茶粥だけは食べてくれた義父
数年前、義母が初期の大腸がんの手術をした。
その時以来、消化の良いものしか食べられなくなった義母に、主人が自分のものと義父のものを自分で食事を用意するよう掛け合ってくれた。
畑仕事ももうしないと言うので、家事らしい家事をする習慣がない義母のことを心配して、認知症を予防するのに適している料理をしてもらえたら、自分たちの食事を用意するので精一杯の私も助かることもあって、主人に私が、料理をすることの意義を伝えてのことだ。
1日のうち家族全員の分を用意するのは、夕食のみだけだったので、偉そうなことは言えないけど、嫁いできてすぐに、食事を用意するのが私の役割となっていたのは20年ほど。
最初にぶち当たった壁だ。
それまで、料理らしい料理をしたことがなかったのだ。
最初は、買い込んだ数冊の料理本を見ながら悪戦苦闘。
料理本を見てメニューを決めて、買い出しをするという過程も大変だった。
多分「義両親と同居」という負荷がなければ、もう少し肩の力を抜いて取り組めただろう料理がものすごく責任重大に感じて、不安に感じ泣いたこともある。
だけど、主人にとってはどこ吹く風で、「今のまま適当に作ればいいんだよ」と軽く流された。
誰に助けを求めることができない私は、とりあえず、「煮物の日」「魚の日」「肉の日」「野菜の日」などルーティンを作ってみたりして、せっせと毎日夕食を準備した。
私にとっては多大なる努力でストレスだった。
作る人の失礼のないよう出された食事は好き嫌いなく食べるというのが母の教えで、義両親も食べてくれて当たり前だと思っていた。
ところが、義母はたいていのものは食べてくれたが、義父は好き嫌いが多い。私がせっかく作ったものを残すことが多かった。
「人がせっかく一生懸命作るのに、これだけ毎回残すのは失礼じゃないですか?」
最初に舅にたてついた言葉かもしれない。意を決して言った私に舅は何と言ったか忘れたがその後も変わらなかった。
私のストレスが最高潮に達しそうだったので、私はおかずが次の日もテーブルから消えないときは捨てることにした。
もちろん食べ物を捨てることで、良心は傷んだけど、それくらい柔軟に考えないと精神状態がもたなかったのだ。
舅が私が嫁いでくる随分前から、行きつけのスナックだか居酒屋のママさんが作る料理で胃を満たしてきたいきさつから考えると、料理を商売にしている人に舌を慣らされた人が、素人の作る料理で満足ができるわけがない。とやっと理解できたのは、嫁いできて10年ほどたってからだ。
そもそも世代が違うし、私の作るものが口に合わなかったのがいちばんだろうけど、今では年をとったこともあり大人しく義母の用意するものを食べているが、もともと家で食べる習慣がなかったようだ。
今でも自分の好きなものを買ってきては腹を満たし、人の作るものを食べないこともある。
そんな義父のリクエストで、幾度か茶粥を頼まれて、作ったことがある。
単なる「茶粥」されど「茶粥」。
いちばん初めに頼まれたときは、だいたいイメージはわかったけど、作ったことがなくて、茶粥の専用のお茶の葉が入ったパッケージに書かれている、「作り方」を熟読して何とか作った。
幾度か作った「茶粥」を義父は「おいしい」と言って平らげてくれた。
「茶粥」だけは、残さず平らげてくれた。
義父の平らげる様子をみて、実の父には「お粥でさえ」作ってあげたことがなかったな・・・とふと思った。
新婚時代から料理をすることを課せられたことは負担だったけど、それなりに数をこなしていくうちに、また、ネットを上手に利用することも覚えたこともあって、いまではチャッチャッと手抜き料理を、作れるようになったけど、料理は「頭をつかうミッション」だなと、まだまだ慣れない頃感じた。
私が嫁いでくるまでのあいだ、農作業が忙しいこともあって料理がワンパターン化したり、作れないこともあったと聞いたが、義母は今、自分の夫のために愛情込めて毎日パターンの違うものをせっせと作っている。(時々はわたしのまねをしたり、アレンジしたりして、84歳の彼女なりに工夫しているようだ。)
主人が20代までは、農作業をする義母に代わり、主人の曾祖母がいて、食事を準備したというから、時間にゆとりができたいま、自分の夫のために食事を用意することが毎日のルーティンになっているのは、義母が畑仕事を引退してからのことではないかと思う。
自分のやるべきこととして受け入れてくれているみたいなので、このままお願いしようと思う。認知症予防にはもってこいだと言うし。
娘には「母ちゃんは料理が出来なくて困ったんだから、時々は自炊しなさいよ」と言い聞かせているけど、どうかな。