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時給300円だった男が、時給30000円になり、時給3000円になり、どうなる。
2007年1月、私の初任給は8万5千円だった。
1日しか休みがなく、徹夜徹夜の連続だったにも関わらず、だ。
当時の私は23才。
それでもやめようともやめたいとも思わなかった。
もう13年ほど昔の話になったが、今とそう大して変わらない。
周りは口を揃えてこう言っていた気がする。
「大丈夫?」
やめろとか頑張れとかではなく
「大丈夫?」
そんな言葉しかかけられない私は、どんな顔をしていたんだろう。
この頃の私にとっては、こんなことどうでもよかった。
ちっぽけな覚悟だけが私にはあった。
〜押しかけ女房〜
この言葉を知っている人はどれだけいるだろう。
押しかけ女房とは
男性ともしくはその家族との合意無しに一方的に女性の意思で女性が男性宅に同居する様をいう。
私は、インテリアデザインという世界に身を置きたかった。
モテたいからとかカッコいいからという理由もそれなりに含んだ上で、それでも自分にはこれしかないと信じて止まなかった。
人よりも少し出遅れた自覚のある私は、必要以上に焦っていた。
同級生たちが夢に向かい走って行く中、私は2年ほど無駄にしていたから。
今思うと私の視野は極めて狭く、そしてバカだったが、バカなりに彼らに追いつきたいと、負けたくないと思っていたのは嘘じゃない。
その気持ちにこそ嘘はなかったものの、
家族が。友達が。彼女が。
持っているものを手放せない程度には弱気でバカだった。
そしてそれと同時に、
都会のデザイナーたちと戦っても勝てそうもない。
戦いも知りもせず、そんな風に考えてしまう程度にもバカだった。
飛び出す覚悟まではない私は、地元を駆け回った。
田舎だとはいえ、県庁所在地である私の地元には、デザインを生業とする人たちも、数える程度にはいた。
説明するまでもないが、需要がなければ供給もない。
募集もないのに、あちこちの事務所に連絡し突撃を繰り返す。
両想いになどなれる筈もなく途方にくれた私は、当時通っていた学校の非常勤講師の先生の事務所のドアを叩く。
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「僕はどうしたらいいんでしょうか」
正直 “あわよくば” という気持ちがあったのは認める。
ただ、のちに私の師匠になるこの先生もバカではない。
「俺は人は雇わないよ」
聞いてもいないのに、ずっと前から予防線を張られていた。
先生は一匹狼。
家庭もなく、趣味もない。
好きなのはデザイン(仕事)だけで、朝も夜もなく、休みもなく、ただ現場とデスクと自宅を行き来するだけの毎日。
儲ける気すら皆無で、100円の物を90円とかで売ってしまう。
よく言えば芸術家タイプ、悪く言えば病的。そんな人だった。
今思うと私の“デザイナー像”はここから来てる。
“必要以上にストイック”
こうでなければ良いものは生み出せないんだろうとすら思っていた。
数年後、私はこの人の本質を理解することになるが、今思うと人付き合いが苦手なだけで、本当は人と繋がりたい、そんな人だったように思う。
そんな事とは露ほども知らない23歳の私は、さすがに泣き落としなど使おうとは思ってはいなかったが、不意に滲ませた私の悔し涙が、先生に届いてしまった。
「安定した給料なんて出せないぞ。それでもいいのか?」
「そんなのどうでもいいです。勉強させていただきたいだけです。」
「自分の分くらい自分で稼いでくれないと困るぞ」
「もちろんです」
自宅までの帰り道、何度心の中でガッツポーズしたか分からない。
“俺はインテリアデザイン事務所で働くんだ!”
無知とは本当に恐ろしい。
だからこそ飛び込めたが、彼はまだこの先に待ち受ける困難を知る由もなかった。
〜初出勤当日〜
「とりあえず明日来てくれ」
そう言われていた私は、ソワソワする気持ちを抑えて事務所の階段を登る。
1m×2mのデスクが、前と後ろにひとつずつ。
ここがこれからの僕の職場。
半年後にはMacが4台並ぶことになるこのデスクたち。
文房具やらパソコンやらの設定に勤しむ。
「夜も出れるか?」
口数の少ない師匠は、必要最低限しか喋らない。
「もちろんです!」
「よし。じゃあ○○(美容室)に21時に集合な。」
「ガッテン承知です!」
そうは言ったが、正直頭の中は「???」だった。
“インテリアデザイン”というものは、オシャレで、カッコよく、モテて、華やかで、選ばれた人間だけがやれるもの。そんなイメージだったから。
伝わらないだろうが、聞ける空気でもなく時だけが過ぎた。
「そんな夜中から何すんの!?」
数時間後、彼は新たな世界のドアを開くことになる。
〜美容室の解体初日〜
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奇跡的に残っていたが、おそらくこれがその翌朝(昼?)の光景。
ついさっきまでここは、濃霧の様な埃に包まれていた筈だ。
窓の外を眺める誰かの背中が、全てを物語っている。
多くの店舗工事の場合、真昼間から壊したり作ったりは出来ない。
埃が舞い、騒音は大きく、周りの方達に迷惑をかけるからだ。
戸建だったり新築だったり、そうでない場合ももちろんある。
だけどあなたの周りでも、気がつくと店が変わってるなんてことがないだろうか。
そう。
私のような人たちが、あなたが寝ている時間を使って、壊したり作ったりしている。朝には何もなかったかのようにしながら。
ビルから許可された22時から朝の7時(31時)までの間、私は床のコンクリートをひたすらに砕いていた。
というか、完全に砕かされていた。
結論から言うと、勝手にキレイな想像を膨らませていた私が悪い。
それは認めるが、私は初日だからとオシャレな格好をしてた。
それなのに。
夜の21時から準備を進め、騒音作業が許された22時からヨーイドン!
