準備万端の日は一生来ない。 何も考えず、思い切ればいい。『ぜんぶ、すてれば』【無料公開#3】
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準備万端の日は一生来ない。 何も考えず、思い切ればいい。
野球の試合を観ていると、その選手がヒットを打てるかどうかは、
打席に立つ前からわかります。
ウェイティングサークルからバッターボックスに行くまでの間に、
不安を背負っているような感じが見えたら絶対にダメ。
あれこれ考えたってしょうがない。無心になって、思い切りバットを振る。
結果はどっちにしても三回に一度の確率程度のヒット。
野球は打席が回って来るけれど、
仕事や日常生活では打席のタイミングは自分で決めなきゃいけないことのほうが多い。
「まだ早過ぎる。準備ができていないから」
なんて言っていたら、 いつまで経っても打席に立てない。
「準備万端の日」は一生やって来ないと思ったほうがいい。
上には上がいるんだから。
僕はいつも行き当たりばったりで、それなりに失敗もしたけれど、
今こうやって楽しく生きている。
何かを気にするよりも大事にすべきなのは、自分に嘘をついていないか。
できることは精一杯やってきたよな?
と自分に問いかけて、 嘘がなければ、思い切ればいい。
大丈夫。また打席はやって来る。
<著者プロフィール>
中野 善壽(なかの・よしひさ)
東方文化支援財団代表理事 元寺田倉庫代表取締役社長兼CEO 1944年生まれ。 幼少期、祖父母の元で「全ては自己責任」という考え方を厳しく叩き込まれ、 その意識は人一倍強く持っていると自負する。好きな言葉は「因果応報」。 その後、弘前高校、千葉商科大学卒業後、伊勢丹に入社。子会社のマミーナにて 社会人としてのスタートを切る。 1973年、鈴屋に転職、海外事業にも深く携わる。 1991年、退社後すぐに台湾に渡る。 台湾では、力覇集団百貨店部門代表、遠東集団董事長特別顧問及び 亜東百貨COOを歴任。 2010年、寺田倉庫に入社、2011年、代表取締役社長兼CEOとなり、 2013年から寺田倉庫が拠点とする天王洲アイルエリアを アートの力で独特の雰囲気、文化を感じる街に変身させた。 2018年、日本の法人格としては初となるモンブラン国際文化賞の受賞を果たす。 2015年12月台湾の文化部国際政策諮問委員となる。 2019年6月寺田倉庫退社、2019年8月、地域や国境を越えた 信頼感の醸成をはかり、東方文化を極めたいという飛躍したビジョンを持つ 東方文化支援財団を設立し、代表理事に。現在に至る。
『ぜんぶ、すてれば』の著者印税は東方地域で支援を必要とする子どもたちへ全額寄付されます。
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