苦労との向き合い方で、ぜんぶ違ってくる。
「若いときの苦労は買ってでもせよ」というが、それまで経験したことのないことや未知のことを体験していくことが、「苦労」とすれば、若い頃は、だれもが多かれ少なかれ「苦労」をしていることになる。
ただ、その人の置かれている環境や、その人の性格によって、その「苦労」の度合いは違ってくる。
その「苦労」の度合いは大きければ大きいほど、向き合い方によって、ぜんぶ違ってくる・・・と、私は実感した。
衣・食・住、健康な身体に恵まれているわたしの苦労なんて、ちっぽけなものである。
世の中には、それさえもままならなくて、もっと苦労しているしている人はたくさんいらっしゃるのは、百も承知だけど、人生半世紀を振り返って、苦労だと認識できるものがいくつかある。
そのなかでもやはり、いちばんの苦労は、農家とは無縁のわたしが農家に嫁いできたことだろうか。
農家に嫁いで、フル回転で仕事をがんばっていたにもかかわらず、義母に感謝されなかったのは、義母にとって「農業」は日常で当たり前のことだったからと、今になって思う。
となり町の山奥の農家から、ちょっと山の手前に出てきた義母は、生まれた時から農家で大家族だったよう。
対する私は、準都会のサラリーマンの父、専業主婦の母、他の兄弟2人の核家族の育ちで、周囲に田んぼさえないところからやってきた。
周囲も二世帯同居で住んでいるところも、ほぼなかった。
「農家」に対する、イメージや憧れだけでやってきた。
土に触れる経験で言うと、小学校の時にクラスで作物を育てた「学級農園」くらいだった。
それでも、「休む間もないくらい身体を動かして働く大変な仕事」というイメージがあったので、精いっぱい働いた。
自分をよく見せようと思う気持ちも強かったが、20代という若い体力のあるうちに嫁いできたこともあったと思う。
自分の限界以上に働いた。
極端な話し、一生懸命働くと泣いて喜ばれると自惚れていたが、実際はちがった。
近所の人たちが、「良いヨメさんねぇ」「ごうせいに働くヨメだ」と褒めてくれるほど、義母のアタリは強くなり、数少ない同世代の嫁さんが、週に一度でも働こうものなら、直に「〇〇さんちの嫁さんは、お手伝いするんですってよ」と報告しにきた。
畑の仕事が順調よく進んでいても、私たちが少しでも休もうなら機嫌が悪かったし、二人一緒のお出かけは、おもむろに嫌がられた。
いま思えば、義母が嫁いできたときに居た、主人の曾祖母は義母が畑に居ると機嫌がよかったというから、同じことをしたのだろう。
毎日畑に居ることは習慣であり、日常という価値観は、私が嫁いできたときも崩されていなかったし、私が、出産後の畑に行けなかったほんのわずかな期間は、畑に帰ってくるなり、いつも聞こえよがしのため息をこぼしていた。
農家は、どんな事情があっても、畑で仕事をする人がいちばんエライんだ・・・。
そんなまちがえた価値観を植え付けられそうなくらい、精神的に追い詰められたが、その思いは何となく違った方向へ変わる。
あ、そうか・・・!
この人は、農作業が嫌いなんだ!
農作業が好きなら、どんな理由であろうとため息はつかない。
他人(嫁)が畑にいてもいなくても、関係ない。
そう解釈するのが、いちばんしっくりきた。
私が嫁いできたとき、義母は還暦手前。
今の50の私でも、本気で農業を頑張ろうとする20代の嫁が嫁いできて、働いてくれるのなら、有難く思う。
何なら、気も楽になって、ちょっと道楽になるのかもしれない。
身体を鍛えていても、やる気のある20代には勝てない。
今じゃ分かる。
私が自分を誇大してまで働いたものだから、負けず嫌いの義母のペースを乱したんだ・・・と。
嫁ぎたくない農家へ嫁ぎ、仕事にそう積極的ではない義父のもと働いてきて、義母は義母で大変だったかもしれない。
数十年働いてきて、いとも簡単に引退する義父母を見ていて、唖然とした。
そう簡単に、がんばってきた仕事を辞めてもいいの・・・?!と。
どうも、若夫婦を助けるべく、裏方の立場へ回ってまで仕事を続けたいという意志はなさそうだ。
これも、農家は定年がないという、私のイメージからくる思いだったが、そこは、義父母の意思を尊重した。
働き方や価値観は人それぞれなのだから。
義母は、最後の最後まで、農作業が嫌いだったと思う。
それは、嫁の私から見ていて、義母の言葉だったり、性格から見て取れた。
義母の苦労をあげるとするならば、どこか他人依存に見える義母が、ひとり、畑で孤軍奮闘するには辛かっただろう。
話し相手がいれば、生き生きと農作業をしていたけど、およそ、農業をするには性格が向いていない。
向いていない仕事を、数十年するには、かなりの苦労があっただろうと思う。
仕事が一度でも嫌いになったのは、私も一緒だ。
帰る実家がなく、昔はどこか距離が離れている主人と仕事をするのは辛かったし、ましてやその後、ひとりで十人以上の素人のアルバイトさんを相手に、仕事をしきっていくのは「孤軍奮闘」そのものだった。
ひとりぼっちで畑で居る時間は、きっと主人が20代で農業を継いで以降のことを考えれば、義母より私の方が多い。
わたしは、結構一人でも平気だけど。
だけども、仕事に対する向き合い方は、義母と全く違った。
もし、私も仕事が嫌いなままで、不平、不満ばかり感じながら畑で仕事をしていれば、仕事に対する思いも違っただろう。
「受動的」「他人軸」は捨て、「能動的」「積極的」「自分軸」で働くことにした。
真剣に向き合うことで、たぶん義母には分からないだろう、たくさんのことが分かった。
それが、分かり始めた頃、息子がはじめて畑に足を踏み入れた。
嬉しくて涙がでたのは、きっと本気で仕事と向き合ってきたから。
息子に、その場で感謝の気持ちを伝えたのを覚えている。
主人は義母のことを言う。
息子が仕事を継ぐのは当たり前だと思っていて、感謝をしてくれたことがない。
と。
きっと、嫁に対してもそう。
仕事が嫌いで、尚且つ、自分の兄弟に「可哀そう」と言われ続けた義母は、自分を満たすことができなくて、他人を思いやる余裕なんてなかったのだろうと思う。
間違えた苦労の乗り越え方をしたのだと思う。
家事や育児に関してもそう。
それは未知の世界だったけど、本気で向き合ったからこそ、分かったことが多々あった。
だけど、それも20代という若い時の苦労だから、あれほどがむしゃらに真面目に向き合えた。
いま、同じことと向き合うとしたら、知恵がついた分、もっと力を抜いて時にはズルく、賢く乗り越えるだろう。
心身潰れるまでがんばらない。
苦労の度合いも、得るものも、また違うだろう。
そういった意味では、何も考えずに「若い頃の苦労は買ってでもしてよかった」。
いまの私じゃ、ムリ。
得たことが多かったので、心身潰れるまで頑張ったことには後悔はない。
毒母から逃げた時も、OLのときのパワハラ上司から逃げてきたときも、間違えた苦労の乗り越え方をしたのかもしれない。
ここまで、得ることはなかった。