幸せの居場所
20年ぶりに日本で暮らし、今、私は80を過ぎた両親と暮らしている。
ゆっくりと、そして穏やかな日々。
先日ひょんなことから、母が学生の時のことを話してくれた。
台所の片付けをしながら、私は耳を傾けた。
* * *
父と母は同じ大学の出身だ。
二人とも同時期に小学校教員を目指していたが、家が貧しかった父は夜間の定時制に、母は全日制に通っていたので、本格的に出会ったのは教師になってからだという。学生時代はお互いに顔見知り程度だった。
二人には共通の恩師がいた。当時大学の教育学部長だったK先生。のちに父母の結婚式で仲人もして下さった、二人にとって縁の深い方だ。
卒業式の思い出
母が4年生に進級したばかりの頃、K先生が母を、翌年の春に行われる卒業式の総代候補に挙げて下さった。
大学4年生といえば誰もが取るべき単位が少なくなり、自由な身を謳歌している年だ。
しかしそんな中(本人曰く欲張りな)母は、今取れる免許は全て持っておきたいと思い、学生時代最後の一年を朝から晩まで受講に費やしていたという。おまけにぎりぎりになって中学校教員免許まで取ろうと思ったものだから友達とも遊べずに、時は過ぎて行った。
そして、単位取得テストの当日。なんと、母は単位を一つだけ落としてしまう。楽勝だろうと思い、ほとんど勉強をしていなかった分野だった。
総代候補者の卒業が危ぶまれるとは前代未聞の話だ。K先生はやむなく母を候補から外すことを決め、大役は他の誰かに渡ることになった。
* * *
その後、母は無事に再テストに合格、卒業式を迎えた当日のこと。
式典会場で母が整列していると、後から先生方と入場してきたK先生がなぜかキョロキョロしている。そして母と目が合ったと思ったその瞬間、先生から母の手の中に何かが渡された。
何事もなかったかのように去っていくK先生。
後ろ姿を見つめ、手のひらをそっと開くと・・
小さな宝もの
「ほら、これが渡されてたの」
私の目の前で、いつの間にかぎゅっと握っていた手を母が開く。
その手の中には、小さな陶器の青い鳥がコロンと横になっていた。
* * *
母は声を出して嬉しそうに笑うと、台所の脇にある棚のペン立ての横に鳥をポンと乗せた。
あれ?
そのあまりの無造作な感じに私は思わず反発をした。
「ね、そんなに大切なものならガラスのショーケースに入れておけばいいのに!失くしちゃうよ。」
鳥を掴んでショーケースに向かって歩いて行こうとする私を、今度は母が半ば叫ぶように止める。
「だめよ!やめて!・・・失くすわけなんかない。もう何十年もここに置いてあるんだから返して!」
取り返された鳥はまた、ペンやらバレッタやらが置いてあるいつもの場所にポンと戻される。
母がもう一度、小さな声で呟いた。
失くすわけなんかないじゃない。いつでも手の届く場所に置いてあるんだから。
ああそうか。
だからさっきもすぐ手に握れたのか・・。
「幸福の青い鳥」は卒業式のあの日から
いつでも掴もうと思えば母の手の中に滑り込んでいたのだった。
満開の桜が美しいこの春。
父と母は59回目の結婚記念日を迎える。
追記
このコラムを書いたのは今年の3月、半ば頃。
ここに掲載するために母の青い鳥の写真を撮らなきゃ、と思っている内にあっという間に時が過ぎてしまった。
結局鳥の写真は、控えることにしました。
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