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真理を秘める

$${e^{i\pi}+1=0}$$

どんな式にも、どんな数字にも意味があるからね。大事に扱ってやらなくちゃ、かわいそうだろ?

『博士の愛した数式』小川洋子

『博士の愛した数式』小川洋子

 巷間、オイラーの等式は美しいと言われていて、とある数学誌のアンケートでも「世界で最も美しい数式」に選ばれた。解析学のネイピア数、代数学の虚数、幾何学の円周率、乗法単位元1、加法単位元0が一堂に会しているから美しいのだと言われる。そう言われると確かにきれいだなと思うが、毎日のようにこの等式のもとになっているオイラーの公式を使っている身としては、これが美しいかどうかの感覚も吹っ飛んでしまった。が、小川洋子の秀逸な文章でその美しさを少し思い出した。

果ての果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡潔な軌跡を描き、一点に着地する。どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙からπがeの元に舞い下り、恥ずかしがりやのiと握手をする。彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているのだが、一人の人間を1つだけ足し算した途端、何の前触れもなく世界が転換する。すべてが0に抱き留められる

『博士の愛した数式』

 円周率やネイピア数は「循環」しないし、虚数は「虚ろ」でも「恥ずかしがり屋」でもないし、円は見えないだけで一応登場しているし、右辺に0を書くのは不自然だし、などと色々突っ込みたくなるが、オイラーの等式をこのように優しく受け止められるのは羨ましい限りである。

 本作では頻りに「オイラーの公式」と呼ばれているが、オイラーの公式は

$${e^{iθ}=\cos{θ}+i\sin{θ}}$$

であって、これに$${θ=\pi}$$を代入したものが$${e^{i\pi}+1=0}$$で、これが「オイラーの等式」である。オイラーの公式の何がすごいって、三角関数が指数関数として処理できるという点である。数と幾何が結び付けられる。これはとんでもないことだ。
美しいと言われるが、複素関数論的にはそんなに美しいものでもない。

$${e^{i\pi}}$$

は複素数平面上で半時計まわりで半周回転を意味する。

$${e^{i\pi}=1・e^{i\pi}}$$

とみなすと、この項は1からスタートして反時計回りに回転して$${-1}$$に向かう半円軌道となる。これに$${+1}$$するということは実軸上を正方向に$${1}$$進むということだから、結果$${0}$$に到着する。これがオイラーの等式の動的なイメージだ(図1)。ところが、$${1}$$からスタートして$${-1}$$を経由して$${0}$$に到着するということは、カマボコ型の軌道が途中で切れていることになる。

図1.オイラーの等式の動的イメージ


ところが、先のオイラーの公式に$${θ=2\pi}$$を代入すると、$${e^{i2\pi}=1}$$となる。これは、$${1}$$からスタートして反時計回りに一周回って$${1}$$に戻ってくるということを意味する。こちらの方が動きはきれいだが、等式に$${2}$$が出現して人工的になってしまう。これは、円周率の定義の問題で、円周率を新しく定義しなおすとうまくいく。



 そもそも円の定義とは、「平面上のある一点から等距離にある点の集合」である。つまり、円を定義する唯一のパラメータは「半径」である。ところが、円周率は「円周長/直径」で定義されている。これは工学的な理由によるものと考えられるが、考えてみるとおかしなことである。

 実際、円周率を半径で定義しなおす(これを$${\tau}$$とする)と、たくさんのご利益がある。その最たるものが三角関数で、今までは360°が$${2\pi}$$に対応していたのが、$${\tau}$$に対応してかなり自然な形になる。これを用いると、オイラーの等式は$${e^{i\tau}=1}$$となり、1からスタートして反時計回りに回って1に戻るという美しい回転の円軌道を表す(図2)。

図2.θ=2πを代入した「オイラーの等式」の動的イメージ

とはいえ、$${\tau}$$の導入で、解けなかった問題が解けるようになるわけでも、体系が根こそぎ変わるわけでもない。ただの遊びである。

 ついこの間、フィールズ賞の受賞者が発表された。受賞者の一人は「数学は計算ではなくアイディアである」と話していた。付け加えると、数式は計算ではなく、言葉だ。無味乾燥としたものではなく、豊潤なメッセージを湛えている。思うに、数式は言葉の代わりとなるが、言葉は数式の代わりにはなれない。冒頭の抜粋は数式の美しさの一面を表現することはできても、決して数式そのものは表現できない。静謐な複素数平面上に佇む一行の数式は、何も語らず世界の真理を内に秘める。だが果敢に挑んできた学究の徒に、自然の秘鑰を披瀝する。言葉は、世界の誰かが知っていることを語るだけだ。数式は世界の誰も知らない真実を語る。

 鬱陶しいメディア、かしましい現実世界に嫌気がさしたら、散歩に出かけ五感で自然を受け止めるように、数の囁きを聴き、真の無限に目を回し、隙のない論理に唸り、宇宙を司る法則たちと合唱し、手渡された秘鑰で日常に埋もれた世界の蓋を開け放すといい。目も眩むような光に包まれていくはずだ。

読んでいただきありがとうございます。