほど。
 ポットやトイレットペーパーの補充などは気付いたそのときにする。
   炊飯器のご飯のなくなるタイミングもバラバラなので、気を付ける。
 バスマットを洗うタイミングに注意。

           その他、いろいろと決めておくことが多いと思う。


べつに、私の性格がきちんとしているわけではない。

ほこりが多少たまっていも平気なところは、放っておくし、どちらかというとズボラ・・・だ。

だけど、ある程度、「時間」で動くのは、嫁いで来る前からの習慣で、時間がくると「あ!」とか、1日のなかで何度かこなすべきルーティンがあると「つぎは・・・」と、「考える」時間が訪れてくる。


アホはアホなりに、頭(脳)を使っていると、ちょっとは賢くなるかも?!


それも昔思い立って、なるべく頭(脳)を使おうと心がけてきた。

賢くなったかどうかは定かではないが、「時間」で動くところがあるので、何かしら考えている気がする。



対する同居の義母は、「時間」で動くことはない。

それは、私が嫁いでくるまえからの、生活スタイルのようだ。

義父は特に忙しい時以外は、義母と主人に畑を任せていたから、畑が忙しかったのかもしれない。

だけど、主人が20代、義母が40代のときに亡くなった、主人の曾祖母(義母の義祖母)は、義母が畑にいると機嫌が良かったという。

基本、家のことは主人の曾祖母がしていたみたいだ。

義母は、朝になると畑に行き、夕方になると帰ってくるのが日常になっていたようで、主人の曾祖母が亡くなっても、大きく日常のスタイルを変えなかったと推測する。

成人した子供との親子三人暮らし。

義父は外での食事が多い。

食事をそうそう作る必要もなくて、主人の曾祖母がしていた食事作りを、「自分がしなきゃ」と思うこともなかったのだろう。

炊飯器のご飯がいつの間にか、なくなっていても焦ることもない。

おかずを作る時間も、今もマチマチ。

薪風呂は焚けていたり焚けていなかったりで、主人が時々していたよう。

母屋の上がり框のところや、脱衣所はモノであふれていたので、100均の入れ物を買ってきてそれなりに整理したのは私。

頂き物が入っていた空の紙袋や、スーパーのビニール袋、空瓶やタッパなどは、あちらこちらに散々している。


そんな義母が、先日、二度目の運転免許証の再発行へ向かった。

一度目から、そう日数がたっていない。

今度は、運転免許証が入った財布が入ったかばんごと、なくなったという。

「誰かが持っていったんじゃないか」とまで言い出す始末。


「きちんと置く場所を、決めておかないから」

主人にたしなめられる。


きちんとしないから・・・・
いつもいい加減だから・・・・

口にはしないけど、いろんな憶測が広がる。

だけども、今までできていたことが出来なくなっていくのが、「認知症」だとすると、今までは、運転免許証をなくすことはなかったから・・・。

もしかして、「認知症」になっても、病院に行かないかぎり、分からないものかもしれない。

だけど、私が嫁いできたときから、当時還暦前だった義母は、「そんな感じ」だったから、なんとも思わなかった。


ひと通り自分のことは出来ていると、分からないものかもしれない。

それに、同居する人間が多いほど刺激もあって、埋もれてしまうのかもしれない。


わたしも、どれだけ「決めごと」があっても、「ルーティン」があっても、それがヒトツヒトツこなせなくなるってことか・・・。


だけど、「ご飯が炊けなくなった」「薪が焚けなくなった」と発見は早いのかもしれない。

いくら「脳」を使っていても、「認知症」になるときにはなるのか・・・。

「認知症予防」も少し期待していたのに・・・。


義母はたびたび姉妹に囲まれて会話をすることもあるし、近所には同世代の仲間がいる。


認知症の予防には、人との「会話」が必要だとかいうけれど・・・。


私の方が、その機会に恵まれない。

芸能人の名前が出てこなかったり、今やろうとしていたことを忘れていたり、どうも「アレ」が多くなった。

50歳という年齢を考えても、ヤバいのは私かもしれない。


86歳という年齢を考えても何がおこってもおかしくない年齢で、自分のことは自分でしてくれるだけ、感謝しなければならないのかもしれない。

90歳の義父も、お蔭さまで「介護」という域には達していない。
達していないどころか、達しようともしていない。
元気な90歳だ。


だけど、義母方の祖母は、さいご、財布がなくなったとき、嫁を疑ったという。

それがおこらないことだけを、願うばかりだ。

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