「ゴドーを待ちながら」著サミュエル・ベケット〜自分ごとのように
不条理演劇の金字塔らしい。
そもそも不条理ってわからない
ただ、ゴドーという人物を待つ
浮浪者のヴラジーミルとエストラゴンの二人の物語
エストラゴンが履いてる靴が合わず
足が痛くて靴を脱ぐシーンがある。
わずかな言葉なのに心に響く
シンプルな戯曲の台詞が
怖いくらいに
途中、ゴドーを待っている二人の前に
主従関係のポッツォとラッキーがあらわれるが
去って行くと、やっぱりゴドーを待つ二人ぼっちなのだ
沈黙の後、
セリフの行間に
自分の心情が入っていったり
重なったり、深い余韻が蓄積されていく
そして、また二人の呟きが始まって
そこに少年が現れた。
ゴドーさんは、今晩は来られないが、
明日は必ず来ると言って去っていく
この少年の言葉をどう受けとったらいい?
今まで費やした時間が
また繰り返されるなんて。。辛い
翌日、同じ時間、同じ場所と言う設定で
二人の物語は続いていくのだが、
深い言葉だなと思う
何度も繰り返される二人の会話は
いつでも最後が
「ゴドーを待つのさ」
「ああ、そうか」。と終わるから
まるでコントのような面白さ
笑けてしまった
だけど喜劇の余韻じゃないんだ
残るのは寂しさ、虚無感、哀しさだ
ゴドーを待つ二人の前に
また少年がやってきてゴドーは来ないと告げる。
そして二人はただ、待つ。
ゴドーを待つ
磔刑にあったキリストと泥棒の話や
カインとアベルの話など出てくるので
聖書の知識があった方が理解しやすいかも
いったい、ゴドーは何者?神?
それとも何かの象徴?
辛いことが多いこの世の中で
ちょっとした幸せで
すっかり元気を取り戻すのが人間
色んなことを忘れるのも人間
そんな日々の繰り返しの現世で
何かに夢中になって
時間(人生)の経つのを忘れるほどに生きてみたい
何にもない人生なんて
物語の台詞を借りるなら
「死んだだけじゃ足りない」のだ
近年こんなに沁みた物語はなかった
自分の状況のように。。
ああ、そうか
私もゴドーを待っている
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