「すでに起こっている変化は何か」を問いつつ社会とコミュニティを観察することが自分の仕事である、とドラッカー氏。 1月26日 A Social Ecologist 社会生態学の視点
#1月26日
#A_Social_Ecologist
#社会生態学の視点
マイナス3度の仙台からおはようございます。
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このNOTEは、読むだけで世の中の課題を #ドラッカー #365の金言 を使って、解決できる、そんな知力を鍛える教育エンタメNOTEです。
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さて、
こちらでは、地に足をつけた、私の体験や学びから得た
実践マーケティング記事を1日1本以上をご紹介しています。スラムダンクやすずめの戸締まりの興収について記した記事が好評いただいています。
さて、今日のドラッカー。
テキストは、『 #すでに起こった未来 』(1994年) 終章 #ある社会生態学者の回想 299〜300ページより。
彼は自分の関心ごとについてこう記しています。
1月22日の記事で、ドラッカーは「ケインズは財の動きに関心をもち、私は人間の行動に関心をもっていることに気づいた。」と記していた。
ドラッカーの関心ごとは、あくまで人間の環境であり、人間の行動、そして、人間の仕事の仕方であり、知識を資源として働く知識労働者が社会の支配的階層になっていくプロセスであり、社会の継続性を保ちながら社会がどのように変化していくかについて。
ドラッカーはこれが、自らと他の経済学者や社会学者とは異なるところで、自らを「社会生態学者」と称するところだというのです。
さらに、ドラッカーは自らを
としています。
さて、明治以来、日本では行政官僚が「政府があらゆることを行えるし、行なうべきである」という信仰を信じさせてきました。その結果が、日清・日露戦争と勝利とその後の大東亜戦争の敗戦と国家滅亡でした。GHQ占領を経て、1953年再び国家としてスタートした時には、GHQも行政組織を維持させたこともあり、政府への信仰すなわち行政官僚への信仰がその後も維持されて、公共事業などへの公金支出は適切に行われてきた、と信じされてきました。
ここへ来て、発覚したColabo問題は、政治家と行政官僚、元行政官、そして、一社、NPOなどがグルになって法整備までして、合法的に「公金チューチュースキーム」を行なってきたことが明らかになったことです。
同時に、すでに一般人であっても、すでに50%近い?越え?という国民負担費率という江戸時代よりも高い国民負担率を強いる「財務省」、高額の罰金を強いる「NHK」、不適切な団体へ寄付金をばら撒いている「赤い羽根募金」、不適切な研究に協力する「学術会議」、太陽光発電のスキームなど、いわゆる「公」組織や官僚が国民からの「信仰」にあぐらをかいて好き勝手に国民から金を吸い上げ、国民を貧乏に貶めていたのではないか、という考えが湧き上がっています。
この「公への不信」を打ち払うためには、公的な文書並びに会計をオープンにして、国民からの適切な監査請求に速やかに対応し、公金の不正支出を正すことが必要、という意識が芽生えたこと、これが「すでに起こった変化」と思います。
Colabo問題は、いまだマスコミが正しく報道していないにもかかわらず、SNSを通じて、すでに問題は社会共有されています。権力を使ってもみ消そうとしてもこの潮流は不可逆なことです。
戦争、疫病、そして、合法的に行われている公金不正流出への国民監視への流れは、いずれも「すでに起こった変化」であり、この変化によって、より良い行政が為されるきっかけのように感じます。
良い社会になりつつあることを信じています。今日もやっていきましょう。
追伸:
昨年書いたテキストは↓
一昨年のテキスト↓
#継続と変革の両立こそ文明にかかわる中核の問題である 。
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