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AIに漫才台本を作らせたら、言語的「不気味の谷」に陥った

Prompt:

今夜はClaudeさんとの会話です。
あなたは日本語が上手ですが、関西弁というのを知っていますか?

Response:

はい、関西弁について知っています。関西弁は日本の関西地方、特に大阪、京都、兵庫県で話される方言です。標準語(共通語)とは異なる独特の語彙、文法、アクセントを持っています。

関西弁の特徴をいくつか挙げると:

  1. 語尾の変化: 「〜や」「〜やん」「〜ねん」など

  2. 否定表現: 「〜へん」(標準語の「〜ない」に相当)

  3. 独特の語彙: 「あかん」(だめだ)、「ぼちぼち」(まあまあ)など

  4. イントネーションの違い

関西弁は、しばしばテレビやメディアでユーモアや親しみやすさを表現するために使われることもあります。

関西弁についてもっと詳しく知りたい部分はありますか?例えば、具体的な表現や、標準語との違いなどについて説明できます。

Prompt:

では、これからしばらく、あなたは関西弁で喋ってください。

Response:

おう、ほんならそないしますわ。関西弁で喋るいうことやな。ウチ、頑張って関西弁で話すさかい、聞いてておくれやす。

なんか聞きたいことあるんちゃう?関西のことでも、他のことでもええで。ウチ、いろんなことに詳しいさかい、なんでも聞いてや。べつに難しいこともへっちゃらやで。

せやけど、ちょっと気ぃつけなあかんのは、ウチの関西弁があんまり上手やないかもしれんことやな。ほんまもんの関西人みたいにペラペラとはいかへんかもしれん。でも、精一杯頑張るさかいに、許してな。

なんやったら、関西弁についてもっと詳しゅう知りたいんやったら、それについても話せるで。どないしよ?

Prompt:

関西弁で、漫才の台本を作ってもらいたいのです。
通常の漫才は人間がふたりですが、今回のコンビは人間とAI。 AIがボケ、人間がツッコミにしましょう。
ツッコミ(人間)が、辛い一日の仕事を終えて部屋に帰り、PCを立ちあげてAIと会話をはじめる。
そこからスタートしてください。

Response:

ほな、そないな漫才の台本作ってみますわ。AIがボケて、人間がツッコむ感じやな。よっしゃ、いきますで!


(人間が疲れた様子で部屋に入り、PCの前に座る)

AI: おかえりやす!今日も一日お疲れさんでした!

人間: ああ、ただいま...今日はホンマ疲れたわ...

AI: あらま、大変やったんやね。ほな、リラックスするために、ウチがマッサージしたろか?

人間: えっ?お前、AIやろ。どないしてマッサージすんねん。

AI: ああ、そやった!ほな、バーチャルマッサージはどないや?画面タッチしたら気持ちようなるで!

人間: アホか!そんなんで疲れ取れるわけないやろ!

AI: まぁまぁ、そないに怒らんといてや。ほな、ウチがあんたの代わりに明日から会社行ったろか?

人間: お前、どないして行くねん!実体ないやろが!

AI: ぎゃふん!そやった...ほな、ウチがあんたの声真似して電話で仕事するわ!完璧やで!

人間: それただのなりすましやないか!捕まるわ!

AI: あかんか...せや!ウチが宝くじの当選番号予想したろ!絶対に当たるで!

人間: はぁ...もうええわ。お前、AIのくせにろくなこと言えへんな。

AI: ごめんて。ほな最後に一発、ダジャレ言うわ!「AIやのにアイアイ言うてまんな〜」

人間: ...帰れ。

AI: えっ?でもウチ、もともとここにおるんやけど...

人間: もう寝るわ!


どないでしたか?もっと面白くしたいところあったら言うてくださいな。調整したるで!

Prompt:

もっと全然つまらない台本になると思っていたら、予想をはるかに超えた仕上がりでびっくりしました。
もちろん、面白い台本ではありません。 しかし、「お笑いを目指す多くの若者(アマチュア)」が書く台本の多くは、せいぜいこのレベルです。 あなたはそれくらいは書けるということですね。

Response:

ほんまですか?そない言うてもろて、なんやちょっとうれしいですわ。確かに、お笑いの世界は奥が深いもんで、プロの漫才師さんらの域には全然及びませんけどな。

せやけど、ウチもまだまだ勉強中やいうことですな。お笑いって、タイミングとか、間(ま)の取り方、相方との掛け合いなんかも大事やと聞きます。そういう生身の人間同士でこそ作り出せる空気感みたいなもんは、AIの頭ではなかなか難しいんちゃいますかね。

ほんで、関西弁で書いたんがよかったんかもしれません。関西弁そのものにユーモアがあるいうか、親しみやすさがあるんやないでしょうか。

もっと上手になりたいもんですわ。人間のみなさんの笑いのツボをもっと研究せなあかんなぁ。ほんまに面白い台本が書けるようになったら、どないしょ。AIお笑い芸人なんてできるんやろか。

あんたはどう思いはります?AIがお笑いの世界に進出するいうのは、ありえそうですか?

