飛び出せ! 佐久間探検隊
第四十五回 上野芝で幻になりかけた古墳を探検!
ドモドモ。
佐久間探検隊の隊長、佐久間ディックです。
前回は幻となってしまった大塚山古墳の悲劇についてでしたが、
逆に幻になる窮地から救われた古墳があるのを御存知でしょうか。
しかもその古墳がある場所は、大塚山古墳と上野芝駅を挟んで反対側。
探検隊はその古墳を探検すべく、再び上野芝駅へやって来ました。
ホームから階段で改札口へ。
エレべ-ターは専用改札を通るカタチです。
南海高野線の北野田駅と同じ感じ。
改札口は普通ですね。
特に取り立てて言うような特徴もありません。
左奥に見えてるのは、上りホームのエレベーター専用改札口です。
先月もやって来た、出口の案内看板。
先月は西出口でしたが、今回は東出口に向かいます。
明るい雰囲気の東出口への通路。
休憩用にベンチも設けられてます。
乗降客の6割ぐらいは、東出口を利用しているように思います。
左の黄色い看板の場所にエレベーターがあるので、そちらに向かいます。
エレベーターです。
左に見えてるのは、下りホーム用の改札口。
1台のエレベーターをうまく使って、
東出口用と下りホーム用を兼任させてます。
東出口のエレベーターを降りました。
目の前にはちょっとしたロータリーが。
こちら側にも南海バスは発着してます。
堺東駅前-東山車庫前の路線ですが。
左折して歩き始めました。
左に見えてる階段は、西出口側とを結ぶ地下通路です。
駅の自由通路かこの地下通路を使わないと、
西出口方面へはかなりの遠回りを強いられることとなります。
駅から続いたこちら側の歩道は、この交差点で終わり。
この先は交差点を渡って反対側へ移動する必要があります。
信号が青に変わったので、安全に注意しながら渡ります。
今回は渡ってすぐ左折するのですが、
まっすぐ進めば泉北1号線(府道34号線)の歩道になります。
泉北1号線はここから深井まで、上下の車線がかなり離れています。
泉北1号線の構想時に鉄道(現在の泉北高速鉄道)を深井駅付近から直進し、
阪和線に連絡するための土地を確保したからだそうです。
もしその構想が実現していたら上野芝駅は移転していたでしょうし、
泉北方面の乗換駅として栄えていたように思います。
そして鉄道は泉北高速鉄道ではなく、JR泉北線になっていたのかも。
国鉄が赤字だったので、この話は構想だけで終わってしまいましたが。
「幻の未成線」と言えますね。
左折後には歩道を直進していきます。
ちょうど阪和線と並走するカタチに。
途中にはこんな公園も。
後ろにあるのはマンションの駐車場。
駅前ということもあってか、マンションはそこそこ建ってます。
しかし謎なのが、この公園の名前。
「上野芝町フルーツ公園」ですよ。
「上野芝町」は地名ですから気にならないけど、なんで「フルーツ公園」?
果物の生るような樹木は、見当たりませんが。
そんな謎に考えを巡らせながら、進んで行きます。
クルマは結構通るので、歩道から出ない方が無難です。
途中にあった大きな建物は、JA堺市。
駅からそこそこ歩いてますが、コンビニやスーパーが見当たりません。
反対側の西口には、駅前にコンビニがあったのに。
ちょっと生活するには不便みたいですね。
やがて到着したのは、踏切もある大きな交差点。
分かりにくいですが、5差路の交差点です。
それに前を横切る道は結構通行量が多く、路線バスも走ってます。
交通安全に注意しながら、慎重に進みます。
再び阪和線に沿って進みます。
歩道がなくなり、道幅も狭いので通行には注意が必要ですね。
しばらく歩くと右への分岐路が現れるので、そちらへ進みます。
駅前からのお付き合いだった、阪和線ともお別れです。
進んだ先は、閑静な住宅街。
人もクルマもほとんど通ってません。
やがて交差点に差し掛かります。
道は細くなってますが、直進します。
直進した先は、小さな登り坂に。
道幅が狭いので交通安全に注意しつつ、歩きます。
坂を登った先には、どーんと島が。
島のように見えますがここが幻になりかけた古墳です。
いたすけ古墳
と呼ばれています。
フェンスに取り付けられている案内板。
いたすけ古墳は噴丘長が約146メートルで、
百舌鳥古墳群では8番目の大きさを誇ります。
百舌鳥古墳群で8番目の大きさなので、かなり大きく感じます。
なんか時間がゆっくり流れてるように感じます。
よく見ると古墳には何か廃墟があります。
廃墟と言っても古墳とは時代が合わないので、後に作られたものですね。
実はこの廃墟、橋の残骸なのです。
1955年9月、私有地であったいたすけ古墳に開発計画が。
古墳を破壊して、土砂採取と住宅地造成を計るものでした。
