まずはじめに
今回もブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッドよりヤージナヴァルキァ師とジャナカ王との対話による教説を引用して、真我についてご一緒に考えてみたいと思います。
ヤージナヴァルキァ師には、マイトレイーとカーティヤーヤニーの二人の妻がいて、マイトレイーの方は、いつも絶対者ブラーフマンについて夫と議論するような妻で、カーティヤーヤニーの方は家事をする普通の妻であったようです。
ヤージナヴァルキァ師がジャナカ王からいただいた財産を置いて遊行に出る前のマイトレイーが食い下がるが、結局は、その場を立ち去るヤージナヴァルキァ師との対話は以前にも触れたので繰り返しませんが、そんなヤージナヴァルキァ師が夢眠状態・熟眠状態・覚醒状態を喩えて、真我についての教説を今回は引用させていただきます。
夢眠状態・熟眠状態・覚醒状態と真我
■よく寝ている人を急に起こしてはならない
今回のヤージナヴァルキァ師のジャナカ王への謁見は、何も語らないことにするつもりでいたのですが、何でも好きなことを一つ質問することを許可していたことからジャナカ王の質問から始まります。
「人は何を光とするのですか?」の質問から「太陽を光とします」とした後「太陽が沈んだ後は月の光となります」次に「太陽も月も沈んだ後には火が光となります」次に「太陽も月も沈み火も消え果てた後では言葉(音)が光となります」次に「太陽も月も沈み火も消え果て言葉も発せられなくなった後ではアートマン(真我)が光となります」との後から以下に引用します。
いかがですか?この対話は、ヤージナヴァルキァ師とジャナカ王という男性同士ですので男目線ではありますが、男性よりもはるかに賢い女性は理解できる内容だと思います。
正直、私が学んだ2000年5月の連休当時はよくわからなかったと思います。睡眠と転生輪廻を結びつけた教説ぐらいにしか捉えられなかったです。
意地悪ではなく、あえて、このヤージナヴァルキァ師のジャナカ王への謁見による対話から瞑想にて熟考していただければと、思っています。わからないところは内奥に潜む真我にお尋ねください。もしくは、今、あなたを導く師がいらっしゃるならば問答に挑むのも良いかもしれません。ヨーガの伝統では、師との問答によって真理を垣間見るものでもあるからです。
おそらくですが、ヤージナヴァルキァ師はジャナカ王に何も語らないつもりでいたけれども、ジャナカ王の解脱への強い気持ちに負けて更に語ってしまったのでしょう。
私もヤージナヴァルキァ師のように、以下に引用を続けますね。
■解脱した神人の最高の境地とは?
「誰しも熟眠時に神様の元へ還っている?」にて触れたように、熟眠時に心臓内部小空間において鎮座する絶対者ブラーフマンに合一していているのですが、起床することで(覚醒時に)個別化した無智な個我(ジヴァートマン)となって、真我(アートマン)とは隔てられた形となります。
つまり、真我(アートマン)と隔てられた形とは、「ジャナカ王に授けた教説真我を悟る聖者とは?」において触れたブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッド4篇4章22節の「種々の世界に区切りをつける堤」という防波堤から逸脱してしまった状態だと言えます。
ここで注目していただきたいのは、神人とは、個別化している無智な個我としての私たちが熟眠中に認識の対象とする第二の存在がない状態であるように、また、肉体や欲望や諸心理器官との結びつきから解放されている状態と同様に覚醒時において観照者として最高の歓喜を味わっていることです。
そのようなものだと理解してもう一度上記に引用したものを読んでみてください。いかがでしょうか?
神人が夢眠状態と同じように覚醒状態において、種々の楽しみや喜びや歓喜をもたらす形態(ルーパ)を味わうための悪(肉体と諸器官)を作り出しているとウパニシャッドでは教えていますが、そのことについての創造者ではなく誤創造したのだと私は理解しています。
こんなことを書くと混乱するかもしれませんが、本来、神人は夢想することはないのだけれど、夢想し誤創造した異世界に私たちは住んでいると信じている、としたらどうでしょうか?
…このことはあくまでも仮説なので実証実験により体験しない限り確証とはなりませんし、劣等感が強い自我状態で浅く理解したつもりで教団を作ったオーム真理教の教祖のように勝手な解釈で悪害をもたらすことからすると、諸刃の剣となる仮説であることもお伝えさせていただきます。
最後に
このnoteを始めるきっかけは、次女がヨーガやピラティスの教師となることで、ヨーガの技術やヴェーダーンダ哲学について、父として生きている間に伝えておくためでした。
やり始めると、こんなに長くなるとは…
思ったよりも書けるんだなと想う今日この頃です。