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結婚生活で立ちはだかった全てのことは、『釈迦の化身』となり、私を変えてくれた。(後編)

結婚生活数年後、主人との関係がいよいよ危なくなって、自分を省みるべく、主人の立場にたって、夫婦関係を劣悪にした一番の原因を考えると、私が義母のことを愚痴ることだった。

当時の主人は、自分の親のことを言われることが嫌だというよりも、解決策がないことを、そう自分に何度となしに言われてもと、どこか他人事だった。

義母は、全てをマイルールで押し通す。
人の都合を考えない義母に、年をとった主人も今となってはうんざりしているようだが、当時は、それもその人の性格であって、治るわけがないというのが、主人のスタンスで、自分の母親の性格を知り尽くしている主人にとっては、それは「日常」のことで何てことないというふうで、私の立場にたって労をねぎらってくれることもなかった。

義母は、人が用事をしようものなら、寄ってきて、毎回のように口出しをしてきたり(何なら、何かしらを言おうと思って、常に横で待ち構えていた)、本来はそこまで几帳面ではないし、トイレットペーパーやポットの湯の補充、ゴミ捨てもしないのに、隣りで勿体つけて時には大げさに掃除を始めたりするし、動かしてほしくないものを動かしてみたり、人が用事をした後からやり直したり、手を加えてみたりする。

いまは、私が随分と強くなって、口出ししてくることはないし、やり直しされても気にしないし、動かされたら私が使いやすいように元通り直すので、構わないのだが、当時はすべてがストレスだった。

私がまだ若くて、純で無垢だったということもある。


他サイトの某悩み相談室で「完全同居が上手くいかない」との悩みの、答えとして必ず挙がっている、「完全同居なら、夫があいだに立って、嫁姑のあいだをとり持つのが当たり前」「嫁姑がうまくいかないのなら、自分たちだけで別世帯を設ければいいじゃない」「実家に帰るべきよ」のレベルではない。

その選択肢はないのだから。

だけども、私が義母のことを愚痴ると、喧嘩に発展するから、それをどうにかしないと。
主人と私を隔てる、いちばんの「塊」はそこ!


義母に変わってほしい・・・。


そればかりを願っていた私だったが、それでは埒が明かないので、心境としては泣きべそかきながら、解決策を考えた。


そうか!家のなかでも、義母と距離感を保てばいいんだ!


はじめて、思いついたのを強烈に覚えている。

解決策がないと思っていた、その答えを思いついた嬉しさを忘れられない。

といえども、その後の結婚生活で、嫁姑問題は、一筋縄ではいかなかった。

だけども、義母がこうくれば私はこう対処するというように、柔軟に対応する力を身に着け、長い事かかって、そのうち義母の行動の捉え方が変わり、存在のあり方を考えるようにまでなった。


一方で、結婚生活で立ちはだかる問題は、その他にもたくさんあった。

どれも、解決方法はないと思い込んで、悲しみに暮れたことばかりだった。

だけども、難題を具体化して、解決策を練ることで、大抵のことは、クリアできた。

例えば、主人のこと。

多少短気なところがあって、いつ怒り出すか分からない。
私の申し出だなんてヒトツも聞いてくれない。

そうか!主人のトリセツを作ればいいんだ!
主人を観察し、どのタイミングで怒りだすのか、どうすればお願いを聞いてくれるのか。ついでに、どう持ち出せば機嫌がよいのか。言い方やタイミングも大事よね。
雰囲気が険悪になればその場を離れるようにし、車内で空気感が悪くなると、会話を180度変えるといいのね。

分かったことがたくさんあった。

考えてみれば、出会って半年、結婚生活数年で相手のことを全て分かっているワケないわ。(今でも分かっていないことも、あるかもしれないけど)

私が知らない部分も、たくさん持ち合わせているのかもしれない。

そう思って、「主人」という「生態」を観察。
ずいぶんと、スムーズに夫婦関係を進めていきやすくなった。
まだ、地雷を踏むこともあるけれど。


例えば、仕事と家事を両立させること。

仕事と家事を器用に両立させる人に憧れるけど、不器用な私は、そこに達するまでそう簡単にいかなかった。

そうか!大事なことは5時までみっちり働くのではなく、一時間早く切り上げていいんだ!(365日働くことが大事なのではなく、効率よく働くことが大事!)
忙しい時には、朝のうちに、夕ご飯の準備をすることも覚えた。
休めるタイミングを見計らって、休むようにしたりもした。


例えば、しつこく隣りで義母がシンクの汚れを指摘してくること。

そうか!義母に指摘される前にキレイを保てばいいんだ!

一日の終わり以外にも、隙間時間があれば、シートで汚れをふき取る習慣が身につき、常にそこそこキレイが保たれ、それでも指摘してくるなら気にしないと決めた。(台所以外にもシートやメラニンスポンジで隙間時間に、チョコチョコちょいっと掃除したりするけど、こんなにマメな性格になれると思っていなかった!)


