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経営者に向いている人、いない人。
私は一応、小さいながらも14年間経営者をしてきた。今日はその中で感じたことを書こうと思う。
経営者に向いている素質とは何だろうか?
ビジョンがしっかりしている人?
財務バランスを考えられる人?
皆を引っ張って行けるリーダーシップ?
そもそも仕事をこなせる能力?
どれも正解だろう。そして能力なんて複数必要で、多ければ多いほうがいいに決まっている。しかし経営者において「これだけはないとダメ」という最低限の要素はいったい何だろう?
それは信じ切れる能力、もしくは疑い抜く能力だと思う。ちなみに私はどちらも中途半端なので、経営者には向いていないと自覚がある。以前、従業員を雇用していた時に思ったことがある。それは、
すべてを信じ切れるバカな善人か、すべてを疑う賢い悪人でなければ経営者は続けられない。
ということだ。これは自分が経営者になるまで分からなかったことだ。従業員との信頼関係についてだが、ほとんどの経営者はその中途半端な立場にいる。時に善人になったり、悪人になったりするものだ。しかしそれではダメなのだ。器用にやっているようでも必ずミスをする。
疑うべきところで信じ、信じたら裏切られる。そういうものだ。
経営者の素質がある人は善人か、悪人のどちらかであり続けられる人だ。
人を信じると決めたら信じ抜き、疑うと決めたら徹底的に信じない。
まるで荀子と孟子の性悪説・性善説のようである。思想の話をしたいわけではないが、古くから人の善悪はテーマとして興味深いということであろう。
私は来春から大学院に進学するのでそこで一旦、経営者はやめる。もしいつかまた経営者をすることがあり、そのときに善人と悪人どちらかになれと言われたら「悪人」と即答すると思う。
その理由は楽だからだ。己の本質に近いと知っているからだ。「すべてを疑う賢い悪人」と先述したが「賢さ」とはある意味、テクニックと言い直すことができる。つまり後天的な努力でどうにかできるかもしれないのだ。
その「賢さ」は話術であったり、人当たりであったり、優しく接することであったり様々だ。言い換えれば人心掌握術。これさえ長けていれば、おそらく経営はうまくいく。
そしてバカな善人になるのは無理がある。なぜならそれは才能だからだ。すべてを信じるというのは、疑いを持っても気づかないでいれる無神経さと何かが起きても傷つかないでいれる鈍感さが必要だ。
それは後天的に身につくものではないと思う。しかし、人の心とは不思議なもので「善くありたい」と思うものだ。善くありたいことが目的なのであれば、従業員でいるほうが簡単である。善人の経営者であることはとても難しいことだ。
私は少なくとも善人の経営者になってみたい気持ちはあるが、おそらく不可能であろう。もしあなたの上司が「バカな善人の経営者」ならば、その方はとても稀有な存在なので大事にしてもらいたいものだ。