すべての道は仏教に通ず【#006 エンゼルスの大谷さん】
太陽と金星
エンゼルスの大谷さんには、一平ちゃんという通訳がついています。「一平ちゃん」といえば、明星食品さんの名前が思い浮かびますが、まさに大谷さんと一平ちゃんは、太陽と金星の関係に似ているような気がします。
金星は見かけ上、太陽から遠く離れることがないので、夕方の西空か明け方の東空でしか見ることができません。夕方の西空に見える時を「宵の明星」、明け方の東空に見えるときを「明けの明星」と呼んでいます。この時が、1番金星が光り輝いて見えるのだそうです。
「太陽」が大谷さんで、「金星」が一平ちゃんと考えると、妙にマッチするような気がしてなりません。実際、通訳の一平ちゃんが大谷さんよりも目立つ時もあるので、なおさらそんな気がしています。この先いつまでもずっと、太陽と金星のような関係が続いて欲しいと心から願ってやみません。一平ちゃんもいい人そうだし。。。
さて、今回は、そんな両者の関係をお話ししようとしているのではありません。そうではなくっていつの頃だったか、ちょっと前に、大谷さん位のスターならば、自ら英語を駆使して自分の意見を伝えるべきではないかとする意見が世に出ました。その事件を取り上げたいと思います。
大谷さんの発信するコメントの多くは、一平ちゃんという通訳者を通して世に送り出されます。この点について著名なアメリカ人コメンテーターが、自身のTwitter上で「大谷本人が英語を使うべきである」とするコメントを残し物議を醸しました。
このコメントに対しては多くの同僚アスリートやファン達が大谷さんの擁護にまわりました。人種差別だと批判する人も結構いたように記憶しています。
大谷さん自身も「もし自分が英語を話せるのならばそうしていた。自分はプロ野球選手だから野球を通して皆さんにその姿勢を伝えることが自分の役目である」などというような教科書通りの対応をし、ますます評価が上がることとなりました。
でもこれはなかなか奥が深い問題であるように思います。
翻訳は誤訳か?
そんなこと言ったら、そもそも翻訳って正確なのかという問題にまで行き着くような気がして、水掛け論になりそうな気がしてきます。翻訳はどこまでいっても誤訳であると昔から言われていますが、厳密に言えば確かにその通りだと思います。
でも例えば、お経の話になりますが、本来サンスクリット語で書かれている経典は、伝播した先々でその国のことばに翻訳されるわけですが、それらのお経がすべて誤訳ということになってしまいます。日本のお寺で読まれている漢訳も中国で翻訳されたものなので、その理屈からいえばすべて偽物ということになってしまいます。
お経も誤訳か?
仏教において、オリジナルのインド語で書かれた経典こそが重要だとする考えを持つ人がいます。
この考えの是非については、場合によって答え方が変わるのではないかなという気がしています。だって、文献学的には、やはりオリジナルのインド語で書かれた経典が最重要であることは疑いないことでしょうし、一方で、伝播した先のことばに翻訳された経典、例えば漢訳やチベット語訳の経典も、確かに二次文献という扱いにはなりますが、それぞれの地域で大変に重要視されており、すでにオリジナルのインド語文献が散逸している場合などには、オリジナルテキストを推定するためにも、その存在は大変重要な意味を持ちます。
仏教は世界各地に広がりました。地理的にも年代的にも大きな広がりがあります。その国のその時代に、それぞれその文化に合った、それぞれの事情に沿った仏教というものが「真剣に」模索され続けてきた結晶ともいえるのです。この「真剣に」というところが重要です。
命がけで護教
現在の日本における宗教活動からみると到底信じがたいような「真剣さ」を昔の文献からうかがい知ることができます。みなさんは、インド仏教の瑜伽行派(ユガギョウハ)の代表的な人物である、無著・世親という兄弟をご存知ですか?興福寺にある国宝「無著・世親像」でお名前をご存知の方も多いかもしれません?二人とも大乗仏教の学僧ですけれど、はじめは小乗で出家をしました。先に大乗に転向した「兄の無著」 は「弟の世親」 を気にかけ、早く大乗に転向するよう勧めていました。
世親の生涯は、もっぱら学習・著作活動・外道との論争など、学者としての営みに終始していました。兄の助言を無視して大乗の教義を誹謗中傷した自身の舌を割こうとしたという記述があるくらいです。それが真実だったかどうかは別として、それくらいの覚悟で仏教の教えを学んでいたという姿勢がうかがえます。
この頃は、ちょうどグプタ王朝下の安定した社会であり、まさに古典文化の黄金期です。何とも同じ仏教学を志すものとして、真似は出来ませんが、爪の垢でも煎じて飲まなければいけないようなエピソードです。
英語で発信することの重要性
話は逸れてしまいましたが、大谷の英語問題に話しを戻しますと、、、その辛辣なコメンテーターの意見も一理あるのかなぁと思ってしまいます。
英会話の苦手な私が言うのもなんですが、、、メジャーリーグ以外のスポーツ、例えばバスケットボールやアイスホッケーの選手たちは、様々な国から集まってきていますが、多くの選手はきちんと英語で応対をしていますよね。
自分の意見が言えないということがアメリカ人にとっては奇異に映るのかもしれません。やはり郷に入っては郷に従えというように大谷レベルの選手ならば英語での応対が必要だと思います。
後にそのコメンテーターは、自身のTwitter上で謝罪に追い込まれています。でもどうでしょう?謝罪をする必要はあったのでしょうか?「大谷クラスの選手であれば英語を話すべき」という1つの教訓を教えてくれたことは重要な気もします。
このグローバル化した社会では、今後もこのような事例がふえるでしょう。このコメンテーターの意見はもっとものように思えます。
この際だから、現在の日本の英語教育の根幹を見直す良い機会にしたらどうでしょう。。。6年間勉強して英語をしゃべれないなんて、やはりなんか不思議です。自分の努力が足りないことを棚に上げて、こんなこと言うのもはずかしいのですが、、、話せない英語ほど意味のないものはないですよね。
言葉は大変に有用なコミニケーションツールですから、その国の言葉さえ話せれば、その国の人たちと交流ができますし、余計な誤解を減らすことにつながると思うのです。来世チャンスがあったら、大谷さんみたいに野球がうまくなって、流暢な英語で今日の打席を振り返ってみたいなぁなどと空想する今日この頃です。
大谷さん、いつも勇気と元気をいただいてます。ケガをしないで長く活躍されることを心からお祈りしております。
でも実は大谷さんって、一平ちゃんがいなくても問題ないくらい英語が話せるってうわさもあります。まったく大きなお世話ですよね。大谷さんごめんなさい。それでは。