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「ラヴ・スコール (峰不二子のテーマ)」 と作詞者・槙小奈帆
このところ、80~90年代のCity Popsのカバー曲のサブスク配信が盛んだ。つい先日も何とも懐かしい今井優子の『真夜中のドア』のカバーを聴きながら、一人昭和の街並みを妄想しながらその世界観に歓喜したばかりだった。
思えば昭和の後期に、軒を連ねるように名曲のリリースが相次いだ。この作品『真夜中のドア』もその一曲だ。
そもそもこの作品をインドネシアの歌手 "Rainych" が2020年にカバーしたことでアジアに真夜中熱が再燃し、焚き付けられたと言う話も伝わって来る。Rainychの声質はどことなく、日本で言うところの「初音ミク」のような感じの無機質なオモチャボイスで、正直私は余り好きではない。
だが、こういう声質が流行る理由は何となく理解は出来る。
その後日本ではTokimeki Recordsがゲストボーカルに「ひかり」を招き、この作品をカバーしたが、これがなかなか夜の歌舞伎町のスナック色の強いさびれた感じがして良いのだ(笑)。
同じ曲を2019年に中森明菜もカバーしている。此方は完全にサルサのビートに編曲がしっかりと為されていて、私は好きだ。
こういう挑戦には賛否両論のレビューが付き纏うものだが、元曲通りが良いと言うのであれば原曲だけを聴けば良い。原曲にいかに寄り添いながらもどれだけ跳ね除けて再編して行くのか、それがカバー・ミュージックの妙味でもあるのだから、こういう機会を与えられた歌手や編曲家には思う存分遊んで欲しいところである。
さて、話を「ラブ・スコール」に戻さなければならない。
「ラブ・スコール (峰不二子のテーマ)」、このタイトルを聞く度に私は作詞者である槙小奈帆の陰影を思い出す。かつて私がシャンソン界で伴奏者としてトップに君臨していた頃は、大っ嫌いな歌手のTop3.に名前を挙げても良い程の人物だった。
センス、性格、演歌さながらの歌唱法‥ どれを取っても良いところ等一つもない人だと言っても過言ではない。
知名度のない新人歌手やピアニスト等、槙小奈帆に運悪く共演の出番が当たってしまうと、兎に角とことん虐め尽くされて帰されたものだった。だが伴奏者とは因果な商売であり、一度歌手に気に入られようものならその後の共演の出番にお断りを入れること等、けっして許されない分際だった。
だが、私は最後までこの歌手との共演に断りを入れ続け、どこかでうっかり遭遇しても無視し続けた(笑)。
そんな私が日本のシャンソン界にうんざりして2011年に業界を撤退し、その後偶然Facebookで「槙小奈帆」の名前を見掛けた時には即座に彼女のアカウントをアクセスブロックにした。
色々と面倒臭い人なので、金輪際関わりを持ちたくなかったからだ。
だが、そんな折も折、最近になって「ラブ・スコール (峰不二子のテーマ)」を多くの歌手等がカバーしており、その度に作詞者欄に「Sanaho」とか「槙小奈帆」の名前を見掛けるようになり、私の音楽評論家魂がゾワゾワと疼いたのだ。
既に私は和製シャンソン界を撤退しており、今や槙小奈帆とは上下や同業者のしがらみも無い。ならば音楽評論家として大胆なジャッジメントを加えたところで、双方に何らリスクも無いだろうと判断し、つい最近になって槙小奈帆のCD「ネレイス」を中古で購入した。
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作詞者自らが歌う「ラヴ・スコール (峰不二子のテーマ)」は恐らくこのアルバムの目玉と思いきや、どことなく捨て曲のような状態でアルバムの冒頭に収録されている。
彼女自身の日本語詞は封印され、全編フランス語で槙小奈帆は堂々と歌い切っている。バックを務めるピアニストはおそらく美野春樹氏だろう。どうりで饒舌を超えてお喋りで、うるさい。
しかも肝心の最後の最後のコードがミスタッチによるディスコードになっており、ベースの音がFから半音ズレて「E」を押している。これは明らかなミスタッチだと誰もが分かるのに訂正が為されなかったのは、多分‥ だが槙小奈帆に「この為」だけに二度歌わせ、録り直しをさせるわけには行かなかった業界特有の忖度だったのではないかと思う。
本来のコードとは全く異なるディスコードでラストに突っ込んだままの楽曲は、何とも後味が悪過ぎる。‥だがこういうところにも人柄や音楽のセンスが露骨に出てしまう辺り、本当に怖い。
同アルバムの2曲目以降はもう、聴くに値しないレベルだ。これが演歌のアルバムだと言うならば歌唱力が圧倒的に足りないし、これがシャンソンのアルバムだと言うなら喉にこぶしを込めたような歌唱法に大きな支障を感じざるを得ない。
正規のボイス・トレーニングもおそらく為されておらず、良く言えば「ハスキー」でかすれた本当に耳障りな発声が延々と続いて行くので途中でディスクを止めた。これ以上このアルバムを聴き続けることは、流石に無理だった。
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良い表現とは「過剰な情念を挟まない、客観的かつクールな表現」を指す。その意味で、槙小奈帆の表現は聴き手の自由度を著しく阻害した、カッカとした熱さだけが粘着いた炎のように吹き出すだけで、ただただ風通しが悪いものだと私は感じてならない。
アルバム「ネレイス」の冒頭のフランス語の「ラヴ・スコール (峰不二子のテーマ)」の、どこか「他所様の言語を拝借させて頂きます」‥ 的な引きの表現の方に彼女がもっと磨きをかけることが出来たなら、きっともっと多くのリスナーに愛されたに違いない槙小奈帆の名作(作詞)、「ラブ・スコール (峰不二子のテーマ)」の別バージョンをこの記事の〆に貼っておくことにしよう。
同じ演歌でも、石川さゆりの演歌はどこか爽やかだ。槙小奈帆の重苦しいシャンソン・ド・演歌の声の怨霊を綺麗さっぱり忘れて、和装モンマルトルの世界に浸って頂ければ幸いである。
(※歌手とは、声優さながらその作品に応じた歌い分け、声の使い分けを怠らない人を指す。)
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