考えたこと

1997

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嫌なことへの解決策は、逃げるor慣れるの2択がある

嫌なことに対しては、逃げるor慣れるの2択がある。 例えば、学校に行く/会社に行く ということは、ほとんどの人にとって気が進まないことだが、多くの人が毎日普通にこなしている。 その理由は、「体が慣れている」からだ。 短い間隔で特定の物事が起こると決まっていると、それが嫌なことであっても、案外人は耐えられる。 いちいち「嫌」とか考えず、気づけば疑問さえ持たず、ある種脳死状態で取り組めるようになる。 これは生物として、与えられた環境に適応しなければ淘汰されてしまうことを、体が

    • くだらないと思うことリスト

      ・不幸自慢ばっかりする人 いかに自分が不幸な人生だったかを人に話しても、なにも物事が前に進まないから。 聞く側は相手が求めている言葉を探すのに必死。 何だこの時間。 しかも少しでも返答をミスるとヒステリックを起こされ、そのままGAME OVER。 ・タオルをたたんで保管する たたむ意味がないから。 タオルは使うとき当然クシャッとなるので初期状態で畳まれている必要はない。そしてそのまま洗濯機に放り込まれる。ならたたむ必要はない。でもなぜか畳んでしまう。ぼくも。 ・医師/教師

      • 愛を受けて育った人間は、自分もまた愛に縛られる

        すごく偏見を言うが、周りからの愛情をたくさん受け、多くの人に助けられて育った人間ほど、決断力がなく、抽象的なことを言い、誰が定義したのかもわからない正義を振りかざしている印象がある。 愛情を注がれれば注がれるほど、常識から外れた選択をとりにくくなる。 自分に与えてくれた愛情を裏切ることが出来ないという感情から、周囲の共通項を抽出するような生き方をしてしまう。 誰にでも優しくあらないといけないと囚われ、常に性善説的な発想で世の中を生きていく。 これは客観的に見れば、明らかに

        • 穿った思考に触れることがメンタルを安定させる

          他者のnoteを見るだけで割と満足している。 フレックスを利用して朝7時に出社すると、だいたい誰もいない。 なので後ろ見される心配がないので、出社直後にフォローしている人のnoteの新着がないかを見る。 新着があり、noteを読んでるときは最高の時間だ。 やっぱそういう疑問持つよなー、とか思いつつ。(知った感じが失礼) 学生の時は数学関係のnoteを呼んだり、新卒のときは仕事関係のを読んだり、その時々の自分のイベントに関連したものを読むこともあるが、結局は「考え方」のよ

        嫌なことへの解決策は、逃げるor慣れるの2択がある

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        • 日記or考えたこと
          7本
        • 仕事関連
          3本

        記事

          他人に依存すべきか

          当然ながら、ヒトとは良い関係を気づきたいと思う。 しかし、「良い関係」ってなんだろう。 「良い関係」が、お互いの隅から隅までを知ることとは限らない。 ぼくはある程度、「つながり」を意識して生きてきた。 一緒にいる人とは「つながっている感覚」を求めてきた気がする。 しかし、つながりすぎるのは良くないと思うようになった。 10ではなく8で留める。そういう感覚を持つようになった。 打算的な言い方をしてしまえば、リスクの回避のためだ。 周りに頼れる人が誰もいなくなっても、一人

          他人に依存すべきか

          悲観の無意味さ

          生まれで9割が決まってしまうことへの悲観 ぼくはよく悲観する。なぜか。 これまでの人生の中で、自分の努力に見合った成果が出なかったことが多々あったからだ。そしてその原因の大部分が、単に生まれに依存することに気づいたからだ。 大学生くらいまでは、上手くいかないことがあると、自分の努力不足と思い、責めていた。 それは、基本的な考え方を形成する小中学生時代のほとんどの時間は野球に費やしており、その環境が極めて昭和的な指導法だったことに起因する。 上手くいかないことは、「気合が

          悲観の無意味さ

          戦え、戦え、戦え

          「もうダメだ」と思っても、手を動かし続けるしかないのだ。 何もせずには死なない。楽には殺させない。 戦って返り血を浴びせるのだ。一矢報いるのだ。 ぼくはどんな窮地に立たされても、最期の最期まで行動し続ける。 世の中をぶっ壊したい。 常に反逆者でありたい。 こんなところで屈するなら、なんでもっと早くにくたばらなかったんだ? いいか?剣を持て。立ち上がれ。お前にできることはそれだけだろ? 「もうダメだ」と沈んでいる暇なんてない。 お前はまだ、行動できる。それだけの環境と余力

          戦え、戦え、戦え

          落ち込んでいる人を見るとき

          友人、後輩、恋人など、身近な人が落ち込んでいたら、どう接するのが正解だろう? もしあなたが落ち込んでいるとき、どう声をかけられたいだろう? これはよく考えるテーマだ。 せめて自分と同じような悩みを持っている人くらいには、その心を軽くしてあげられる人でありたいと思うが、そんなに上手くはいかない。 もちろんここら辺の話は、その人の人生経験や性格によって最適解は変わるので、あくまで考察の域を超えない。 そういう変化していくものだから、現時点でのぼくの答えを残しておこう。 ぼ

