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母をお風呂に入れながら思う。ぼくは間に合ったのか。〈介護幸福論 #32〉
「介護幸福論」第32回。「いっつも間に合わないんだよなあ」映画『歩いても歩いても』の中で主人公が発するセリフだ。でも、僕はまだ間に合ったのかもしれない。駆け込みセーフで。在宅介護で、母の背中をさすりながら、そう思うことができた。
■入浴介助と『歩いても歩いても』
在宅介護を始めて、大変だった作業のひとつに入浴介助がある。読んで字の通り、お風呂に入れてあげることだ。
母は週に2回、デイサービスへ通っていたので、お風呂はそちらで入れてもらっていたのだけど、ときどき母の体調によってデイサービスを休む日がある。そんな時は入浴できない期間が開きすぎないように、ぼくが介助しながら自宅のお風呂に入れてあげる。
身体の自由が利かない大人の入浴介助というのは、安全第一の慎重さも求められ、なかなかの重労働。うちの母は小柄な分、助かったが、かなりの力仕事でもある。
是枝裕和監督の『歩いても歩いても』という2008年の映画がある。介護生活中にDVDで観たこの作品は自分の境遇に重なるところが多く、ずしりと胸に響いた。
主人公は東京でマスコミの仕事をしている次男。寡黙で頑固な父親とは折り合いが良くないようで、実家に敷居の高さを感じている。そんな不義理の次男が、長男の命日に、結婚したばかりの妻と連れ子をつれて実家へ帰る。
懐かしい料理で歓迎しつつ、奥さんに嫌味を言う母。ぎくしゃくした父と息子の会話。早世した長男への想い……。家族の夏の一日がていねいに描かれる。
主人公を演じるのは阿部寛、おかあさんが樹木希林、おとうさんは原田芳雄、奥さんは夏川結衣。父と折り合いの悪い次男の里帰りという設定はぼくと同じだ。
印象に残ったのは、実家の風呂場のシーン。
阿部寛の演じる息子が風呂場に行くと、丸ごと1個の大きなスイカが、バケツの水で冷やされている。田舎の昭和の夏休みにはよく見られた光景だ。
それを見つけた息子は「おお、昔はこんなふうにバケツでスイカを丸ごと冷やして、家族みんなで食べたもんだな。懐かしいぜ」というような表情で(そんなセリフはないけど)、しばし子供の頃に返る。
が、次の瞬間、ふと目を移すと、真新しい手すりが浴槽に付いているのを見つける。昔のままの風呂場に、そこだけ不自然に新しい、高齢者用・介護用の手すり。
一見、子供の頃と何も変わっていないように見えても、確実に時間は流れていて、両親に老いが迫っている。もう昔のままではないのだという現実を、スイカと手すりで端的に描写したシーンだった。
■我が家も手すりを付けた
ぼくが最初に実家へ帰った時に感じたのも、これと同じだ。
家の中身のほとんどは子供の頃のまま。食器棚の皿の模様や、居間の薬箱の赤チン。車庫にほったらかしの、ぼくが中学の技術家庭の授業で作った出来損ないのイス。まるで時間が止まった星へ移動したかのように、30年前と変わっていなかった。
でも、生活を始めてみると、ところどころが少しずつ変わっていて、その変化が重い出来事としてのしかかってくる。
玄関先や庭に水をまくためのポンプは、故障したまま動かなかった。母がよく弾いていたオルガンは、ほこりをかぶっていた。父がまともなら、母が元気なら、こんなことはありえない。
子供の頃と変わらない9割のあれこれよりも、昔とは違う1割の見慣れない景色が、我が家に起きている事態の重大さを教えてくれた。
両親の身の周りの世話をするようになってすぐに、風呂場とトイレに介護用の手すりを取り付けた。これが入浴介助にも大いに役に立った。
手すりを付けたのはケアマネージャーの指示で、高齢者の家庭での事故の多くは、風呂場で起こるという。実際に使ってみると便利で、これがあるかないかでは安心感がだいぶ違う。年老いた親を持つ人は、実家のお風呂を気にしてみるといい。手すりひとつで防げる事故がある。
母の入浴介助は最初こそ大変だったが、回を重ねるごとに少しずつ慣れていった。
自分の母親をお風呂に入れてあげるという行為は、作業としての大変さのほかに、裸の母親を洗ってあげなくてはいけないという、微妙な心理面のハードルも存在する。息子は特にそうだろう。
■ぼくは間に合ったのかも
しかし、いざとなれば何の抵抗もなくなるし、その程度に壁を感じているようでは、在宅介護などうまくいかない。こちらが恥ずかしがって遠慮していたら、向こうも遠慮する。
湯船につかった母は、背中をさすってあげると心地よさそうにした。
胸とか腕とか、手が届くところは本人が洗い、背中はぼくの担当。タオルでこするよりも、素手でさすってあげるくらいがちょうど良いらしく、ゆっくりと手のひらを動かすと
「気持ちいいねえ。家のお風呂はいいねえ」
と、目を細めた。
『歩いても歩いても』には、主人公が「いっつも間に合わないんだよなあ」と、嘆く場面がある。この映画は、是枝裕和監督が実のお母さんを亡くした時に「いろんなことが間に合わなかったな」と思ったのが、制作の動機だったとインタビューでも読んだ。
もしかしたら、ぼくは間に合ったのかもと、母の背中をさすりながら思った。
親孝行したい時には親はなし。親の老い、気付いた時は手遅れで。
世の中には、間に合わない子供のほうが多数派なのかも知れない。でも、ぼくはかろうじて、ギリギリで間に合った。
何十年も不義理の息子だった過去を棚に上げ、都合よくそう思い込むことにした。
*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf
※本連載は毎週木曜日に更新予定です