例えば、働く割には、対価となるお金がもらえないこと。

物欲がないといえども、例えわずかでもお金が貯まっていくと、また仕事に対するやりがいがちがう。だけど・・・。

そうか!「農業者年金」をかけてもらおう!(これならイヤだと言われない)
めったにないけど、買い物などで私がお金が触れるときには、500円玉貯金をしよう。
そして、最近では、年度末に「お疲れ様」の対価を、わずかながら頂いている。(わずかならOKでしょう。)
それも、私から申し出たことだけど、これで精神的には十分安定だ。


例えば、せっかく作ったおかずを義父が食べないことに、はらわた煮えくりかえるくらいに腹が立ったこともあった。

義母が、おかずを毎日決まった時間に作るという習慣がなかったせいか、義父はすっかり外食の味に慣れていて(何ならしばらく行かないと、どこかの居酒屋のママから電話が入るくらいに)私が作るおかずを時々残した。

忙しい最中、作ったおかずを食べないなんて!と、一度義父といがみ合ったこともあったけど、決めた!

丸一日テーブルに置きっぱなしのおかずは、処分する!(とても良心がいたみ、罪悪感があったけど、精神が安定するためには、この選択肢以外になかった)


例えば、仕事が好きになれないこと。

体力勝負の仕事だけあって、憧れとは全く違った感覚に戸惑ったのは、もうだいぶ昔のことだけど。

そうか!「運動」と思えばいいんだ!ダイエットにもなるかも!
こんなに健康的な生活は、まぁないでしょう!
斜面で歩きにくいところは、筋トレにもなるものね。


あるときは、アイデアマンになり、あるときは、捉え方を変え、あるときは、柔軟にモノゴトを動かした。

もともと、頑固で融通が利かない、生真面目な私にとって、大冒険だった。

だけど、私は思う。

その時の思考回路は、それまで使ったことがなかった。初めての感覚だった。

それも、実は育てられる過程で、育まれる面が大きいのではないかと思った。

小学生、中学生のころから、クラスで目立つ積極的な子は、突発的に自分の思ったように行動したり、他の子どもが思いつかないようなことを、ひらめいたりして周囲を驚かせる。

そういう子は、家庭でも自分の意思を尊重してもらって、自由に発想できる能力を持ち合わせている。

幼い頃から、自然と身に付けながら大人になっていけると、その後の人生も歩みやすいのではと。

私は、結婚生活で、その思考回路を培ったけど、人生の途中であきらめていたなと改めて思い知った。

何をどう考え、伝えたところで、ぜんぶ母に否定されると察した私は、人生の途中で考えることを諦めていた。

目の前の常識範囲内の、当たり障りがなくて、頭を使わなくてよい最低限のことだけをやっていた。

何を言っても通じることはないので、途中で自分の思ったことを口に出すのも諦め、消極的な子供として育った。

母が私に下した判断がすべてと信じて、外の世界でもそう積極的になれずに、生きづらさを感じたこともあった。


だけど、見てごらんよ!

苦悩の連続だったから、発想する自由を手にすることができ、アイデアマンだなんて、私からは随分かけ離れたところに、存在するものだと思っていたけれど、アイデアマンにもなれ、柔軟な考えなしでは進めなかったから、グレーの部分も持ち合わせることができるまでに成長した。

昔は、主人に「お前のこたえは、『黒か白』しかなくて『グレー』の部分がない」とよく言われたものだ。
主人も頑固だけど、私はそれを上回るくらい、頑固だったと思う。
自然と、狭い視野でしか、物事を考えることができなくなっていた。


もし、いま、壁にぶち当たっている方がいらしたら、ぜひ、チャレンジしてみてほしい。

アイデアマンになることを!

成育環境で、自由に発想し、考えることが許されなかった人は、特に考え方に伸びしろがあるのかもしれません。

ただ単に、「答えがない」と思い込んでいるだけのことかもしれません。

あえて「アイデア」を発想してみよう!のスタンスで考えてみると、とんでもない「アイデア」が出てくるのかもしれません。


結婚生活で立ちはだかった全てのことは、「釈迦の化身」となり、私に自由に発想すること、広い視野を持って物事を考えること、積極的に生きることを教えてくれた。


もし、初めから終わりまで「順風満帆」だったら、それもなかっただろうし、私の祖母が心配した「サラリーマン家庭」と「農家」ほどのギャップがなかったら、ここまで自分は変われなかったのかもしれない。


ちなみに、結婚生活を振り返って「わたし、だいぶ頭使ってここまでやってきたでな?だいぶ、賢くなったよな?」と言うと、主人は、「そうや!賢いヨメを貰って幸せや!」とニヤリとするが、その主人も私に引き上げられるようにして、すこし頭を使うようになった。
夫婦は「合わせ鏡」というけれど、その一端はあると思う。

以上、ららみぃたんさんが企画された『企画第2弾・釈迦の化身』に寄せて、記事を書かせていただきました。
結婚生活を振り返り、大事なことを改めて思い出させて頂く機会を与えていただき、感謝しています。ありがとうございました。

長文のこの記事を読んでくださった方へも、ありがとうございました。


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