支配と成長
喜んで受け入れる
「企業と従業員の関係が変化している。社員は生活の安定と引き換えに、異動や処遇で会社の『支配』を受け入れてきた。だが、若手や中堅が会社に求めるのは安定よりも自分の成長に変わった。」
今朝の日経1面記事に書かれていたワンフレーズ。表現はキツイですが、とても腹落ち。
「支配」を喜んで受け入れてきた我が身。だから「成長」という言葉に抵抗感があるんだな、と、妙に納得してしまいました。
ここ2年ほど、急に叫ばれる「リスキリング」。50を過ぎたオッサンであっても「成長しなさい」と会社は言う。「この歳で成長って、アンタさ」と、冗談めかすものの、メディアも本気でそう言ってくる。
僕はこの「リスキリング」という言葉が、嫌いです。努力するのが苦手だからかもしれませんが、なんか「やらないと取り残される」的なフレーズに聞こえてきてしょうがない。「あなたのスキルに価値がない」と存在を否定されている気もします。
もちろん、新たなスキルを手に入れるほうがいい。できる人はどんどんやればいいとも思います。でも、できない人もいるのだよ。
会社に支配される人生だって、いいじゃん。そういう生き方しかできない人だっているじゃん。「会社のために」って頑張って貢献してる人生も、アリじゃん。好きな会社のために、推し会社のために、で、いいじゃん。
日経の記事は、それじゃダメだと言ってました。それじゃ、優秀な人材は集まらないよ、と。
若いうちは、支配されつつ、ただただ頑張ってれば成長したような。成長の定義が違うのかな?いまの世の中、違うのかもしれません。
されすぎは禁物
喜んで支配されてきた僕も、仕事が理由でうつ病になりました。「支配」は実は曲者で、されすぎると周りが見えなくなる。自分が追い込まれいてることや、自ら自分を追い込んでいることも見えなくなる。支配状態が自分の中で常識になってしまうと、他の誰かに、その状況が「異常値」だということを気づかせてもらわないと、抜け出せなくなる。
僕の場合は、専門家である心療内科医に気づかせてもらいました。自分ではとてもじゃないけど、気づけませんでした。
昨今、社会を大きく賑わせている事件は、こうした「支配」がもたらしていることが多いと感じます。支配されていることが当たり前になってしまうと、「おかしい」と思っても気づけない/言い出せない。支配のその先に洗脳があると思うのですが、洗脳されることはなくても、支配されてしまうことは、生きてると案外多くある気がします。
その典型が、会社や組織に支配される、ということかもしれません。これからは会社や組織が、所属する人を支配してはならない。それは正しい考え方であり、そうあるべきだと思います。
支配からの卒業
「自分を支配しているものからの解放」が、成長はともかく「楽に生きれる技の一つ」だな、と、最近つくづく思います。僕の場合は「会社のためなら自分(の時間や身体)を犠牲にしてでもやるべきだ」という心的支配。今の若い人が聞いたら「マジかよオッサン」って思うんでしょうけど、僕らが入社した30年近く前は、こういう若者が多数いた時代でした。周りはみんなそうでした。
尾崎豊は名曲「卒業」の中で「この支配からの卒業♪」と、学校を卒業する意味で謳いました(彼は青山学院高等部を中退)。僕はまだ会社を卒業するつもりはないのですが、でも、「支配からの卒業」はするべきだな、と。
ちなみに今回の画像は、左側が「支配」右側が「成長」の単語で、生成AIにつくってもらったものです。成長モチーフが「扉」とは、AIも味なことを。成長のために今こそトビラを開け、ってこと?(笑)
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