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凛とした母でいたい

今ならわかる。

都会で結婚生活を送るために、いろんな思いを背負って、田舎の実家をでてきたことを。

家にずっと居ながらにして、専業主婦のあなたが、自分ひとりで子供と向き合うのは、さぞかし大変だったでしょう。


無関心を装っていたのか、不器用なのか、薄情なのか、分かりずらい父にも、頼れなかったのも分かる。

だけど、お互い、相手と向き合おうとせず、とっくに夫婦関係は終わっていたように見えた。


そのうち、力尽きたのでしょう。


母もひとりの人間。

未熟な面もあって、失敗もするし、間違うこともあって、か細く弱いことだってある。


そんなこと、分かっているから、今は何とも思わない。

育児放棄もされたこともないし、暴力を振るわれたわけでもない。

「一生懸命」の方向性が、私に合わなかったり、母の心身の状態が悪かっただけ。

「毒親」でもなんでもなかったと、今なら思う。

何不自由なく、短大まで出してもらって、父にも母にも感謝しなければならない。

だけど、自分が大人になるまでは、そんなこと、受け止め切れなかった。

母は、全エネルギーを使って、私に当たってきたし、弱音や愚痴も聞いてきた。

他人に甘えることが嫌いな私だけど、あの時、負けじと母に牙をむいた強さの分、本当は甘えたかったのだと思う。


親は親であってほしい。

父は父であってほしい。

母は母であってほしい。


せめて、子供がひとりの大人として成長するまでは、懐の大きな「大人」で居てほしかった。


そう思ったから、子供には弱い面は見せなかった。

子どもの前では、愚痴も弱音も吐かなかった。


凛とした母で居たい。


そう思った。


頼れなきゃ親ではないし、甘えることができなきゃ親ではない。


心の底ではそう思っているから。


だけど、いま、それが崩れようとしている。


25歳の息子と一緒に居ると、どうしても愚痴をこぼしてしまう。

「弱い母」と写るときも、あるかもしれない。


息子は、どちらかというと穏やかな性格で、反抗期もなかった。
娘は娘で、息子と違って、チャキチャキしているけど、こちらも大きな反抗期はなかった。

だけど、ふたりとも、中学、高校と大きくなるうちに、部屋に籠るようになり、部活や勉強で忙しくなったこともあり、会話をする間もなくなった。

息子は、大学生ともなると、バイク野郎になって、バイクに夢中。
娘は、県外の大学へ。

接点がなかった。


もともと、親子関係はドライだったと思う。

今も多分そう。

県外で住んでいる娘も、滅多に帰ってこない。


「人生、一度は家を出て、苦労をすればいいのに」との、私の息子への願いは叶わなかった。


今も実家に居て、仕事を継いでくれることになった息子との接点は、多くなった。

普段は、遊びに出かけて夜遅くまで帰ってこないこともあるし、家で居る時は、お互い別々の部屋に籠っていて、そう接点がないところは、以前と変わらない。

時々、仕事のことで口出しする私のことを、「うっとうしい」とばかりに、少しばかり言い訳したり、言い返したりするのは、遅れてやってきた反抗期なのかもしれない。



それでも、月に一度ほど、「買い出し」の付き添いでスーパーへ、夫に変わって行ってくれるようになった。

先日は、市内へドライブへ行ってきた。

仕事場である畑へ、一緒に行くこともあるし、別々の畑で仕事をするときには、送り迎えをしてくれる。


車中では、いろんな話しをする。


息子が以前働いていた職場のこと。友達のこと。農作業のこと。バイクや車で走りに行ってきた場所の事。

義父や、義母のことも話題に出てくることもある。

そして、夫のこと。

「父ちゃんな、どっこも連れってくれへんねん。母ちゃん、父ちゃんを見届けたら、旅行行きまくるからな」


先日のドライブでは、つい言ってしまった。

夫に対する愚痴をこぼしたのは、初めてではない。


息子とは、波長が合うのかもしれない。

会話の糸口を見つけ出す苦労をしなくても、自然と会話ができるし、息子も意外とのってくる。

それに、普段は、ボソッとわたしに、夫に対する不満を伝えてくることもある。


息子の言い分も分かるので、肯定の姿勢を見せるが、息子の足りない部分を、そっと教えることもある。

息子より私の方が知っているだろう、夫とうまくやっていくためのポイントを、助言するカタチとなる。


普段は、私が愚痴の聞き役をしていることを考えると、ウィンウィンな関係で、多少のことは許されるのかな。

膝痛を抱えていて、農作業が辛いことも、息子に話している。


母親である私と話すことが、息子にとって一番心地よいと感じる位に、距離感が近すぎると、それはそれで心配。

今のところ、そんな気は起こらないけど、私が必要以上に息子に依存するのも、違うということも心得ておかなければならない。

今になって、息子との会話が増えることは嬉しいけど、戸惑いがあるのは、「大人になった息子」と「母」が仲良く喋るイメージがないからなのか。

それとも、自分自身が、まともな会話を、実両親としてこなかったからなのか。


だけど、息子も、もう25歳。

息子の負担にならない程度のことなら、会話の流れで話しちゃうのは、OKなのかな。

ひとりの「大人」とみなして。


今日は、息子と選挙の投票会場へ足を運んだ。

普段使いの、軽の乗用車に乗って行ったが、帰り際、まさかの助手席側のドアを閉めようとしたら、鈍い音がドアの下から聞こえてきた。


ガガガガガッ


えっ?!うそっ?!さっき、何も当たらへんかったやん!


どうやら、歩道側のコンクリートの段差に、ドアの下がやられたらしい。


ドア、開き過ぎたら、あたるってぇ!


ちょっ、ちょっとぉ!父ちゃんに叱られるやん!見てチェックしてみて!


大丈夫や。ちょっと買取の査定が下がるだけや。


父ちゃんには、内緒な。黙っといてな。


またしても、夫のイメージを悪くするようなことを言ってのけた母。


こうなると、「凛とした母」どころではない。


親子の線引きを、ある程度、大切にしつつ、自然体でいいのかな。

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