職業人としてどうあるべきか、という意識
(写真はたけむりんさんの素敵な写真を引用させていただきました、ありがとうございます)
“2001年、私がU-17日本代表監督としてチームをヨーロッパの大会に連れて行ったときのことです。
日本チームの選手たちは、ドイツ、フランス、イタリア、ブラジル、イングランドの5ヶ国の選手たちと同じホテルに泊まっていました。
朝、ホテルの食堂まで食事をとるために降りていった時のことです。私は日本チームの監督として、他の国の監督と「おはよう」と挨拶をし、握手を交わしました。
周囲を見渡しました。その瞬間、私は、絶望の底に転がり落ちたのです。
周囲の選手たちは、みんな、水油で髪をぴたっと整え、揃いのポロシャツをズボンの中へキチンとしまっていました。靴もしっかり履いています。
しかし、日本チームの選手たちはどうでしょうか。どんな格好で食堂にやって来たか、想像がつくでしょうか。
まず、ジャージの裾のチャックを開けていました。足もとは、サンダル履きでした。髪の毛は、寝癖がついていたり、起きたばかりのような、ボサボサの状態。それぞれがポケットに手を突っ込んだ格好で、「チーッス」。私への朝の挨拶でした。日本の典型的な中・高生の流行スタイル。その姿は、他国の選手たちと比べて、ひどくダラダラ〜ッとした風体に感じられたのです。
私は、その態度や服装、挨拶の違いに接したとき、瞬時にして「勝負あった」と思いました。実際に、サッカーのゲームも大差で負けてしまいました。
もちろん、その責任は、監督である私が負うべきものです。
当然のことですが、ヨーロッパ入りする前に、私は選手たちにむかって、ことば遣いや身だしなみに注意しなさい、といった話をし、「おまえたち、シャツはズボンの中に入れろ」「履き物はきちんと履くこと」といった指示も出していたのです。しかし、現に目の前に現れた選手たちには、まったく伝わっていなかった。その姿は、だらりとジャージャのチャックを開け、スリッパを引っかけずるずるとひきずって歩くというものでした。U-17の選手たちは、私の言ったことをどのように理解して実行したらいいのか、わからなかったのだろうと思います。
私がそこで得た教訓とは「日常的な生活態度は、直前になってどのように注意をうながしても改められるものではない」ということでした。
この現場にいた外国チームの選手たちから話を聞くと、みんなそれぞれアーセナルやバルセロナやミラノといった欧州一流チームの下部組織に所属していることがわかりました。彼らは、ユースチームの寄宿舎で、それぞれが徹底したエリート教育を受けてきているということでした。たとえば、欧州サッカーの舞台で活躍してる一流選手たちから、こんな話を直接、聞かされている、というのです。
「いいかおまえたちがアーセナルのシャツを着ているということで、まわりの人たちからどう見られているのか、そのことを考えろ」
自分が、つねにどのような立場にあるのかを自覚すること。
そのためには、いったい何が大切なのかを考えること。
国やチームなど、自分が所属している何かを代表しているという立場とは、どのような意味を持つのか、その重要性について考え、学び、自覚することはどうしたらできるのか。
いわゆる「帝王学」を、欧州チームの若者たちは受けている。では翻って、日本チームの若者たちはどうか。
いつどんな時に、「帝王学」を学ぶ機会があったでしょうか。そうしたことを学習するためのシステムは、提供されているでしょうか。日本のサッカーは、エリート選手の育成について、どれほど真剣に、具体的に、考えてきたのでしょうか。
いくつもの疑問と反省が、私の中で渦巻き始めた瞬間でした。
大切な何かが、日本チームの若者たちに対してなされていない。
いわば、人間としての「基本的な訓練」がなされていない。そうしたチームの限界を、私はこの欧州遠征で、まざまざと見せつけられたのです。“
「言語技術」が日本のサッカーを変える〜田嶋幸三
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