触ったこともない重い機械と「ここからここまでやれ」という課題だけホイッと渡され、見たことも聞いたこともない埃と騒音と振動と汚れの中、私は朝を迎えた。
想像出来ないだろうが、自分の腕が何十本にも見えるような振動を味わったことはあるか?
数時間の間、1秒も鳴り止まない、目に見えるほどのドドドドドド!をジョジョ以外で見たことは?
オシャレ着の汚れなんてどうでもよくなる位グズグズになった事は?
“デザイン”の延長線上にコンクリートを我が手で砕くイメージを抱いた事は?
コンプライアンス
全くもってドヤ顔で語るつもりはないものの、
この頃はそんなもの、聞いたことも見たこともなかった。
言われたらやる。それが暗黙のルールだった。
「死ぬなー!目を覚ませー!戻ってこーい!」
そう揺さぶられる程度の振動を、日をまたぐ形で自分の手元から味わいながら、私は考えていた。
“俺はもしかしたらとんでもない世界に足を突っ込んだのかもしれない”
御名答。
今思うと初日で気付くとは、なかなか優秀だったのかもしれない。天晴。
〜デザインとは〜
「デザインとは何か」なんて、それは10数年たった今でも私には分からない。
ただ、この業界のあちこちに今までいて、ある程度理解したことはある。
「料理」などという言葉と同じく、ひたすらに広く深い意味をもつという事だ。
正解などきっと人の数と同じだけある。
少なくとも、私のように田舎でデザインを看板にして食っていく為には、華やかなだけでは成り立たない、のっぴきならない事情があった。
せっかく「料理」と書いたから、ここでは少しだけ飲食店で話そう。
いつでもそうだが、知らない人にこっちの言葉で言ったって伝わらない。
大して知りもしないが、きっと飲食店にもこんな風な役割分担がある。
□ホール:注文を受けたり届けたり、説明したりの役割
□メニュー開発:素材や分量やレシピや予算まで考える役割。
□調理:頼まれた料理を、調理し提供する役割。
□経営:価格やシフトや出納やら戦略やら。
「ワンオペ」なんていう言葉も取り沙汰される昨今だが、何も飲食業界に限った話ではない。
□営業:広報的な事や、売り込む業務、接客など。
□設計(デザイン):計画を練り、お客様を納得させ、図面化したり見える化したりするなど
□施工(現場監督):図面や計画通りに工事を進めるなど。
□経営:予算管理を含めた管理と監理など。
会社や組織によって割り当てこそ様々だろうが、きっとそんなに違わない。
〜 ぜーんぶやらないといけなかった 〜
な゛のに。
た゛のにっっ!!
なぜだか初任給は8万5千円だったw
搾取されていたのかもしれないが、今となってはどうでもいい。
もちろん最初は右も左も分からず迷惑を掛けたし、会社に貢献出来てなんかいないという自覚があった。
私はだからこそ、がむしゃらに頑張れた。
ちなみに。
彼の擁護のために書いておこう。
翌月は9万円
翌々月は9万5千円
翌々々月は12万
最初の一年で私に与えられた休日は30日未満だった。
どうだい、擁護になっていないだろう?
まてまて、ここからだ。
この頃、先の見えない中で私はこう考えた。
「1日は24時間あるんだから8時間×3=3人分やってやる!」
決定的にアホだ。
本当にやってしまう程度にはアホだった。
誰にも出来ない事が出来るようにならねば!
