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きれいだとかきたないだとか二色で筆一本だとか


あなたの絵は「美しさ」と「陳腐」の狭間にあると言われたことがある

では醜いものを描けば良いのかと悩んだが

その話を聞いた知人は「この世には醜いものが溢れているのだからわざわざ新たに醜いものを生産することはないだろう」と言った

「美しさ」と「醜さ」の違いは何か

美しいものは美しい形や色を纏った存在

醜いものは醜い形や色を纏った存在

美醜の判断それ自体が「客観性を欠く」と一蹴されるのだろうが

自身の美しいと思うものを言葉で形容しようとした場合と醜いと思うものを言葉で形容しようとした場合

どちらのほうが容易いかと考える

美しい対象への言葉は流れるように零れ出し
醜い対象への言葉はまるで的確でなければ罪であるとでも言うかのような緊張感と共に絞り出される

言葉で容易く形容可能だということは
その対象は言葉の工夫が要らない陳腐な存在

「美しさ」は「醜さ」より「陳腐」であると言えるのだろうか

つまりは私の絵は「美しさ」と「陳腐」の狭間どころか
「美しいが故に陳腐である」と言いたかったのであろうか

美しいもの綺麗なものを描き続けたいのなら
その陳腐さを越えてみろと伝えたかったのであろうか

それでも私は「意図的に陳腐さを捨てたもの」を描こうとはしなかった

そんな奇をてらったものを描こうとしたところで
「醜く陳腐なもの」が出来上がるだけのことだろう

あなたの描くものは「美しさ」と「陳腐」の狭間にある

この言葉が投げかけられてから既に十五年は経とうというのに
未だにふとした拍子に脳裏に蘇る

根に持つタイプなのねえと独り言ち
選んだ色は二つ
手にした筆は一本

醜いものは描けないかもしれないが
きっと混ざり合ったら汚い色になるだろうと選んだ綺麗な二色

始めは一色ずつ別々に紙の上へ
色を変えたからといって筆は水を含ませるだけで洗いはしない
だんだん二色は一つになって

汚くなったかと問われても
答えは見つからない

そこに描き出されたものは美しいのか醜いのかと問われても
判断できない

ただそこに
何かが完成して
自分では言葉が見つけられない

それで良いと
思うことにした


『Útěk jednoho vězně logiky』 23 x 31 cm 水彩



【解説もどき】

この一ヶ月半くらい大量の(自分から排出された)言葉と言葉の持つ具体性と戦っており、それと並行してここ最近の自分の絵のあまりにも具体であろうとする姿(「抽象」の対義語「具象」ではなくあくまで「具体」)に突っ込みを入れたくなりまして、こんな絵を描きました。

今、ちょっとこのままでは先に行けないというか、切り替えが必要で、相変わらず自分の絵に対する客観的な判断は下せませんが、とにかく今の自分が描くべきものを描いた、と言うか吐き出した、感じです。

それでその絵になんでこんな支離滅裂な文章を乗っけちゃうのよって聞かれても、答えは出ません。
単に「2024年7月中旬時点のKaoRuの状態」の記録である、とご理解いただければ幸いです。

ちなみに本文中の「言われた言葉」は発言者の意図したことが伝わりやすくなるよう少々意訳しております。


日本帰省に使わせていただきます🦖