勇気と自我
勇気という言葉にはとても大きな力があると私は思ってます。
しかし勇気という言葉だけでは抽象的すぎて分かりにくいのも事実です。
では何を勇気と言うのでしょうか?
勇気とはどんな時に使うのでしょうか?
私の見てる視点になりますが、お伝えさせていただきますのでよかったらお付き合い下さい。
立ち向かう勇気
勇気といえば「何かに立ち向かう」と連想する方も多いのではないでしょうか。
何か大きなことに立ち向かう姿を見て勇気があるなぁ〜と思う方もいます、
その中で挑戦や無謀を勇気ということもあります、例えば挑戦も針の上を歩く勇気となると、凄いとは思っても感動や心を動かす連鎖にはなりにくいです。
なのでここでいう勇気とは「何かを変える」時に必要となる「心の力」という視点です。
そしてこの勇気を出すその瞬間には必ず「魂の煌めき」があります、
例えるとするならば、真っ暗闇の中を歩き続け、その奥に見つけた大きな扉開けると差し込んでくる光を浴びて金色に輝くと言えるほど美しく心を打つ煌めきがあります。
これは見ている側としても、この勇気を出した瞬間の奮い立つ姿に感動を覚え、他に勇気を与えてます、それが勇気の連鎖にもなります。
立ち向かう方向性
この「立ち向かう勇気」にはそれぞれの価値観や視点の方向性があります。
例えば、
常に自分が試される出来事から逃げてたとします、しかしある瞬間に向き合って立ち向かう選択をした場合、これは勇気と分かりやすいですよね、
では常に出来事から立ち向かう選択をしていた人がある瞬間、涙ながらにここは引かなくてはという選択をしました、これはどうでしょうか?
立派な勇気です。
それではもう一つ例えとして、
自分で責任をもち、自分の意思で人に頼ることなく、常に前に進んでいた人がある時に「助けてほしい」と心の声をだしました、これはどうでしょうか?
もちろん立派な勇気です。
つまり勇気とは…
今までできなかったことの向き合いや立ち向かうこと、また他に対しての自分の動きや心の声を伝えることも勇気であり、起きた出来事を受け止め受け入れることも勇気だと言えます、
ここに意識を合わせてまとめていくと、
勇気の方向性は多様であり、人それぞれとなりますがその多くが「自分の弱さに撃ち破る」と言えるのではないでしょうか。
この自分の弱さとは何か?というと「自我」でもあります。せっかくなのでここで一旦視点を自我に合わせてみようと思います。
自我とは
自我とは「私が、私に、私は、私を」などの私にフォーカスを当て、これが私だと思い込んでる自分です。
この自我が育てば育つほど、「私」が大きくなり、自分の弱さを認めることもできません、そしてこれが私の生き方と決めつけ意識が固定され周りも見えなくなります。
ではなぜ、この「私」が自我となり弱さとなるんでしょうか?少しここを見ていきます。
何度もブログでお伝えしてますが、私たちは永遠を旅する魂の存在です、なので魂としての過去世の経験もあり、来世もあるという視点があります。
ということは、過去世にもこの自我があったことになりますよね、では生まれ変わるたびに今と同じ「私」だったのでしょうか?
もちろん過去世の覚えてる方はあまりいないかもしれません、
しかし、時代、国、性別、環境など毎回生まれ変わるたびに変えてたとしたならば今とは違う「私」になると考えるほうが自然です。
では今まで数知れず生まれ変わってきた「私」とは何なんでしょうか?
それは、魂を成長させるために必要な「私」という役を役者として演じてるという視点に辿り着きます。
その中で本当の学ぶべきこと「魂(心)の方向性」という個性(光)を実践しながら学んでいきます。
なので自我で思ってる個性とは全く別物です、自我の個性とは生きてる間の一瞬にしかすぎません、心の個性とは過去世から来世に続く光であり永遠の財産となります。
心の個性を簡単にお伝えすると、
愛を中心とする学びなのか、
芸術を中心とした美と調和の学びなのか、
文化を中心とした発展の学びなのか、
それとも総合的な学びなのか、など魂の方向性があります。
なので「自我」とは演じてるはずの私を自分だと思い込んでるということになります、そうなると本来魂の成長 = 心の学びが必要なのにそのことに気づけなく、私という表面的なこだわり(欠点)という「弱さ」に固執、又は執着していると言うことです。
ではここで勇気に視点を戻します。
未来の時空を変える力
なので自我という弱さを撃ち破る勇気には魂の煌めきがあり、それが心の内に響く感動となり、他の心を動かす力となると言えると私は思っています。
勇気にはこのような強い力があります。
それはパラダイムを変えるほどの大きな力とも言えます、つまり自他の時間軸と空間軸を変える力です。
故に勇気を出す前は自我との葛藤も大きくなるわけです、そこには恐怖や不安という自我が作り出す幻影もあります、自我は殻を破る、もしくは手放す力こそ勇気なのではないでしょうか。
しかしせっかく撃ち破った殻に戻ってしまう方もいます、今まで居た場所なのでそこが居心地よいというのもあるからでしょう、なので撃ち破った後も前進、もしくは留まるという後退しない努力が必要となります。
勇気からいつの間にか自我へという流れになりました(笑)
しかしそれは密接な関係があるからこそこの内容でお伝えさせていただきました。
今回はここまでとさせていただきます。
このブログがみなさんにとって何かのきっかけになったとしたら幸いです。
お付き合いいただきありがとうございました。