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努力をしない世界

努力しない、頑張ならない、耐えないで、


楽しむ、喜ぶことにメインにしてる啓発や記事や投稿が最近よく目に止まります。



これは今の流行なのかなぁと思いながらもこの視点に興味を引く人達が多いとも感じています。


この世界は楽しむ、喜ぶだけの世界なんでしょうか?


ではなぜ私たちには感情があり、楽しむ、喜ぶとは逆の辛さ、悲しさなどがあり向き合わなくてはならないのでしょうか?


今回はこのテーマについてお伝えさせていただきます、私の視点となりますが良かったらお付き合いください。


このブログで何度もお伝えしている
「私たちは魂として永遠を旅する存在である」


それと地球でのルールである
「縁起の理法の中に私たちは存在している」


今回のテーマはこのことを理解していれば終わってしまう内容でもありますが、あえて掘り下げていこうと決めました。



楽しむ、喜ぶことばかりを感謝とし、辛さや努力をしない世界を成り立たせるには、
「この一生で全てが終わる世界」
であれば成り立つと言えます、


つまり死んで無になる世界です。
もう少し意味を込めて言うと
「学びの繋がりがない」世界ですね、


これが唯物理論を優先して、魂の世界なんて皆無だという視点を全面に押し出しているのであればなるほどとなる話しなのですが、


スピリチュアルや魂、心の世界を信じる方達がこのことを大きく伝えたり、ハマったりしてる傾向性があります。


それはなぜでしょうか?

細かい理由だと無数に分かれていきますが
大きな理由が二つあります、
まず一つ目として、
魂とは何かを深く見つめてない、または心まで染み込んでないと言えます。



魂の学びとは何か?

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原則として、
私たちは魂を磨き、個性という光の輝かせる為に今の人生を選び歩んでます、もう少し言い換えると「私という人生を演じ学んでる役者」とも言えます。



その中で今回楽しむ、喜ぶことだけの人生を選んできてるかというと、



それはほとんどないと言えます、
なぜなら今の日本という心と思いが発達した国にいるからです、このことだけでも答えとして言える要因であります。



つまり、時代や国によって学べることが違うということです、


もし発展途上の国であれば、生きる中で楽しみや喜びを学ぶ魂のテーマもあるかもしれません、


この日本をスピリチュアルの先にある神仏の世界としてみても


仏教の「法」があり、
神道の「礼節」があり、
キリスト教の「愛」があり、
四季ある自然が伝える「調和」がある


他にも存在しますが、これだけをとってもこんなに思想が混ざった現在の日本という国で楽しむ、喜ぶことばかりを学ぶ人生が、魂としてどれだけの価値があるのでしょうかという問いにもなります。


もし、大切な家族や大切な人が、


辛さの炎で焼かれてる時、
苦しいの渦に飲み込まれてる時、
悲しみの雨に打たれ凍えそうな時、


どうしたら助けとなるのでしょうか?


個々で起きてる問題は違うかもしれませんが、


これらを乗り越えた経験が勇気という希望を与え、優しさという強さが心の支えとなり、思いが愛という温もりとして伝わるのではないでしょうか。


何が言いたいかというと、魂を磨くためには、それなりの経験が必要ということです。


これらの経験の一つや自分ごととなって、飛び込む思いがない場合は相手にヒントさえ渡すことができません、


それは、どうしたら良いか知らないからです。


なぜなら、心とは自分の関心を向けない限り、その出来事を知ることは永遠にない世界だからです。


同情をすることはできるかもしれません、しかしそれではいつまで経っても同じ時間をぐるぐる巡るだけです、


では必要なのは何でしょうか?


それは乗り越えたもしくは携わった「プロセス」を伝えれるかです、この道のりが心の光となるのではないのでしょうか。



そう考えると、ここを伝えれる心を手に入れるために渦中に入る学びもあるということです。


そしてこのプロセスの連鎖が辛さ、苦しみ、悲しみを乗り越えた、人から人へと伝えられる愛の美しい連鎖となり、


それが心を磨くための切磋琢磨する仲間になると私は思ってます。



では、もう一つの理由が「すり替え」です。



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感情や思いのすり替え

「これが本来の自分ではない」ことを全面に押し出し辛さ、苦しみ、悲しみを感情と共にすり替えてるということです。


ここも辛さ、苦しさゆえに打ち出した苦肉の策だということもあります。


私のお伝えしてる視点も、これは一種のすり替えでもあります、しかし感情を受け入れた中で視点を変えてます。


そうしないと、ただ都合がよく捉えてるだけになってしまったり、自分の感情や思いに流されっぱなしのブログになるからです。


すり替えとはとても都合がよく、自我を守る一つの防衛本能とも言えます、そしてすり替えてる本人の表面意識はすり替えてることにすら気づかない一種の魔法とも例えれます。


ではその状態でもし、この楽しい、喜びが無くなった瞬間どうなるのでしょうか?


楽しめない、喜べない不安、苦しみがスタートします、


なのでまた次の楽しみ、喜びを探します、そしてまたすり替えるこれを繰り返す堂々巡りです。


ここで大切なのは、「今ある現状を一回受け止めてみることです」、受け入れるではないです、


受け入れることができず、どのようにしたら良いのかわからないからすり替えて楽しむ、喜ぶ思想に走るとも言えます。


まずは受け止めることから始まります、すると本当にその楽しさや喜びだと思い込んでることが必要なのかが少しずつ浮き彫りになってきます、同時に新しい道が繋がり魂(心)としての活路も浮き上がってきます。


その路線に切り替えることが「未来の時間軸を変える = 自分を変える」となります。



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努力の大切さ

最後に
意識の書き換え、波長、波動の調整などの話しも見たり、耳にしたりします。


これらを伝えてる方が、どの次元で伝え、どの心の方向性なのかを見切るのはなかなか難しい問題であると思います。


ただ1つだけ言えることはこの地球で波長が高くなればなるほど「努力」が必要となります。


つまり簡単ではないと言うことです、


一生くらいの時間では辿り着けない波長も沢山あります、


それには日々の生き方や、魂の傾向性も問われてきます。


なので大金を積んで変わることもありえません。
シンデレラを変えた魔法のような術はあるかもしれませんが魔法はいずれ解けます。


しかし魂の奥にある心まで染み込んだ経験は永遠の財産となります。


私もここを学びに来てると常々心に言い聞かせてます、それでも同じことやったり、寄り道をしたりを繰り返しながら一歩一歩前進しています。


今回はここまでとさせていただきます。


このブログが何かのきっかけになっていただければ幸いです。


お付き合いいただきありがとうございました。

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