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“実家の店を継ぐつもりはない”過去から一変。飲食店経営者として挑戦し学び続ける奴ダイニング代表・松本 丈志のストーリー

「飲食と、ともに。」は飲食店経営者、従業員など“飲食”とともに生きる人の人生にフォーカスするnote連載です。過去の経験から生まれた考え方、経営や仕事へのこだわり、外食産業へのメッセージを届けることで、外食産業をともに盛り上げていくことを目的としています。
今回は、株式会社奴ダイニング代表取締役社長 松本 丈志さまにお話を聞いてきました。


松本 丈志丨株式会社奴ダイニング・代表取締役社長。「世界一感謝の集まる食に関わる企業になる」というビジョンのもと、ビーフキッチンスタンドを代表する21店舗を関東圏に展開。「マツタケさん」の愛称で親しまれている。


実家の寿司屋を継ぐのが嫌だった幼少期から、飲食の道へ進む事を決めた学生時代

曽祖父の代から代々飲食店を営んでいる松本家に生まれた長男であるマツタケさん。幼い頃、“寿司屋の息子”と呼ばれるのがとにかく嫌だった。「家業のお寿司屋さんを継ぐのは、僕ではなく、弟が継ぐものだと思っていた」と話す。一方で“飲食”はずっと好きで、小学生の頃から留守番の時にはいつも料理をしていたんだそう。高校3年生になり友人が進路を決め出した頃、スノーボードにハマっていたマツタケさん。当時はまだスノーボードが日本に入ってきたばかりで、できる人も多くはなかったのでこのままいち早く習得し、プロ兼インストラクターで食べていくという意思決定をしたのだ。しかしそのタイミングで、父親から「実家を継いでほしい」と言われ、幼い頃から自然と持っていなかった選択肢がパッと出てくることとなった。急な話に困惑したものの、親から頼られるのが初めてだったマツタケさんは頼られた嬉しさと幼い頃から大好きな飲食業界でトップを目指したいという気持ちから、修行を始めることにした。初めは修行が厳しいことで有名な都内の寿司屋で5年半、その後新宿の高級寿司屋で2年ほどサービスを学び、計7年半弱の下積み期間を過ごした。その下積み時代は1日16時間労働、休日はあったものの、休日にも仕事の仕込みを行うなどし、ほぼ休みなく働き続けた。
25歳になった頃、友人との交流も増えてくると、自分と周りの働き方の違いに衝撃を受けた。同世代の友人たちは1日8時間労働の週休2日、自分よりも高い給与をもらっていた。18歳で社会に飛び出したマツタケさんは知らない事実だった。このままこの生活を続けていく人生でいいのか、と考えたマツタケさんは、高校時代に怪我で諦めたボクシングのプロになるのもありかもしれない、と思い出す。経営者になることは既に決めていたため、3戦3勝したら辞めよう、とふわっと考えていた。当時の厳しい現実から逃げたかったのかもしれない、と語る。変わらず1日16時間働きながら、休憩時間にはボクシング道場に行き練習を重ねた。しかしここでも肺を壊してしまい、ボクシングは再度諦めることとなった。


学びの楽しさを教えてくれた、1冊の本との出会い

ボクシングで2度目の挫折、厳しい労働環境に追われる日々に、これからどうしようかと途方にくれていた時、友人と本屋に出向いたことがマツタケさんの運命を変えた。その時手に取った哲学書を読み、気持ちが楽になったのだそう。新たな考え方を知ることに楽しさを覚えたマツタケさんは様々な本を読み漁るようになり、いつしか本が自身の指南書となった。「学生時代に真面目に勉強していなかったので、書いてあること全てが新鮮で、面白く、納得感を覚えました。何も知らなかったから、スポンジみたいでした(笑)」と笑いながら話すマツタケさん。この本との出会いから、“学び、その学びをアウトプットする”ことの繰り返しが何事においても大切だと知るとともに、これでもう1度飲食業界に戻り、このサイクルでいち早く成果につなげようと心に決めた。


思いがけない独立と、独立の苦悩から学んだこと

一方その頃、実家の業績が傾いていたことから、マツタケさんは実家に戻ることに。長年飲食店の厳しい修行環境で身につけた知見や技術を活かし、実家の立て直しに向け様々な施策を行った。施策による実績も出始めており、勝ちパターンが見えるさらなる施策に取り掛かろうとしていた時、家族から「好き勝手やるのは辞めてくれ。今まで通りやってくれればいい」と言われる。親戚一同殺伐とした雰囲気になり、マツタケさんも文句を言われながらやるのは嫌だと、半分勢いで独立することを決めた。
独立すると、まずは“正しく経営すること”の大切さと難しさを学ぶ。初動で売上を伸ばすことができた勢いで5,6店舗まで店舗を増やしたことで、若手社長として雑誌に取り上げられたりもしたものの、実際は店舗数が増えて売上が上がれば上がるほどお金はなくなっていった。これまで正しいと思っていた経営のやり方が、いざやってみると全く上手く作用しなかったのだ。明日お店を経営するために必要なお金が払えない、ということも何度も経験した。このままではダメだと思い、マツタケさんは経営を学ぶべく、飲食の先輩方が通う研修に参加するように。この研修を通し、店舗展開における人材育成や数字管理などの組織マネジメントの重要性や戦略的に店舗展開する手法を学ぶと、事業もうまくいくようになった。ピンチが訪れたタイミングは幾度とあったが、「悩んでいてもしょうがない。切り替えて学んだことをまずはやってみる」ということをモットーに、PDCAを回した。“物事を知らないことの怖さ”と、本との出会いから学んだ“学びを実験するサイクル”が、コトをいい方向へと導いた。


自身の経験を継承し、日本の外食産業を繋いでいく

迎えた。昨年は過去最高の売上も叩き出したが、マツタケさんは独立初期の学びに対する貪欲さを全く失っていない。店舗に食べに来てくださるお客様、働いてくれるスタッフなど、多くの人々のお金を動かしていることに責任を感じているからこそ、もっと多くの知識を身に付けなければならないと感じている。【食べに来てくださる方の満足度向上による売上の向上⇔従業員の給与増加】のリズムを早めていくことで、「飲食業界からより多くの幸せを生む」ことをまずは自社からやっていきたい。また日本の外食産業をより儲かる産業にしていくため、自分がこれまで学んできた知識を若い飲食経営者に伝えていきたい。そのために飲食経営者に対する勉強会を主催したりもしている。
「予実管理と成長性を意識している」と話すマツタケさん。ここでいう成長性とは、“業界から期待されること”だという。業界から期待されるような企業になるため、利益率の向上とブランド力向上を早急に進めている。また今年の5月には寿司業態と鰻業態を買い取り、世界に挑戦できるようなおもしろい事業をつくる準備も始めた。外食産業から日本を豊かにしていくため、【学び・学びの伝達・期待される事業づくり】をし続ける、これからの奴ダイニングとマツタケさんに期待である。

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