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不便を知ると、ありがたみが感じられる、又、その逆もありき。

先日、仕事が順調よく進んだので、午前中の仕事を30分早く切り上げることにした。

アルバイトさんが来ていないときは、時間に融通がきくので、うちではよくあることだ。

お昼ご飯には、まだ早いが、お昼ちょうどの時間に台所へ行くと、義母とぶつかるのはよくある話なので、「しめた」とばかりに、早々と台所へ向かうと、運の悪いことに義母がいた。


狭苦しい場所で、時にはぶつからないように、身体をよけ、コセコセと動くのは嫌だし、何より、そんな至近距離で義母でなくとも、人がいるとゾワゾワするわがままな私は、その時間をよけなければならない。


ま、お昼にはちょっと早いし、仕方がない。


そういう時は、何かしらをして時間を潰すようにしているが、先に「お昼のパソコンタイム」を先にもってくることにした。


30分後・・・。


「何がなんでも・・・」と、台所へ行くと、まだおるやん!


義母は、リビングのテレビの部屋で食事をするが、珍しく義父が居て、ご飯をたべているせいか、まだ居た。


早くどいて!


発狂して怒号を浴びせたい心境にかられながら、グッとおさえ、(多分、すんごい怖い顔をしながら)そそくさとお昼の用意をして、台所をあとにした。

ちなみに、食べるものはいつも同じもので、かかる時間は5分か、10分ほどのこと。


いままでに何回も、「わたしに仕事があるときには、お昼はぶつからないように、気を付けてね」と義母には念を押している。

私が時間に対して規則性があることを、30年も同居していて、分かってくれないが、義母はいつも行き当たりばったり、自分の思うまま、自由気ままで、昔から、曜日や時間の感覚のない人だということは、私は理解している。

随分と、柔軟性がついたのもそのお陰だ。


今までイライラして怒鳴ったこともあったが、それも分かっているので、なるべく言わない。


私の目の前で、コソコソと息子に「お昼から病院へ連れて行ってほしい」と言うなれば、もっと気を遣えよっと言いたいが言わない。

どれくらい、仕事の予定が狂うのか、分かるやろ!
お昼から、1時間しか仕事できひんやん。


言っても仕方がない。

相手は、宇宙人だから通じないし。

むこうにとっても、私はきっと宇宙人。😎

(だけど、最近はすこ~し会話らしい会話が増えたかな。
年には勝てないのか、ときどき、頼ってくるようになったのでね。)


いま、日常生活で一番イラつくのは、このお昼のタイミングかもしれない。


意図して空いている時間を狙って、台所を使おうにも、匂いを嗅ぎつけるのか、義母が、この狭苦しい台所へ寄ってくるのは、私が居るときに限らず、夫が居てもおなじだ。

特に料理をするわけでもなく、あちらこちらを物色したり、狭い空間でみかんやらお菓子などをたべたり、用事もないのに居たりする。

私たちが仕事から帰ってきてのタイミングだと疲れるので、よく夫にも叱られている。


とは言っても、今頃、台所をどうこうする予定もないし、そこまでの気持はない。


その代わり、最近特に感じるのが、週一回デイサービスへ行ってくれるときの、安堵感。

お昼に、ノビノビできる。


もちろん、仕事がないときは、お昼だけに限らず、一日中、気持ちがちがってくる。


今現在、完全同居ということもあって、窮屈なところがあるが、いつかは、そういうことも懐かしくなって、家じゅうノビノビと見渡せる有難さを、感じるときがやってくるのではなかろうか。


不便を知って分かる有難みは、他にもあるのかもしれない。


私が真っ先に思い出すのは、スイカを食べられる有難み。

子供たちが小学生のころは、義母がスイカをたくさん作ってくれた。

私がスイカの美味しさを知ったのも、小学生の頃で、田舎のおばあちゃんが送ってくれる「すいか」が楽しみだったが、食べられるのは、わずかに限られた分だけ。

「すいか」は、あこがれの食べ物だった。

スイカの皮の白い部分が見えるまで食べたが、息子たちは、全くもってもったいない食べ方をするので、「スイカが食べられるのが当たり前と思ったらアカンよ」と、「もっと丁寧に食べや」と諭したものだが、私からすると有難く、すいか食べ放題の毎日は、天国のようだった。