と3DCGを独学で習得。
田舎ではそれなりに重宝がられ、いいバイトになった。
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更にその延長線上で、我流で合成写真も習得。
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そして更に、図面も書けるようになりたくて、図面も習得。建築士も。
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しかし「図面なんて時間かかって割に合わねぇ〜」と手書きも習得。
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〜 こうして 〜
現場の使いっ走りから歩き出した彼は、現場監督 兼 デザイナー 兼 3DCG屋 兼 合成写真屋 兼 図面屋 兼 建築士 兼 スケッチャーという、なんとも奇妙な肩書きを身につけ、20代後半には、一時的にではあるが時給30000円という時期すら。
いつしか収入だけはなかなかのものになった。
万能になりたいと願った彼は、仕事が出来る男になりたかった彼は、
なんでも出来るようになったと錯覚してしまう。
“浅くて広いだけ”な事に気付きもせずに。
noteでも同じだ。
私は器用貧乏。別名「あさくてひろし」だ。
〜 20代最後の年 〜
コーヒーを相棒にして、ただ目の前に並べられた仕事を手際良くこなしていく私ではあったが、もうこの頃から「自分が何者なのか」は分からなくなっていた。
手元にある自分の名前入りの様々な会社の名刺は通算20枚を超え、30歳を迎えるその年、本当にちょっとしたきっかけで、会社をやめようと考える。
〜これを機に独立だいっ!!〜
なんの戦略もなかったが、やれると思っていた。
自分だけで全てやれるという妄想に取り憑かれていた。
あっさり済ますが、あっさりつまづいた。
技術や知識や経験に於いてはそれなりだったが、「経営」に関しての知識は限りなく0に近く、そしてそれを学ぼうにも両手に荷物を持ち過ぎていて、同時に誰かを頼る能力も限りなく0に近かったからだ。
〜 逃亡 〜
このことがあって、彼は業界を嫌いになってしまった。
失ったお金は私を大して苦しめることこそなかったものの、私が躓いた時、優しい言葉をかけてくれる人はたくさんいたが、手を差し伸べてくれる人はいなかったからだ。
業界の圧力ってものを身を以て感じた時期だ。というのが正直な気持ちだったが、今思うと皆それぞれに避けられないしがらみがあったんだろうなと、アンニュイな気持ちにもなる。
まぁただ今思うといよいよ他力本願というか他責というか、我ながら情けない。
半ば逃げ出すような気持ちで、現在住む他県に移り住む。
私はつらいことと向き合わず逃げたのだ。
〜 そして現在 〜
尻すぼみだとは思いつつ、もうそろそろ胸焼け気味だろう。
むしろこんな所まで読んでくれて、本当に感謝する。
本当に心からありがとう。
ここに移り住んで約7年、この間にも色々あった。
本物のデザイナーに出会えたり、仲間を見つけたり、心を壊したり、体を壊したり、デザインという言葉に幻滅したり、まぁ色々だ。
だけど今は元気。
いつしか妻を娶り、犬を迎え、息子と娘が生まれてくれた。
自分で仕事も始めた。
泣き言ばかりは言っていられない。
今回のコロナ騒動も相まって、今また大きな岐路に立っている。
実を言うと、最初に勤めた事務所の借主は、今や私になった。
でも、このまま維持できるかどうかの瀬戸際まで来てる。
タイトルも少しだけ嘘で、ここ半年ほどの時給は3000円に満たないだろう。
ま、山あり谷ありを繰り返してるという表現がしたかっただけだ。
そしてnoteを始めた
Instagramは皆がキレイな面だけで語り合ってるようで続かなかった。
YouTubeもやりたかったが、勇気がまだ出ない。
消去法のようにも思えるが、私は勝手にnoteに縁を感じてる。
今はnoteと向きあう毎日がめちゃくちゃ楽しい。
きっと初めて素直な自分自身としっかり向き合っているから。
ふと時間がある時に、自分の記事を見返して笑ってしまう。
自分では仕事ができると思っていた事はもう書いたが、超弱虫w
弱くてひねくれてて、遠回しで何言ってるか分からず、その癖いっちょ前にそれっぽい事を書こうとしてる。
noteにいる自分こそが自分だ。
きっと、こんな風に感じているのは私だけじゃないだろう。
これを読んで共感してくれる人とは絶対に仲良くなれる気がする。
職業も年齢も関係ない。
色々な人がいてみんな違うからこそ、この世界は楽しい。
矛盾しているようだが自分で自分を演じることに、私は疲れてしまった。
時代はシフトしていて「あの頃はこうだったから今は云々」なんて、私が毛嫌いしていた大人たちのようにはなりたくないものの、たまに漏らすくらいいいだろう。
私が嫌ってきたあの人たちも、きっと今の私と同じような気持ちだったのかと思うと、もう一度肩を組んで語り合いたい。
こんなもんさ。
この記事を書き始めた瞬間から、そして今この瞬間にも、日本のどこかで頑張っている誰かのお父さんや、誰かの彼氏、誰かの息子、そしてそれを待つ人たちの事をなんとなく想いながら書いてみた。
長い間読んでくれてありがとう。
最後にとっておきのオチを用意しておいた。
先月、ついに月収は8万5千円になって、原点に帰ってきましたとさ。
チャンチャン。
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