古墳を買い取って保護すべきなのですが、
当時の堺市には買い取る予算はありませんでした。
そこで起こったのが市民運動。
寄付金を集めて古墳は買い取られました。
市民運動に参加した人達には、
「大塚山古墳のような悲劇は二度と起こしてはならない」
という想いがあったに違いありません。
しかし寄付金が集まるまでの間に、工事用に橋が架けらましれた。
その橋がこの廃墟なのです。
現在では野鳥や亀の休憩所になってます。
現在のいたすけ古墳は安泰です。
堺市に買い取られ、史跡となったので。
手が届きそうな距離で鴨が泳ぐくらい、平和です。
しかし開発の爪痕は、現在にも残ってます。
それはいたすけ古墳の姿に。
一般的な古墳では樹木が生い茂ってます。
古墳が造られてかなりの年数が経つので、
どーしてもそうなってます。
しかしいたすけ古墳には樹木は少ないのです。
反対側には少し残ってますが、こちら側にはこの2本くらい。
理由は橋が架けられた時、古墳の樹木はほとんど伐採されたからでした。
元々古墳に樹木は生えてなかったので、
完成当時の姿に近づいたとも言えますが。
太陽を浴びながら、古墳の外周を進んで行きます。
石畳の感触が足の裏に心地いい。
やがて外周路はT字の交差点に。
交差点には何やら小山がありますが、実はこれも古墳なんです。
善右ヱ門山古墳という、いたすけ古墳の陪塚である方墳。
他にも陪塚はあったそうですが、現存してるのはここだけです。
交差点は左折します。
交差点にある善右ヱ門山古墳の説明版。
先程見たいたすけ古墳の物と同じような感じです。
どちらも堺市が設置した物だから、当たり前なのですが。
交差点を左折すると、風景はこんな感じに。
交通量はほとんどなく、安心しておさんぽ出来ます。
そうして少し歩くと、急な右カーブが。
カーブには細い道が左へ分かれており、その道へ左折します。
見通しがよくないので、注意が必要です。
左折してすぐ、細い分かれ道へ右折します。
直進しても古墳だから、行き止まりですが。
右折してすぐですが、また左折します。
クランクを行くような感じです。
道は再び古墳沿いになりました。
舗装されてないのですが、これで十分に思います。
遊歩道沿いの木のそばから見た古墳。
百舌鳥古墳群で8番目の大きさなのですが、
そこそこ大きく感じます。
さらに遊歩道を進んでいきます。
後円部にあたるので、道が左カーブを描いてます。
後円部の風景。
数少ない樹木が写ってますね。
遠くに見えるのは、JR阪和線です。
やがて遊歩道は細くなったりします。
で、その先には広い公園が!
まるでタメを作って開放してるみたいですね。
開発がストップされたので、古墳は生き物の楽園となってます。
過去にはタヌキの一家が住み着いてる、
なんてのが話題になった事もありました。
取材した日は昼間だったせいか、見かけませんでしたが。
写真はお堀にいたサギ。
嘴が黄色く口角が目の後ろまであるので、ダイサギみたいですね。
取材は11月でしたので、チュウダイサギでしょうか。
公園の一角にはここが史跡であることを記した石碑と、
堺市謹製の案内板が。
案内板は先ほど古墳の反対側で見かけたのと同じモノ。
フェンスに括りつけられた先ほどのモノとは違い、
こちらは立派な専用の台座に据え付けられてます。
なんかエラく差があるような。
ド平日の真っ昼間だったので誰もいなかった公園を後にし、
遊歩道を進んで行きます。
先ほどは小さかったJR阪和線が、近くなってきました。
さらに阪和線に近づくと、今度は左カーブになります。
カーブの途中には、小さな出口が。
小ぢんまりとしていて、なんだか可愛らしいですね。
左いカーブはなおも続き、遊歩道は阪和線と並走するカタチになります。
ちょうど電車が通りかかりました。
もちろん駅から歩いてきた道も一緒です。
カーブを曲がり終えると、遊歩道の終点が見えてきました。
長かった遊歩道も、残るところあと少しです。
遊歩道の最終コーナーには、小さく可愛らしいベンチが。
古墳のフェンスには、
ここがいたすけ古墳であることをアピールする看板が。
駅からだとこちらに来てしまう人もいるみたいです。
遊歩道の出口。
長かった遊歩道ですが、ここで終点となります。
出口を出ると、駅からの道へ。
探検はここで終了です。
お疲れさまでした。
駅からの道から見た風景。
先ほどの看板、結構目立ってますね。
こうして探検隊は駅からの道を戻り、帰途に就いたのでした。
前回は幻となった古墳、今回は幻になりかけた古墳でしたが、
文化財は大事に後世へ伝えていかなくちゃと、
探検隊は強く思ったのでした。
「上野芝で幻になりかけた古墳を探検!」
おわり。