          落ち込んでいる人を見るとき

          居場所を求めている/諦念

          居場所を求めている 自分はどこに属すべき人間なんだろうと考えることがある。 ストレス耐性が弱い。 だから、クズの集団に引き寄せられてしまう。 そこには努力という概念が存在しないから、大きな喜びを感じることは出来ない。 でも逆に、何をしなくても安心できる。なんの資格が無くても、その場に存在できる。 何事も深く考えるのが性分で、じっくり考えるのが好きな性格と思っていた。でも実は何も考えたくないのかもしれない。 余計なことを考えないために、何かを考え続けているのかもしれない

          居場所を求めている/諦念

          前を向き続けたい

          「応援されない環境でも前を向いている人」 これがこの世で最も尊敬に値する人間の一人だと思う。 それがどれだけ難しいことだろう。 応援されるような環境での努力は、正直そこまで苦では無いと思っている。だからぼくは、 東大生が「受験勉強は地獄でした」とか、 プロ野球選手が「誰よりも苦しい思いをしてきたから今がある」とか、 ルックスのいい人が「可愛い人には可愛い人なりの苦労がある」とか、 そういう意見にはあまり同情できない。 計算が得意な人が計算問題を100問解くのと、苦手

          前を向き続けたい

          幸せな日は、人生で一日だけあればいい

          幸せな日が人生で何日あってほしいか? 理想は、もちろん毎日だ。 でもぼくは毎日幸せに生きるなんて、到底できるとは思わない。 一生に一日だけ幸せな日があって、その日を思って日々頑張れるなら、それで充分だ。 日本での自殺者は毎年2万人を超える。 25年間過ごしてきて思うのは、そんな国の中で、自分のような人間が、まともな大学に行き、まともな職について、今まともに暮らせているのが奇跡だということだ。 いつどこのタイミングで、その年間2万人の中の1人になっていても、不思議ではなか

          幸せな日は、人生で一日だけあればいい

          今更幸せになりたいなんて/深い関係/ハーブティー

          今更幸せになりたいなんて こんな性格に生まれておいて「幸せになりたい」と思うのが間違っているのかもしれない。 自分に期待したって、世の中に期待したって、結局何も生まれない。 自分の思い描くような一日を過ごせた日が、或いは自分の思い描くような世界がそこに広がっていたことが、これまでの人生で何日あったか? そう思うのに、 何回でも期待して、何回でも失望してしまう。 期待するのをやめたい。幸せになりたいと思うことさえやめたい。 幸せになりたいと思う気持ちが、自分を焦らせ、

          今更幸せになりたいなんて/深い関係/ハーブティー

          うつな時に読む漫画「おやすみプンプン」

          「おやすみプンプン」という漫画。 https://bigcomics.jp/series/ed6abb572575e 自傷、SEX、自己嫌悪、暴力、宗教など、 否定的に捉えられやすい内容を、鮮明に描いている。 そういった内容にフォーカスした漫画は案外多いが、共感できるものは少ない。 「なんか違うんだよな。ただ刺激的な描写を使いたいだけなのかな」 と思うことが多い。 見せ物みたいな描き方というか。 お前らこういうの好きだろ?みたいな。 一方、おやすみプンプンは、とても現

          うつな時に読む漫画「おやすみプンプン」

          夜の公園に行くとき

          夜、家で一人で考えことをしていると危なくなるときがあるから、そういうときは好きな音楽を聴きながら、公園に散歩しに行くようにしている。 23時くらいでも、案外ベンチに座ってる人いるよね。 あの人たちは、何を考えて公園に来てるのかな。 何か悩みがあるのかな、とか勝手に想像する。 人生に疲れている人たちなのかな? ベンチに座っていた人が立ち上がって公園から出ていくのを見るとき、少し寂しさを感じる。 明日を迎えるために、あの人は家に戻ったんだな、と。 ぼくはこの場にずっと居て

          夜の公園に行くとき

          浪人時代の思い出

          関わった人達を振り返ってみる浪人当時、18-19の歳。 田舎からはるばる良い教育環境を求めて都会に渡り、全国どこでもあるスタバで毎日を過ごしていた謎の時代だ。 初め2か月くらいは真面目に予備校に通っていた。 でも、予備校の隙あらば金を搾り上げようとしてくる商売感と、そこにジャラジャラとお布施しまくる周りの人間に、なんか違和感を感じた。予備校に勉強に来ている以上、彼らの行動は正しいのだけれど。 なんか人間ってホントくだらない生き物だな。 どこに居たってくだらない。地球

          浪人時代の思い出

          生きる希望が見つからないとき

          自分には何ができるのだろう?一般的には、歳を重ねるにつれ「できること」が増えていき、自分に自信がついていく。 しかしぼくの場合は逆だ。「無理だったこと」が増えていき、自分に自信が無くなっていく。何のために生きているんだろう?と思う時間が増えていく。 もちろん生きることに意味なんてないし、生物としては子孫を残して死ねばそれでok、という話でしかないのは分かっている。 だが生きている以上、自分に自信は持っていたいし、ぼくは何かを達成できる人間だ!と思って生きていたい。そっち

          生きる希望が見つからないとき