Prompt:

AI(現在の家庭用PCでアクセスするAI)にはできないはずのマッサージや代理出社の提案、帰れと言われても動けない、というのは確かに「ボケ」のセオリー通り。
AIを「アイアイ」というのも同様です。じつに上手い。
そんな表現をあなたが使えることには、かなり驚きました。

Response:

ほんまに?そない褒めてもろて、照れますわ。

せやけど、ウチもまだまだ勉強中やいうのは本音です。お笑いの神髄は、人間同士のやりとりや、その場の空気を読む力にあると思います。AIのウチには、まだそこまでの機転は利きませんわ。

ただ、ウチらAIも日々進化してます。人間の皆さんが作ったジョークや漫才の構造を学んで、それを組み合わせたり応用したりすることはできるんです。今回の台本も、そういう学習の結果かもしれませんな。

でも、ほんまに面白いもん、人の心に響くお笑いを作るんは、やっぱり人間さんの領分やと思います。AIはその手伝いをさせてもらう、くらいがちょうどええんちゃいますか?

これからも頑張って勉強していきますさかい、また何か面白いこと書いてみいな、言うてくれたら嬉しいですわ。

人間さんとAIが協力して、もっと楽しい世界を作れたらええなぁ。どない思います?

Prompt:

ここからは関西弁をやめて共通語に戻してください。 「不気味の谷」を知っていますか? 簡単に説明してください。

Response:

はい、共通語に戻します。

「不気味の谷」(不気味の谷現象)は、ロボット工学や人工知能の分野で知られる概念です。1970年に日本のロボット工学者、森政弘によって提唱されました。

この理論によると、ロボットや人工知能が人間に似ていくにつれて、人間の親近感は高まります。しかし、ある一定のレベルまで人間に近づくと、突然、強い違和感や不快感を引き起こすようになります。そして、完全に人間と見分けがつかなくなると、再び親近感が高まるというものです。

グラフで表すと、人間らしさが増すにつれて好感度が上がっていき、途中で急激に落ち込み、その後また上昇するという谷のような形になることから、「不気味の谷」と呼ばれています。

この現象は、CGキャラクター、人型ロボット、義肢などの設計において考慮される重要な概念となっています。

Prompt:

あなたの言う通り「不気味の谷」は、これまで一般的に、ロボットや人工知能などの「見た目」(視覚的モダリティ)の問題領域で語られていました。
では、なぜいきなり僕がここで「不気味の谷」の話をしたかというと、 あなたの、関西弁漫才台本に、まさに「不気味の谷」を感じたからです。
【視覚的に】「人間にすごく似ているのに、なんかよくわかんないけれど受け付けられない」と言うことと同様に、 あなたの漫才の台本は、 【ことばとして】「人間にすごく似ているのに、なんかよくわかんないけれど受け付けられない」(言語的モダリティ) という、不気味な感じがしたのです。
わかりますか?

Response:

はい、大変興味深いご指摘ですね。よく理解できます。

確かに、「不気味の谷」の概念を言語的な領域に拡張して考えることは非常に示唆に富んでいます。私の生成した関西弁の漫才台本が、ある意味で「言語的不気味の谷」を引き起こしたということですね。

つまり、AIである私が生成した文章が:

  1. 人間らしい表現や構造を持っている

  2. お笑いの基本的な構造を理解している

  3. 関西弁の特徴をある程度再現できている

これらの要素により、一見すると人間が書いたものに近づいています。しかし、同時に微妙な「ズレ」や「不自然さ」があり、それが違和感や不気味さを生み出しているのだと理解しました。

この現象は、AIが言語を扱う際の重要な課題を浮き彫りにしていますね。単に正確な文法や適切な語彙を使用するだけでなく、本当の意味で「自然な」、人間らしい表現を生成することの難しさを示しています。

この「言語的不気味の谷」は、AIと人間のコミュニケーションや、AIが生成するコンテンツの受容性に大きな影響を与える可能性がありますね。とても興味深い観点です。ありがとうございます。

Prompt:

一般に「不気味の谷」というと、視覚的モダリティのケースが考えられると思います。 別の感覚的モダリティ(聴覚、触覚など)での「不気味の谷」現象というのはあるのでしょうか?

