総選挙24を振り返る「未来は望めば起こるわけではない」 11月9日 Long-Range Planning 短期と長期
あっという間に週末です。今日の #ドラッカー365の金言 テキストも『 #マネジメント -課題・責任・実践』10章 戦略計画の作成:企業家的技能 1974年版 上巻197〜199ページより
今日のドラッカーは、まさに、この11月初旬のタイミングで次年度以降を見据えた良い提言に感じました。
「未来を築くには今決定を行わなければならない」。先送りにしてはならない、という提言です。
先ほどの総選挙では、多くの政党が「30年間給与が上がらないのは、政治の無策だ」と与党自民党を攻めていて、そう訴えていた政党は躍進しました。
今思えば、90年代バブル崩壊後、日本は、行政も政治家も経済界も巨額の不良債権処理について、先送りしてやり過ごそうという決断をしました。その先送りした結果が、長引くデフレ経済であり、現在まで続く「失われた30年」だったのかもしれません。
千葉商科大学・内田茂雄教授によれば、「経営者も労働者も賃金上昇よりも雇用維持を優先し名目賃金停滞させた結果がデフレ経済を長引かせることとなった」と記されています。
私自身は、大蔵省による急激な緊縮財政によって需要を潰したことで大量に発生した不良債権であり、その判断ミスによる損害を民間(経営者、労働者)につけ回した結果、不良債権を長期かけてP/Lで特損計上し続けて、経営責任を被らないようにしたサラリーマン経営者たちがいて、当時の意思決定権を持つ役人・経営陣たちは、皆、団塊世代でした。彼らは己を守るため将来世代にツケを回す決断により、その損は最終的に未来の労働者(=雇用の不安定な氷河期世代)へとつけ回しされ、解雇か賃金が上がらないかどちらか選べ、と選ばされた結果、デフレ経済が定着していったのではないか、と感じています。
氷河期世代の彼らは団塊世代の子供達世代なのに・・・親が子供を売ったようなものです。
また、それは以下のグラフの通り、
昭和60(1985)年度は16.9兆円だった年金支給額が、来年令和7(2025)年度にはおよそ4倍の60.4兆円にも膨らむものの、支給される年金だけでは生活できない高齢者の個々の方々の暮らしを守るために、経済をデフレ誘導した財務省・厚労省の思惑もあったのではないか、と邪推します。
デフレ誘導が年金生活者の多く、選挙への投票率の高い高齢者には都合が良かった。彼らに対して否定的な政策をすべきだと訴えれば、政治家は落選するからこそ、高齢者に甘く、勤労者にとって厳しい政策が為されてきたのではないかと感じます。
今回、それが崩れました。
流石に30年間も冷飯食わされた就労世代たちは怒り心頭に発したのです。
それが、今回の自民党が535万票減らし、国民民主党やれいわ、保守党への600万票流れた結果ではないかと感じました。
米国経済の全てを賞賛するわけではありませんが、ブラックマンデーやサブプライム問題などの恐慌後、不良債権処理を速やかに行ない、切り替えていく。切り替えの速さが米国にはあります。
今回の選挙の争点として、
今回も上記のようにいくつも掲げられていましたが、出口調査では、毎回そうですが、景気や雇用、物価高対策です。
つまり、景気が良ければ与党が勝ち、悪ければ野党側になる、
ということで、今回はどの政党も過半数に到達せず、与党(自民・公明)も左派野党(立憲・共産・れいわ)も右?中道?野党(維新・国民・参政・保守)も調整しないと、法律1つ成立しない状況が生まれました。
立法府の政治家たちは、行政府、特に財務省、厚労省らが政令を連発するのを監視し、司法が国民感情から離れた裁定を行うことを監視する三権分立が為された民主主義が進められることを国民は望んでいるように感じられました。
というわけで、
「未来を築くには今決定を行わなければならない」。先送りにしてはならない、というドラッカーの提言は、今響いています。今日もお元気で。