3月22日 毎朝、糧にする言葉たち
今朝も晴れた。束の間の晴れを楽しもう!
何か作ること、自分の表現する何かを見つけた時、楽しみな状況が増えてくる。
前へ、前へ、と進むばかりが、前進にあらず。
今年、振り返りの作業をし始めてから、新たな想像、創造が生まれている。
コロナに罹ってから、ブレインフォグか?昨日、すっかりルーチンの一つ
「文読む月日」を読むことを忘れていた。3月21日の言葉の中から、
確かに、そうだな〜。この世の生活しか知らないのだ。今の名前で生きるのは、初めての経験だ。毎日が初体験!だったら、間違いも失敗もあってもおかしくない。
ただ、AIじゃないけど、学習していく力を持たされているのが私たち人間。
過去を振り返る作業も悪くないと思った。
事実の意味づけは、自分がするもの。肯定も否定も自分だ。
生きているうちに何度か、死にたいって思うことがある。
生きることが苦しいと思うほど、一生懸命頑張ってるからこそ、その発想は生まれる気がする。安易にそんな気持ちにはなれない。
生物の本能は生きることだから。
今日のこの言葉には、グッとくる。時々、なんでいつも神様は、崖っぷちのところまで私を追い込んで、そのまま、突き落とさずに助けるんだろう。。と思うことがある。きっと使命を果たせてないのだ。そして、そう思うのも自分の意思だ。
意味づけをするのは、いつでも自分だ。
なにわともあれ、この世での生活は、善き人で終わりたいと願う。
書いてある通り、実際、過去は既にないだろう、
しかし、過去の認識は、自分次第で変えられる。
未来はまだやってはこない。しかし、自分の意思で進んでいく未来。
そして、現在は「Present」 贈り物を大切に生きることが、すべて自分に繋がる
綺麗な家だったら、部屋も掃除できるとか、整理できるとか言う人がいるが、
そんなの関係ない〜。この言葉通りだと思う。
与えられたものに比例して人生は進まない。
ただ、整理したものを収納する何かは、必要だ。
それもお値段以上のお店だったり、ホームセンターだったり、身の丈にあったものを選べばいい。不用品交換のシステムを使ってもいい。
どんなことでも、自分から始まる。