当たり前のとても大切なこと。時間は有限だから「今」を生きよう
長男が小学校へ入学してから2週間。
直接関係は無いけれど、自分の中で色々な変化があった。
まず、時間は有限であり、日々のタスクは永遠に終わらないと知ったこと。
本当に当たり前のことだけれど、自分の事として「本当に知った」という感じ。
専業主婦の今、「仕事をしていないのだから忙しく無いとダメ」という訳のわからない強迫観念的な思い込みと、実際に「家事はやってもやっても終わらない」という事実の間で、何を目指しているのか分からなくなってしまったまま、目の前のタスクに追われていた。永遠に届くメールの返信をしているように。これは永遠に終わらない。
この「今」こそが、私の人生。
だから、「今」に集中して、「今」を充分に味わうことにした。
幸い、家にはいつも1歳の娘がいる。「今」を楽しむのに格好のチャンスだ。
その結果、変わったこと。
子どもたちの遊びの時間を一緒に楽しむことにした。
具体的には、長男を小学校に送り出した後の30分。
娘ふたりと、庭で水やりをしたり鶏の世話をしたりする。
生き物の世話は良い。
可愛がる姿に、私もとても優しい気持ちになる。
そして、長女を園に送った後、そのまま園庭で1歳娘と存分に遊ぶ。
毎日借り切り。
木陰の園庭には蟻がいて、草花が咲き、鳥の鳴き声がする。小さな宇宙。ここに全てがある気がする。
泥や水で集中して遊ぶ娘を見ていると、本当に豊かな気持ちになる。
この素晴らしい季節に、晴れ渡った空と山をぼんやりと眺めていると、幸せだなあとしみじみと感じる。
午後の早い時間に1年生になったばかりの長男を小学校に迎えに行く。
そのまま、土手を散歩しながら、道草して家まで帰る。
虫を見つけ、捕まえて、目を輝かせる。
学校のこと、友達のこと、虫のこと、ドラゴンボールのこと、何でもかんでも怒濤の如く喋り続ける。
教育ってこういうことなんじゃないか。
子どもの集中を見守り、邪魔をしない。
できる限り、最後までやり切らせてあげたい。
本人が納得するまでやり切ると、本当に満たされた顔をする。駄々もこねない。
子どもの話をちゃんと聞き、一緒に話し、笑い合う。
後のことはなんとかなる。
これまで追われるようにしていた家事をやめたのに、驚いたことに、部屋はこれまでよりも片付いている。