ご近所のおばちゃんが、「ぶどう」の時期になると、自家用の「ぶどう」をたくさん下さる。
うちでは作っていないが、ご近所さんでは、「ぶどう」を作られている農家さんが多い。
美味しいおいしいぶどうが、毎日食べられることの有難さ。

思い余って、「こんなにたくさん食べられるなんて幸せです。有り難うございます」と伝えると、「そんなことでお礼言うてくれるの?!」と、謙遜していらっしゃったが、果物食べ放題って、贅沢で幸せ!


もちろん、秋には柿が食べ放題💕
いまも、今年の秋にとれた柿をたべてるの😍
(息子は見向きもしないし、食べるのは私が1番。二番が義母。)


息子は、ぶどうにも柿にも目にもくれないが、贅沢で有難いことだと感じるのは、私が子供の頃、果物に囲まれていなかったからであろう。

食べたのは、バナナか、時々りんご、ミカン位なモノだった。


と、食べ物のことばかり思い出されるが、数年前に、台風で数日間、停電した時には、普通に電気がきていることがどんなに有難いか、思い知ったし、病気になると健康の有難みがわかるし、コロナ禍で外出がままならなかったり、普通の日常が普通ではなくなって、いろんな有難みを感じられた方も多いのではなかろうか。

昔の時代を生きてこられた高齢者の方も、今の便利さを有難いと感じていらっしゃるのかもしれない。


一方で、昭和レトロに魅了された、女子高校生が、取り上げられていた。

中学生の頃から、昭和のファッションを身にまとい、レトロな喫茶店をめぐるのが趣味で、部屋には驚くほどたくさんの、昭和レトロなものが並べられていた。

昭和レトロにはまった、きっかけとなった、レコードプレーヤーから流れくる、イントロに入る前のアナログ感満載の雑音が、何とも言えないくらい、良かったのだとか。


彼女は、今の時代、いつでもどこでも音楽を聴けるが、レコードの歌を聴くには、家に帰って、レコードプレーヤーの針を落として、やっとの思いで聴けるところから、有難みを感じるという。

イントロを飛ばしたり、早送りして、歌を聴くなんて、失礼な話しで以ての外だと言っていて、便利な世の中に生まれた彼女が、あえてレトロな世界に踏み入れることで、有難みを感じることもあるのだと感心した。


昔の時代は、感情の起伏に波があって、情緒豊かに感じることが多々あったのではないかと、そういう世界が羨ましいとも、彼女は言う。

「好きな人に告白する事ひとつにしても、今の時代だとスマホひとつだけど、昔は『お父さんがでたらどうしよう。お母さんがでたらどうしよう。』ってドキドキしながら、電話をしたんでしょう?それが羨ましくて」

と、高校生らしい一面をみせていたが、確かに、うちの薪風呂は不便で、もしスイッチひとつで温まるようになれば、便利さに有難みをかんじるのかもしれないけど、身体に沁みわたる幸福感や、リラックス効果は半減するのかもしれない。


特に仕事で身体が疲れているとき、浴槽につかったその瞬間に、ちょうど良い風呂加減だと、良い具合に焚けた達成感も相まって、身体に沁みわたる幸福感は最高なのだ。


微調整がひつようで、薪の大きさ、種類などを考慮して、焚いていくのだが、その瞬間に巡り合える可能性は、少ないだけに、格別と言える。
便利になると、その格別な思いに浸れるのも薄くなるのかもしれない。

たいてい、ちょっと熱いな。ヌルイな。ってなもんだ。
さらに調整しておくので、次に入る、息子はハズレがない。

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