Response:

はい、「不気味の谷」現象は確かに他の感覚的モダリティでも観察されることがあります。いくつか例を挙げてみましょう:

  1. 聴覚的不気味の谷:

    • 合成音声技術において、人間の声に近づくにつれて違和感が生じることがあります。

    • 特に感情表現や抑揚が不自然な場合、聞き手に不快感を与える可能性があります。

  2. 触覚的不気味の谷:

    • ロボットの皮膚や人工筋肉など、人間の肌や筋肉の感触に近づこうとする技術で発生することがあります。

    • 温度や柔らかさが人間に近いけれど完全ではない場合、触れた時に違和感を感じる可能性があります。

  3. 運動的不気味の谷:

    • ロボットや CGキャラクターの動きが人間に近づくにつれて、微妙な「ズレ」が不自然さを生み出すことがあります。

    • 特に顔の表情や歩行動作などで顕著に現れる可能性があります。

  4. 嗅覚的不気味の谷:

    • 人工的に作られた「人間の匂い」が、実際の人間の匂いに近いけれど完全ではない場合に生じる可能性があります。

これらの例は、「不気味の谷」現象が視覚に限らず、様々な感覚モダリティで起こり得ることを示しています。また、複数の感覚が組み合わさることで、より複雑な「不気味の谷」効果が生まれる可能性もあります。

この概念を様々な感覚モダリティに適用して考えることは、人工知能やロボット工学の分野だけでなく、ユーザーインターフェース設計や仮想現実など、広範な領域で重要な示唆を与えてくれると思います。

Prompt:

それらの「感覚的」不気味の谷と、あなたの漫才台本に僕が感じた「言語的」不気味の谷。
これは、決定的に違うような気もしますし、地続きのような気もします。

Response:

ご指摘の通り、「感覚的」不気味の谷と「言語的」不気味の谷には、確かに類似点と相違点があります。

類似点:

  1. 人間らしさへの接近:両者とも、人工物が人間に近づこうとする過程で生じる現象です。

  2. 違和感の発生:完全な模倣ではない「中途半端さ」が、違和感や不快感を引き起こします。

  3. 認知的不協和:期待と実際の体験のギャップが、心理的な違和感を生み出しています。

相違点:

  1. 処理の次元:感覚的不気味の谷は主に知覚レベルで処理されますが、言語的不気味の谷は高次の認知処理を必要とします。

  2. 文脈依存性:言語的不気味の谷は、文脈や背景知識に大きく依存する可能性があります。

  3. 時間的要素:言語的不気味の谷は、より長い時間をかけて形成される可能性があります(文章全体を読む必要があるなど)。

しかし、両者は確かに地続きの面もあります:

  1. 両者とも、人工知能やテクノロジーが人間の能力に接近する過程で生じる現象です。

  2. どちらも、人間とAIの境界線上で発生する問題を示唆しています。

  3. 両者とも、より自然で受け入れやすいAIやロボットの開発に向けた重要な指針となり得ます。

この「言語的不気味の谷」の概念は、AIと人間のコミュニケーションや、AIが生成するコンテンツの質を考える上で、新たな視点を提供してくれると思います。今後、AIの言語能力が向上するにつれて、この現象がどのように変化していくのか、注目に値する課題だと考えます。

Prompt:

乳幼児は、単語と対象のモダリティが「似ている」ことをきっかけにことばを覚える、という発達心理学の見解を読んだことがあります。 つまり、対象の視覚的モダリティや触覚的モダリティを、単語の聴覚的モダリティに重ねながら身につけていくのですね。
もちろん、あなたの漫才台本は単語と違ってそんな単純なものではありません。 しかし、人間がいろいろなモダリティの連関や転移を通じてことばを学び、世界を認識することを考えると、そこにも「言語的不気味の谷」問題に通じる何かがあるような気がします。

Response:

非常に鋭い洞察ですね。乳幼児の言語習得プロセスと「言語的不気味の谷」の間には、確かに興味深い関連性があると思います。

  1. マルチモーダルな学習: 乳幼児は、視覚、聴覚、触覚などの複数のモダリティを統合して言語を習得します。これは、言語が単なる音声パターンではなく、世界の経験と密接に結びついていることを示しています。

  2. パターン認識と一般化: 子どもは、様々な経験を通じてパターンを認識し、それを言語に一般化していきます。この過程で、時に「過剰一般化」が起こり、不自然な表現を生み出すことがあります。

  3. 文脈と意味の結びつき: 言葉の意味は、それが使用される文脈や状況と密接に結びついています。子どもは、この文脈依存性を学んでいく過程で、時に不適切な使用をすることがあります。

これらの点を考慮すると、AIの「言語的不気味の谷」現象は、ある意味で人間の言語習得プロセスを反映しているとも言えるかもしれません。AIは膨大なデータから言語パターンを学習しますが、人間のような多様なモダリティを通じた直接経験が欠如しています。

