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7年通った日本語補習校ももうすぐ卒業

オートマティカルバイリンガルキッズ???

2014年1月に日本を離れ、夫の母国にやってきた私たち家族。
二人の息子は当時、小5と小2の3学期でした。
父親が英語ネイティブだからといって、なにもせずにバイリンガルになることなんて、ありえない!と私は思います。我が家と同じような家庭環境で、日本で暮らしていながら完全なるバイリンガルな子どもさんに育っているのであれば、必ずなんらかの努力があるはず。

カナディアン父&日本人母の友人家庭

二人のガールズ(娘たち)をもつ友人家庭は、カナディアンパパのほうがとてもおしゃべり好きで社交家だけど、日本語はほとんど✗。
日本人ママは日本人でありながら某大手英会話スクールで講師として雇用されてしまうほどの英語力。
家族団らんのときの言語は英語だけど、やっぱり母娘の会話は日本語、そして日本で暮らしていて保育園→公立小学校と進めば、ガールズの言語は日本語が強くなります。
早起きな友人家庭では、カナディアンパパが毎朝、長女に英語の読み書きを教える1時間を設け、中学2年間をカナディアンインターナショナルスクールに編入させました。そして家族でカナダへ移住。
5歳離れた二女はまだ小学校低学年。おしゃべりなパパが大好きな二女は、カナダではもう日本語を保つことのほうが難しくなるほど、英語へとシフトしていきました。

うちのボーイズ(息子たち)の場合

うちの無口パパは、買い物はひとりでできるくらいの日本語ができました。それに、趣味の仲間の日本人友達もいるし、もっと日本語が上達したいという気持ちがありました。
話しかけても言葉を返してこない乳幼児期には、ボーイズに積極的に英語で話しかけることをあまりしてくれませんでした。かろうじて、英語の絵本を読み聞かせ。。。でもそれは一方通行のコミュニケーションでした。
私は、1年間の語学留学から戻ったあと、結婚・出産まで大手メーカーの海外営業部に派遣社員で働いていました。友人ママのような英語力はないけれど、毎日英語を使う仕事で、家庭でも夫にはほとんど英語で話しかけていましたので、無口パパに代わって長男にはお風呂や寝かしつけのとき、一生懸命、英単語を教えました。でも、発音がよくない、と無口パパに指摘され心が折れたし、まだ会話ができない乳幼児期にこの自分のつたない英語で話しかけをすることはできなかった、、、(日本語でのはなしかけはすごくしましたけど)。
この時点で、ボーイズは二人とも、完全なる日本語モノリンガル(言語能力は1言語のみ)。でも「無口パパが英語で話すこともあるから、何言ってるかわからなくても怖くないよ」というスタンス。
そして迎える2014年。ボーイズの英語力がそんな状態で日本を離れたのでした。

なにもしゃべれない、現地学校

この国には「日本人学校」がありません。駐在で帯同してきたご家庭の場合でも、学齢期の子は現地の学校に編入することになります。
先に引っ越してきていた無口パパが、職場の人に編入先小学校候補の口コミ調査をして、ボーイズの学校が決まりました。
引越し先から徒歩10分以内の学校へ…と思いきや、徒歩だと往路はかなりの登り坂で子どもの足では1時間以上かかる学校へ、車で送迎だ、と。
え?!どうして???すぐ近くの学校はだめなの?
無口パパはまず学校Aを決め、その近くに家を借りましたが、いざ入学手続きをすると、学区内に半年以上前から居住していないと入学できない、と言われて、結局、第2希望の学校Bへ入学することになったのです。
学校Bにいた日本人生徒1人は、うちのボーイズたちと入れ違いで卒業してしまい、英語がわからないうちのボーイズたちは、日本語が通じる人が誰もいない学校に、二人っきりの日本人として通学することになりました。
長男はもうすぐ小6。日本では好きなマンガの話しや、当時子どもたちに人気がでてきていたYoutubeの話し、ゲームのこと、ちょっぴりエッチな話し、などなど、友達とは会話を通して友情を深めていた、そんな年頃でした。それなのに、誰とも話せないし、みんながなんの話しをしてるのかもわからない、、、そのころの長男の気持ちを、いまの私が想像して思い出しても、目に涙があふれてしまいます。
二男はまだ小3まえで、遊び方も幼く、走り回って追いかけっこしたり、とにかく動くことが友達同士のコミュニケーション。心細くても、いつも「にぃに」のあとをついていって、「おとうと顔」してふざけてればなんとかなる、そんな様子で、学校への送迎の車中はいつも「にぃに」が話してくれるおもしろい話しを聞くのが大好きでした。
思いっきり会話したいのに、話が通じるのは弟とお母さんだけ、、、長男はきっとそんな気持ちでいたと思います。

※【現地学校】

学校Bは学校Aのように住所についての審査が厳しくなかったのですが、それはこの国が学校ごとに設定している「ディサイル」が大きく関係します。ディサイルについてはまた別の記事で説明します。


日本語補習校

2014年に日本を離れましたが、離れる前に現地に日本語で勉強を教えてもらえるところはないかと調べてあり、日本語補習校、があることは知っていました。
あれから、7年…週2日が4年、週4日が3年(小学部と中学部は曜日が違うので、長男と二男で週4送迎)。3月に二男が中学部を卒業します。
7年通った日本語補習校。その間、いろんな背景でいろんな家庭環境、いろんな教育方針、いろんな親子を見る機会がありました。
これから、そこで出会ったいろんな親と子のお話をしていきたいと思います。

現地学校のあと補習校に通う

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