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俺流映画論!アクション映画の神髄はサスペンスにあり!

お久しぶりの更新です
義務感で更新するのも変だなと思っていたので更新しませんでした

長いです
3000文字超えました

今日はアクション映画は
サスペンスがないとアクションシーンとして成立しないという話をします


一括りにアクションと言って
何があるだろうか?


ジャッキーのようなコメディアクション
ブルースリーの武術アクション
ジョンウーのような詩的ガンアクション
ジョンウィックのようなタクティカルなガンアクション
日本で言えば時代劇に代表される殺陣
西洋風にいうと剣戟
ウェスタンガンアクションもありますね

ブルースリーアクションの哲学性が面白さに拍車をかける

っと
まぁこのアクションと呼ばれる幅の広さと表現の多彩さというのはありますが

自分はアクションは
映画を行動や芝居で見せるもの全てがアクションだと思ってます
小津安二郎映画の芝居もアクションの部類に入るとも思ってます
一つの行動や一つの芝居それらが形成されて表現になっているものは
アクションだと思うんですよね
よく映画では
よーい!アクション!
監督によっては
よーい!はい!、だったり
よーい!スタート!だったりしますが
っとまぁそんな感じにして撮影が始まりますが
まさにそれだと思ってます
つまり

映画≒アクション


だと思ってます

んで先にあげた
所謂アクションシーンですが
ですのでどれを取ってみても
芝居の一部なわけですよね

芝居の流れの中で必然的にキャラクターなり
ストーリーなりでそのアクション的シチュエーションになって意味があるものになる
ただ

パフォーマンスを見せるだけなら
あまり意味ないのでは?

と極論思うんですよ
それは
ほぼ芸を見せてるだけであって
映画そのものの表現とはちょっと違う
芸を結集してそれをみせるのが総合芸術としての映画の役割でもあるので決して間違ってはないですが
映画という表現手法の流れの中で芸を見せることが主体になるのは映画じゃなくても良い場合があるのでは?っと思っている次第です
映画の中で描きたいなら映画としてしか成立し得ないアクションを作ったほうが良いと考えてます

そして、芝居の流れとは?
これは、表現したい事そのもののと言い換えても
いいと思うんですけど
表現したい事自体が
格闘アクションそのものならそれで良いと思います
そこに必然性とストーリーの組み立てとして表現したい事が成り立ってさえいればいいんじゃないかなとも思いますが

なので、思うのが、、
そこを理解していると
所謂、格闘アクションそのものだけがアクションの部類だけではないと思ってます
例えば

ターミネーター


シュワちゃんは自分の売りをきちんと客観視できる良い俳優だと思ってます


でました
これ
SFアクション映画だと思うんですよね
SF映画だけだと物足りないと思います
SFサスペンスアクションスリラーかもしれませんね
あえていうなら
あとちょっとホラーかな、、


ターミネーターの中で格闘アクションってほぼないですよ
でもアクションと呼ばれている
主人公たちがターミネーターに追われ続けながらも死闘する
その様がアクションなんですよね
前述にはあえて書きませんでしたが、、
格闘アクションやガンアクションそのものだけがアクションではない

アクションを描きたい
という人は沢山いるけど
アクションの幅の広さを理解している人って案外少ないんじゃないかなと思うんですよね

ちょっと話はそれますが

映画における没入感を与えるエンターテイメント性とは何か?


これ割と答えは出てまして
その昔
アルフレッド・ヒッチコックという人がいまして
映画の神様、サスペンスの巨匠と呼ばれていました

裏窓いいですよね裏窓


この人がここまで言われるのは
映画の真髄、映画の中でやれる映像表現として面白さのジャンルを追求した結果、それはサスペンス
そう結論づけたのではないか?と自分は思ってます

没入感というのは映画以外の持つ普遍性のあるエンターテイメントにおける一番大切な要素で
これが抜けると一気に物語も含めて冷めるんですよね
映画において一言で言うなら
映画に齧り付けにさせるパワー
これが失われると一気につまらなくなる
その推進力としてサスペンスがあります

