寂静たる心の内にアートマン(真我)を知る
まずはじめに
ブラーフマンとは想念であり、その想念によって創造された、もしくは、延長されたアートマン(真我)であるならば
アートマンを知ることがブラーフマンを知ることであるとしたら
ひとつのカギとなるのは、マナスという内的心理器官(アンタッカラーナ)だと言える。
マナスを思考だと理解している学者さんやヨーガ関係者が多いように見受けられますけれども
カタ・ウパニシャッドの人間馬車説によれば、マナスとは、手綱であり、馬たちと御者との間での情報の授受を伝達する内的心理器官であるとしている。
今回は、そのマナスと「寂静」について、ご一緒に考えてみましょう。
心素の働きを止滅する
この“note”の読者の方々には耳タコですが、「心素の働きを止滅」するとは、すなわち、心の働きを止めることになります。
よくヨーガの世界では言われることですが、思考とは、湖の水の波紋のようなものに喩えられます。水面が荒れていると湖の底を見ることはできませんが、水の動きを止めることで湖の底を見ることができます。
つまり、心の奥底に喩えられている湖の底には、真の自己であるアートマン(真我)が鎮座しているというのです。
「心素の働きを止滅」することのカギは、マナスにあるのです。
まずは、心の外部世界との関わりからお話ししますと、上の画像のように馬車で道を走る、つまり、人間が人生を歩むことで言いますと
快適な馬車での旅を過ごすためには、御者であるブッディ(理智)が馬を文字通りに御する、すなわち、悪路の中でもコントロールする、もしくは、正しく目的地に向かう為の判断(決断)が大切になります。
この技術が顕教(けんぎょう)としての分かりやすいヨーガとしての健康法でよりよく快適な生活を送るための教えとなります。この教えで解脱できれば、世界中のヨーガ人口を考えると、覚醒者がゴロゴロいることになりますね。
この図では、少し、わかりにくいのですが、馬車の中にはアートマンが主人として鎮座していますが、その前には、歓喜鞘としての我執(アハムカーラ)とチッタ(心素)がニセ主人として、つまり、自我として御者である理智を支配しています。
最近の“note”で書いていることで言いますと、主人を誤って自我に付託してしまっているのです。
このことについて、密教としてお伝えするならば
実は、マナスとは心の外部世界との関わりに対する馬たちの手綱だけではなく、心の内部世界、つまり、歓喜鞘の我執(アハムカーラ)とチッタ(心素)や真の主人たるアートマンに対しても結びつく手綱としての役割があるのです!
長くなるので詳しくは述べませんが、マナスという手綱を心の外部世界との関わりだけではなく、心の内部世界との関わりに対しても、しっかりと制御する訓練をしていくこと。
つまり、「ネイティネイティブラーフマン」というこれではないこれではないというシャンカラ師推奨の訓練で言うならば、我執とチッタの誤った思考(過去のイメージを投影する判断もしくは差別)を排除していくことになります。
最終的には、マナスはアートマンだけに結びつき、『バガヴァッド・ギター』に述べられているように、アルジュナ将軍とクリシュナ神が一体化して、すでに避けることが不可能な親戚同士の戦争へと心をへし折られていたアルジュナ将軍は心を持ち直すシーンに繋がっていきます。
ブラーフマンは寂静そのもの
最後に、以下にシャンカラ師の教説を引用します。
つまり、我執とチッタの誤った思考による差別観によって心の外部世界を認識することの一切を手放すことで、あなたは寂静となり、すなわち、誤った付託は解除され、アートマンそのものに戻ると教えて下さっているのだと思います。
最後に
シャンカラ師の教説を引用して“note”に書くことは簡単ですが、実践するのはかなり難易度が高いと言えます。
しかし、難易度が高いですが、気長に忍耐強く継続していくことで、一番上の空と海の画像のように、凪になればなるほど、水面に映す雲がはっきりと観ることができて、その雲は付託によって誤って作られた虚像(イメージ)であることを知ることができて、一つひとつを手放すことができます。
皆様は賢いと思いますので、大丈夫だと思いますが…
このシャンカラ師の教説は、心の問題を解放することであって、心の外の世界の「差別」に関して述べているものではありません。共産主義的な思想の欠片もまったくないことを念のためにお伝えしておきます。
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