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自己肯定感が低かった私がやってよかったこと

最近の私は、自己肯定感「アリアリ」だと思う。

だって、恥ずかしげもなく「note」に自分のことを洗いざらいに書けていたりする。
自分でもびっくりだ。

内心ドキドキすることもあるけど、ある程度開き直れる。

あと、人と案外普通に話せる。

若いころの自分は、自己肯定感は人より低かった。

若いころなんて、誰も自信満々の人なんていないかもしれないけど、実母は子供の自己肯定感を潰す天才だったので、見事にどう考えても普通の子供に育たなかった。

いつかの作文に「私は親から否定ばかりされて育ちました」と書いた私は、内気で大人しく人見知り。
自分の判断に自信がなく、人と話すことでさえ、しゃべる内容は喉元まで出てきているのに、人にどう思われるか気になってしゃべることができず、学生の頃から「無口な人」として位置づけされていたと思います。

そんな私が、半世紀生きてきて、自己肯定感を得た形跡をたどると共に、よかったと思うことを書いてみようと思います。

・1つめ 親元を離れる

そんな、母のもとで居ることがいやで、短大を出て、就職すると同時に親元を離れました。
時々実家へ帰るも、居心地のよいものでなかったので、だんだんと疎遠になりました。
これが根底にあるから、変われたのだと思います。

・2つめ 社会にでて一度は働く

これは、もちろん、その人の心身の状態が外で働くことができるのであれば・・・ですが、結婚するまでの、私は4年足らずでしたが、働いてよかったです。
新卒で入社した上場企業で、2年目くらいに上司が変わって、そこからパワハラまがいのことが始まり、辛い思いをしましたが、何もできないにせよ、味方になってくれる人もいたし、上司に認められなかったにせよ、担当の営業の人や、取引先の人が褒めてくれたりして、初めて自分が認められた実感が湧いたのが、その時でした。
後々になって気づいたことですが、自分なりに信念をもって、普通に頑張っていれば、誰かが認めてくれていたんだなと思いました。

ちなみに、その上司は中間管理職に就いていらっしゃる方で、私はストレスをぶつけられていただけだのよう(私が辞めてから、次のターゲットが居たよう)ですが、私がなぜストレスをぶつけられやすかったか、今では分かりますし、今の自分なら、そんな上司くそくらえなのに。(もう少し要領よく対処できるのに。)
でも、働くことによって、同期の人たち初め、多くの人との出会いで、多少、慣れると話せるようになりました。

・3つめ 人生を自分軸で生きる

結婚した私が、それを徐々に考えたのが30代。
子供を出産して、親になってからです。
うつ病になったことも大きかったです。自分を省みたり、人生について考えるようになりましたから。
結婚して、「育児」「家事」「仕事」が生活のサイクル。
子供が幼いころは、初めはママ友だとか気にはなりましたが、生活のサイクルがあわないこともあって、なかなか深い仲にはなりませんでしたし、結局気にしないようにして、話せるときに話す!のスタンスで、学校の行事等でひとりで居ることも多かったです。(その代わり、子供を誰とでも仲良くできる子に育てることに専念しました。)
腹をくくってからは、そんなに悩むこともなかったです。
去る者追わず、縁があれば、一生涯で一人友達ができたらいいな・・・と。

あと、自分が「育児」「家事」「仕事」をどうしていきたいのか。
自分自身がどうなりたいのか。どうしたいのか。を大切にするようになりました。

自分自身を変えようだなんて、すぐに変わるわけはありません。
ダメでもともと、10年先の自分をイメージして出来ることはやってみようと意識することにしました。
そう思えたのがちょうど10年前のこと。
いま、まだまだ改善の余地はあるにせよ、意識した分、イメージした自分に近づけていると思います。

他人のことはそんなに気にならなくなりました。

・4つ目 苦手な人を受け入れてみる

私の場合は、姑でした。
それも、ちょうど10年ほどまえです。
私はめったに姑にお願いをしたりしないのですが、農作業でアルバイトさんが来ていて忙しく、お昼休みが少ないから、お昼の台所は空けておいてねと、何度かお願いしたことがあるのですが、時間に融通が利くはずの姑が頑なに私がお願いしたことを聞いてくれなくて、腹立だしかったときに、姑を見ていて思ったことです。

人ってこんなに我がままで、人に嫌われてもいいんだ・・・と。
(なら、私も勝手にさせてもらうわね。と鬼嫁になったきっかけでもあります。)

私にとって、徐々に「自己肯定感」を持てるようになっていた私が、最後の決め手となり、いちばん効いたことでした。

驚いたのは、その次の日から、他人と喋るときに、私と他人とを遮っていた「ついたて」がなくなり、霧が晴れた感じがしたこと。

普通の人って、こんな感じで喋っているんだ

と、産まれてはじめて感じたのを覚えています。

高校生の頃、部活の顧問の先生に「お前は殻を破らないとだめなんだ」と言われた意味が分かった瞬間でした。

私個人的には、親との関係が悪いがゆえに、親のことを受け入れられない場合、血のつながった親を対象にするのはやめたほうが良い気がします。

・5つめ 自分の性格にあった環境で生きていけたら最高

かくいう私は、恵まれているだけかもしれません。

確かに農家で完全同居はしんどかったけど、農業はやはり自分に向いていると思います。
基本、コツコツ地道に単調的な仕事をします。(体力はいりますが)
性格によると思いますが、私は無言のまま、コツコツしていきます。

アルバイトさんが今も十数人来てくれていますが、それ以外の時期は、そんなに人と関わる必要がありません。
田舎のはずれに住んでいるので、ママ友がいないからといって、困ることもありません。

これが、毎日人と関わる必要のある仕事だったら・・・と時々考えます。
私には多分無理なので、さまざまな職業に就いていらっしゃる方を見て、尊敬します。
「外」で働くとなると、それに伴う上司もいて、同僚もいらっしゃるでしょう。
そういうのは、いくら自分が変わったといえども、向いていない気がします。

いま、畑で農作業をする自分だから、良いのかな・・・って。
だから自己肯定感も、保たれているのかもしれません。
だけど、親元を離れた時から、人生は始まり、自分の育てなおしをしてきたと思っています。


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