![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/27998864/rectangle_large_type_2_9d94b6fea38a20930b8e621715a955d2.jpg?width=1200)
“フィクションだと思ってほしい”話
息子が5歳になった。
たぶん私もこれくらいだった頃から、
ことあるごとに母から言われ続けた言葉がある。
「アンタは2人分なんだから頑張ってちょうだいね」
今だと“精神衛生上よくない”と言われてもおかしくないくらい言われてた。
実際この言葉に受けたプレッシャーに負けたりもしてきたが、親になった今、私は母を責める気になれない。
私には兄貴がいるはずだった。
私が生まれる数年前、両親は喜んだだろうな。
母なんか尚更、初めての我が子に対する期待と愛はどれほどのものだったのかは、きっと死ぬまで理解してあげられない。
死産だったそうだ。
こちらから根掘り葉掘り聞く事は、傷口を抉る行為であることくらい、
幼い頃から感覚で分かっていた。
お腹の中でへその緒が巻きついて死んでしまったと聞いた記憶があるが、それ以上はこれからも聞くつもりはない。
私が成人したかしてないかの頃、
「アンタが生まれるまでと、生まれてからもしばらくは、毎晩泣いてた」
とこぼしたが、それ以降も泣いていた事くらい知ってる。
いつの間にか私は成人し、結婚し、2人の子の親になった。
いつかも似たような事を書いたが、
“意味が分かること”と“理解すること”は、似ているようで全く違う。
親になって本当に“その悲しみの重さ”が分かる気がするが、そういう意味では、元気でいてくれる2人の親である私は、やはり母の気持ちを本当の意味では理解してあげられないだろう。
ただ、“戻ってこない子の分まで生きて欲しい”と言いたくなる気持ちくらい分かるようになった。
「アンタは2人分なんだから」
「アンタは2人分なんだから」
右も左もわからない内からこう言われ続けると、不思議なことが起きる。
「僕は兄貴と2人分だから、2人で頑張らなきゃ」
なんの疑問もなく、こう思っていた。
ここから先は、嘘みたいな話だと思われるだろうが本当の話だ。
いつしか友人たちと真面目に話せるようになって初めて気付いたが、
“私以外はそうじゃないんだ”と知って、カルチャーショックを受ける。
頭の中で、2人〜4人がいつも話し合っていた。
顔も知らず名前もない兄を思い浮かべる時、誰も教えてくれなかったから、もう一人の自分を作り出し、本来の自分との、
“同じ顔をした2人”が、頭の中で話し合うようになった。
時代の影響もあってか、
“ドラゴンボールの精神と時の部屋”みたいな真っ白い空間で2人はあぐらをかいて向かい合いで座り、ちなみに私は、いつもそれを天井位の高さから、客観的に見たり聞いたりしてた。
そう考えると、ある意味3人だったのかもしれない。
ただこれは10才前後までの話で、あやふやにしか覚えていない。
はっきりと覚えているのは思春期以降。
いつの間にか私の頭の中には「赤・青・黄・緑の4人」がいた。
同じ場所だったが、着ているものの色だけが違う4人だ。
同じ顔した奴らが、いつもあーだこーだと話し合っていて、これも同じく、それを天井位の高さから、客観的に見たり聞いたりしてたから、5人だったのかもしれない。
似たような話でよく言われる
「頭の中の天使と悪魔」は私にとっては少なかった。
“2人では対立するだけで解決しない”という経験を経た上での4人だという感覚はあったから、
“2人だけじゃ足りない”とずっと思ってた。
10代半ば頃だったか、実家の本棚に
この本があり、初めて自分みたいな人を見つけた気がして、読み潰した。
久々にこの表紙を見たが、今見ると少々ゾワっとすらする。
「“グラップラー刃牙”のガイヤの話に出てきた多重人格者」
こう言うと“アレか”と思う人もいるかもしれない。
驚かせたり怖がらせる気はないし、今はもう彼らはいない。
ある程度思い出せるが、20歳か21歳位のころ、別の経験をしたあとで、彼らは消えた。
きっと今読んでくれている人が感じているように、
当時付き合っていた彼女なんかにこの話を告白しても
「またまたぁ〜」
ってなもんだったから、免疫はある。
信じて欲しいわけじゃない。
今まで本当に限られた人にしか話さなかったし、気味悪いと思われたり、何かぶってると思われたくなくて黙っていたが、自分で読んでも気味悪いな笑
今回はなんかノリでガーッと書いてしまったが、
これをもっと煮詰めて、キナリ杯に出せばよかった笑