見出し画像

「研究っておもしれぇ!」を教えてくれた。

罪深い著者だ。前野 ウルド 光太郎氏。前作の「バッタを倒しにアフリカへ」は25万部も売れたらしい。だから知っている人もいるかもしれないが、とんでもなくおもしろい前作からさらにパワーアップした新刊が手に入った。

前作を読んでしまったから、私は大学院に入学することを決断したといっても過言ではない。「研究っておもしれぇ!」が、著者の熱意が、読みやすい文章でビンビン伝わってくる。

そして面白いからと読み進める。「あーおもしろかった!」と読み終わった頃にはサバクトビバッタの生態について異様なほど知識がついている自分がいたのだ。
これは衝撃的だった。バッタのことなんて勉強したくもないのに(失礼)、自然と知識を詰め込まれたといった感覚。なんだこれ?こんなこと初めてだ…。

知識というのは自分自身が追いかけて手に入ると思っていた。この著者は心の底から自分の研究を楽しんでいて、真剣になって取り組んで、だからこそ上手くいかない時は本気で落ち込んでいる。研究についての本なのに著者の人間味があふれまくっている。

そう。感情移入してしまうのだ。感情移入してしまうから没入感がやばい。だからこそ自分に関係のない研究なのにも関わらず楽しいって勘違いしちゃうのだ。
無関係のただの読者である私でもこんなに楽しいのだから、著者本人の楽しさは尋常ではないのだろうと想像した。

そして不覚にも思ってしまったのだ。「うらやましい」と。
大学院などでやる研究はマジメな人がマジメにやるものだと思っていた。
もちろん、そうなのだろうが研究とはそれ以上に熱意が軸にないと成立しないのだと思った。

この本の著者は研究に関わる生活全て(砂漠で野宿や、現地での洗礼等)を異世界転生モノと言っている。おそらく辛いことやしんどかったことも多いだろうに、まるでゲームや漫画のように表現している。これがその熱意の真髄ではないだろうか。

主人公である「自分」という物語を生きているから、いつでも正面から受け止めて前向きに立ち直れるのではないだろうか。そして何より楽しさが溢れ出て、無関係の他人にまで伝播しているのではないのだろうか。

そして問いただしてみる。
では自分自身は「自分」という物語を生きているのか?

このようにして私は直接ではないにしても、この本に大きな影響を受けて大学院に行く決断をしたのだった。
だって研究が面白そうなんだからしょうがない。
自分という物語を生きてみたくなったのだからしょうがない。
これはもう、諦めるしかない。

まったく。罪深い作者である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?