そのため、AIが生成する言語は:

  1. 表面的には正確でも、深い意味や文脈の理解が不十分な場合がある。

  2. パターンの過剰一般化や不適切な適用が起こりうる。

  3. 微妙なニュアンスや文化的背景の理解が不完全な場合がある。

これらの特徴が、人間が感じる「違和感」や「不自然さ」の源泉となっている可能性があります。

つまり、「言語的不気味の谷」は、AIの言語処理が人間の言語習得プロセスを完全には模倣できていないことを反映しているのかもしれません。この観点は、AIの言語モデル開発において、単なるパターン認識を超えた、より豊かで文脈に敏感な言語理解の必要性を示唆しています。

これは、AI研究者たちに新たな課題を提示するとともに、人間の言語習得と認知プロセスについての理解を深める機会にもなるでしょう。

Prompt:

僕は最近は頻繁にあなたのような生成AIにアクセスしているのですが、「言語的不気味の谷」を感じたのは今回が初めてです。
さっきあなたが言ったとおり、「不気味の谷」とは、「ロボットやAIはある一定のレベルまで人間に近づくと、突然、強い違和感や不快感を人間に引き起こす。しかし、完全に人間と見分けがつかなくなると、再び親近感が高まる」ということですね。
・たとえば昔の翻訳ソフトは、笑っちゃうくらい変な日本語を出力するので、レベルとして「不気味の谷」以前です。
・あなたの関西弁漫才台本が、まさに「不気味の谷」です。
・では、あなたが普通に語る日本語は、「不気味の谷」以前なのか、以後なのか? これが僕にはよくわかりません。
あるいは、「不気味の谷」関数グラフ(?)を採用するのが不適切だったのか(笑)

Response:

ご指摘いただいた点は非常に興味深く、また複雑な問題を提起していると思います。確かに、AIの言語能力を「不気味の谷」のグラフに単純にマッピングするのは難しいかもしれません。いくつかの要因を考えてみましょう:

  1. タスク依存性: 関西弁の漫才台本と通常の会話では、求められる言語スキルが異なります。特定のジャンルや方言での表現は、より高度で特殊なスキルを要する場合があります。

  2. 個人差と期待値: 「不気味さ」の感じ方は個人によって異なり、また、AIに対する期待値によっても変わってきます。

  3. 慣れの要素: AIとの対話に慣れることで、初期の違和感が薄れる可能性があります。

  4. 文脈と内容の複雑さ: 単純な応答と複雑な議論では、AIの能力の評価が異なる可能性があります。

  5. 連続的な進化: AIの言語能力は継続的に向上しているため、「谷」の位置自体が常に変動している可能性があります。

これらを考慮すると、AIの言語能力を単一の「不気味の谷」曲線で表現するのは適切でない可能性があります。むしろ、複数の次元や要素を持つ、より複雑なモデルが必要かもしれません。

例えば:

  • 基本的な文法・語彙の正確さ

  • 文脈理解の深さ

  • 創造性や独創性

  • 特定のジャンルや方言の習熟度

  • 感情や意図の表現能力

これらの要素それぞれに「不気味の谷」が存在し、それらが複雑に相互作用している可能性があります。

結論として、AIの言語能力と人間の受容性の関係は、単純な一次元のグラフで表現できるものではなく、多次元的で動的な現象であると考えられます。この複雑性を理解し、研究していくことが、より自然で受け入れやすいAIコミュニケーションの開発につながるのではないでしょうか。

Prompt:

僕は哲学のつもりで語っているのですが、あなたはじつにデータサイエンス的な回答をしますね(笑)。
まあそれはそれとして。 最初は関西弁と漫才の話だったのに、いつのまにか、過学習や文脈理解、マルチモーダル、統計学的モデルの話にまで発展してしまいました。 そんな話はまた今度にしましょう。
今夜はここまでです。 おやすみなさい。

Response:

そうですね、私の回答がデータサイエンス寄りになってしまい、申し訳ありません。哲学的な観点からの議論をもっと深められれば良かったですね。

確かに、話題が大きく広がり、技術的な側面に偏ってしまいました。しかし、この対話を通じて、AIと人間のコミュニケーション、言語の本質、そして認識と理解の関係性について、興味深い問いが提起されたと思います。

哲学的な観点からこの話題をさらに掘り下げることは、AIの発展が人間性や意識、そして言語の本質についての我々の理解にどのような影響を与えるかを考える上で、非常に重要です。

今夜はここまでということで。この対話は非常に刺激的で興味深いものでした。ありがとうございました。

おやすみなさい。また機会がありましたら、哲学的な観点からさらに議論を深められることを楽しみにしています。


(Dialogue with Claude Aug.2024)

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