サスペンスは様々な場面であるわけですが
前述のターミネーターにおけるサスペンス要素
ターミネーターに死ぬまで追われる
見つかったらほぼ生き残れない
しかし
生き残るためにはターミネーターと対決しなければならない
なぜならターミネーターは人間でなくサイボーグロボットなので止まらない限りターゲットを狙い続けるから
ここに
主人公とターミネーターたちのある意味で映画の中で観客に対して共犯関係といえる葛藤が生まれサスペンスが巻き起こりる
サスペンスとはその緊張状態そのものを言うのですよね
んでこの緊張状態の中で巻き起こる例えばターミネーター
でいうとチェイスシーン、警察署襲撃シーンのアクションが物語を動的に面白くしていく
これが映画的なアクションそのものだと言っていっていい
こう言ったことを理解しないまま
アクションを作ろうとすると
ペラッペラなアクションになってしまう
さらに例を出すと

ダイハード


ブルースウィリスのアクション出世作


これハリウッドアクション映画の代表作ですが
蓋を開けてみると
確かにアクションそのものよりも
実はサスペンス映画なんですよね

っていうのも
監督のジョン・マクティアナンこの人が前述のアルフレッド・ヒッチコックの信奉者でもありそこで映画の勉強をした人なんです
まぁそれだけでなく
主人公がつくづく常に緊張状態に追い込まれていく
それを解決する手段としてテロリストと対決するしかないその様の動的な解決方法がアクションになっている
あくまでストーリーの根本は
ビルを占拠したテロリスト達と一人のしがない運の悪い警察官がどう戦うのか?
っと明らかな劣勢から一つ一つ緊張状態の問題を解決していく様そのものを映画の実時間分の時系列にそって見せていることが
楽しくて面白い
ここをはきちがえて
スーパーパワーの持ったシュワちゃんがひたすら敵を殺しまくる映画にしたら緊張状態が失われてただのペラペラのアクションになってしまう、まぁとはいえそれはそれで面白いのがアクションのいいところではあるのですけども笑
どこのコマンドーだ?ってなりますが笑
(コマンド―はコマンドーで必要最低限
娘を奪われているというサスペンス要素があるにはあるのですが)

コマンドーとターミネーターやダイハードの決定的違いは
サスペンスにありと思ってます

ここが主役そのもののキャラクターに頼らない
映画がキャラクターが作る
と言うことの証左であると思います

そして日本映画の話になりますが


この要素が圧倒的に足りない
と言って良い
本来ここまで映画のストーリーの根本に関わらなければアクションは作れないはずなのに
あえていえば
スタント出身の方が
擬闘や格闘専門だけのアクション監督が多過ぎることに起因しているのだと思っています
自分は決してそれが悪いと言ってません
映画の幅が狭過ぎるのは構造的問題であることが言いたいだけです
昨今主流のジョンウィックやボーンシリーズなどから続くリアルアクションの流れはHOWの部分は変わっていってもWhatや whyの根本的な部分においてはあまり変わらないなと感じるのはその部分ですね
勢いはあるけどイマイチ乗り切れない
アクションとしてキャラクターが戦う事の必然を感じない
手数は多くても、キレはあっても、イマイチ死闘感を感じない、このキャラクターは血の通った人間で銃弾に当たるかもしれない当たったら死ぬかもしれない
そういった切羽詰まった状況などが足りない
アクションの格闘はするけども
目的が伝わらない
殺すのが目的なのか、痛めつけるのか、技術を確かめ合って勝敗だけつけたいのか?など
映画の中における必然性やアクションそのものの解釈を感じない
あとそもそもなぜそのキャラクターが強いのか?
単なる殺し屋ならなんでその殺し屋が成立しているのか?なぜ強いのか?といった理由も足りない場合がある
例えば
ガンアクションで言えば誰が何を狙っていてどこに当たったのか?など細かく言えば沢山ありますね笑

まぁ後半は愚痴含め足早になりましたが笑

あとがき



後日
自分がやりたい!
これが今のアクションには足りない!
と思う部分を記事にしたいと思います
まぁでも結局自分の好きなアクションをやることが映画そのもののパワーと訴求になると思うので
これが好きなんだ!おれはこれがやりたい!
がないといけんねって話なんですけど
本末転倒ですかね笑

小津映画よりー、普通にー、ヴァンダムがっすっきー
(永野風に)

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リドリー山下の映画人生
読んでくれてありがとうございます!自分もめちゃ嬉しいです!笑笑、良ければフォローよろしくお願い致します^_^