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kotoba(ことば)の玉手箱ーお薦めの古典本紹介Vol.1(2) 『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)ー

さて、前回は本の紹介の前の前段に終始してしまいましたが、今回は紹介したい本、『君たちはどう生きるか』についてお話したいと思います。

『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎、1937年、岩波文庫)

著者吉野源三郎氏(1899ー1981)は東京生まれのジャーナリスト。大学卒業後明治大学講師を務めるが、山本有三氏(劇作家、小説家)の薦めで新潮社の『日本少国民文庫』の編集主任となります。のちに1937年に岩波書店に入社しますが、この年に書いた『君たちはどう生きるか』が評価を得ることとなります。岩波文庫版の後ろに著者自身が書いた「作品について」にありますが、もともとは山本有三氏がこの本を書くはずだったものを山本氏が目の病気で書くことができなかったため、吉野氏が代わりに書くことになったという経緯があったそうです。

さて、そんな吉野氏が書いた『君たちはどう生きるか』について、
①この本が書かれた時代背景等、②この3つがポイント!、③今に活きること(私が連想したこと)の順に紹介を進めてみたいと思います。

この本が書かれた時代背景

岩波文庫版の作品の後に吉野氏が書かれた「作品について」において、まさに当時の時代背景が説明されています。

「1935年といえば、1931年のいわゆる満州事変で日本の軍部がいよいよアジア大陸に侵攻を開始してから四年、国内では軍国主義が日ごとにその勢力を強めていた時期です。そして1937年といえば、ちょうど『君たちはどう生きるか』が出版され『日本少国民文庫』が完結した7月に盧溝橋事件がおこり、みるみるうちに中日事変となって、以後八年間にわたる日中の戦争がはじまった年でした。・・・ヨーロッパではムッソリーニやヒットラーが政権をとって、ファシズムが諸国民の脅威となり、第二次世界大戦の危険が暗雲のように全世界を覆っていました。・・・」

(『君たちはどう生きるか』内「作品について」より)

このような状況において言論や出版の自由がどんどん制約されていったわけですが、若者たちに自由で豊かな文化のあることをなんとかして伝えておかねばならないという想いがあったようです。

この3つがポイント!

是非皆さま自身で手に取って、目に触れていただき、読んでいただきたいので、できる限りにネタバレはしたくないのです。(笑)その上で、私が考えるこの本のポイント3つ!を挙げたいと思います。

1.主人公と叔父さんとの対話形式をとっている

主人公(15歳、中学2年生のコぺル君こと本田潤一)とその回りの友人などとの学校生活などで起こった出来事にまつわる葛藤や悩みなどを、叔父さんへの相談と叔父さんからの返事という形で対話形式をとっています。そしてその内容がコペル君が真実経験した具体的な場面から描かれているため、とても読みやすいです。そして叔父さんからの返事が人間への愛情が溢れ出るような語り口、タッチとなっていると思います。ちなみに、主人公がなぜ「コペル君」なのかもきちんと説明がなされています。(笑)

2.テーマがとても普遍的

この本で扱っているテーマは、「ものの見方について」、「真実の経験について」、「人間に結びつきについて」、「人間であるからには」、「偉大な人間とはどんな人か」、「人間の悩みと、過ちと、偉大さとについて」等など、多くの人が一度ならずとも、思い、悩み、経験したことがある内容となっています。それがこの本が今の時代になっても「古典」として評価される一つの要素になっていると思います。中身は、うーん、是非、ご自身で読み進めていただきたいと願います。

3.丸山真男氏による追悼文、回想による本書の解説

丸山真男氏(1914ー1996、政治学者、思想・歴史学者)による吉野氏の霊にささげるとの回想文によって、この小説が「人生読本」でありながら、「倫理」だけではないと説明されています。「きわめて高度な(社会的な)問題提起が、中学一年生(ママ)のコペル君にあくまでも即して、コペル君の自発的な思考と個人的な経験をもとにしながら展開されてゆくその筆致の見事さ」があるとしています。本文か、こちらの解説か、どちらを先に読むのがよいかは皆さまのそれぞれのお考えでよいと思いますが、内容は是非お読みいただければと思います。

「『君たちはどう生きるか』のすばらしさは、深くその時代を語りながら、いやむしろその時代を語ることを通じて、その時代をこえたテーマを、認識の問題としても、モラル論としても提起しているところにあるのではないでしょうか。そうして、時代を反映しながら時代をこえた意味をもつところに、総じて「古典」と呼ばれるものの共通した性格があるならば、この作品を少年用図書の「古典」と呼んでもすこしも言いすぎではないように思われます。」

(「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想ー吉野さんの霊にささげるー」)

今に活きること(私が連想したこと)

さて、私がこの本を読んでいって、古典としての価値はなんだろうかと考えている時にハッと気づいたことがあります。

例えば、第5章「ナポレオンと四人の少年」を読んでいる時のことです。是非ご自身で読んでいただきたいのですが、そこで書かれているナポレオンのことを通じて、私は今のロシア・ウクライナ侵攻に引き直して考えていることに気づいたのです。

これは無理やりではなく、時の政治家、軍人、総理大臣、大統領など、「英雄」と見れらやすい人物に関して、その人物をどう評価するのか、できるのか、そしてその人物の栄枯盛衰を人々はどのように受け止めるのだろうか、ということを本書を通じて自然に考えるようになっていたのです。叔父さんからの返事を通じて、人間の多面性をあらためて気づかせてくれる点で「古典」と言われるゆえんを理解した次第です。是非本書をお読みいただき、反芻する時間を楽しんでいただければ幸いです。

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