英語にも名詞の性があった?!「船」はsheだが名詞の性とは関係ない?!
大学の第二外国語でフランス語やドイツ語のようなヨーロッパの言語を勉強する時に誰もが驚くことがあると思います。そう、名詞に男性や女性、さらには中性があるということです。「え、なにそれ?」と私も思いました。そもそも、名詞が表す内容が指す対象の性別に合致しているならばまだいいものの、実際にはドイツ語のMädchen「少女」やWeib「女(現代語では蔑称)」のように中性名詞の場合がありますし、それ自体に性があるようには思えない語にも事細かに性が決まっています(例えばイタリア語のtavola「机」は女性、ドイツ語のKühlschrank「冷蔵庫」は男性といった具合に)。さらに混乱することに同じものを指す同根の語が近縁の言語で異なる性を持つこともあります(イタリア語il mare, フランス語la mer)。つまり、名詞の性は外界の実体とは関係ないということがわかります。そのため、名詞の性を文法性と呼び、名詞の指示対象が実際に持つ自然性と分けて考えます。
さて、このような文法性の存在に驚くのは第二外国語を始めるまで触れてきた日本語や英語にはこのようなものが存在しないからだと思います。ところが時間を遡ると英語にもかつては名詞に性がありました。そもそも英語はドイツ語と近縁な関係にある言語で、11世紀頃までの古英語時代にはドイツ語と同じように3つの文法性を持っていました。
例えば「石」はstānで男性名詞、ドイツ語のWeibと同源のwīf「女性」は中性名詞という風に名詞ごとに性が決まっていました。そのため、これらの語を先行詞としてそれを受ける代名詞はそれぞれの性に従って選択されました。stānならばhē、wīfならばhit(とはいえ「女性」のように明らかに自然性を持つ名詞の場合には代名詞は自然性に従う方が普通だったようです。この点は現代ドイツ語でも同様のようです)。
ところで現代英語では文法性は消滅しているのですが、船やイギリスなどをsheと呼んで女性扱いする場合があります。これだけ見ると、「そうか!船やイギリスはもともと女性名詞だったのか!」と思われるかもしれません。しかし、奇妙なことに古英語では「船」はscipという中性名詞でした。また「イングランド」はEngla-Land「アングル人の土地」で基語となっているlandは中性名詞です。つまり、一見古い文法性の名残のように見えるこの現象は、本来の文法性とは無関係だったのです。
では英語の文法性はいつ頃まであったのでしょう。実は文法性の喪失はかなり早期に起きているようで、一部の方言では古英語期に消滅し始め、最も遅いKent方言でも15世紀(中英語末期)には消滅したようです。文法性の消失は北方のノーサンブリア方言から起きているため、ヴァイキングの侵攻による社会的混乱もその原因の一つと言われているようです(ヴァイキングはまず北方からイギリスの侵略を開始しました)。とはいえ、決定的なのは古英語末期から中英語にかけての時期に名詞の格がなくなったことだと言われています。
文法性の消滅後の中英語期には、名詞を受ける代名詞は基本的に自然性に従うようになりました(つまり、女性なら女性代名詞、男性なら男性代名詞)。無生物や特に性別を感じることができない有声名詞は中性代名詞で受けるようになりましたが、一部には有性代名詞で受ける場合もあったようです。しかし、その場合には本来の性では違ってフランス語の性に従っていることが多いようです。1066年のノルマン・コンクエスト以降、イギリスの支配層はフランス語を話すようになります。中英語でものを書くときにもその影響は絶大だったようで、「船」を女性扱いするようになったのはどうも古仏語のnefという女性名詞からの影響らしいです。
しかし、「船」を女性扱いする理由を調べると、しばしば別の理由に出くわすことがあります。それは「船乗りは男性が多かったため、自分にとって大事な船を女性に見立てた」、「船は女性のように予見できないため」あるいは「船員を守る守り神として見立てたため」などという理由です。
おそらく上記の言語学的理由に加えて、これらのような文化的背景もあったのだろうという意見も見出されます。実際のところはどうだったのか、少し調べただけでは明らかになる問題ではないと思います。しかし、船を女性として扱うのは中英語というかなり古い時代から続いており、その起源的段階ではフランス語の影響があったということはできると思います。