痛み,記憶,犯罪——断片化された人間の再構築
私がなぜ認知科学と犯罪学を学ぶのか
人間という存在は,一見すると統一された「全体」に見えるが,実際は断片の集積でしかない。記憶,意識,痛み——それらは一時的に結びつき,自己という錯覚を生む。しかしこの錯覚の中にこそ,人間の本質がある。そして,その本質を解明する道が,認知科学と犯罪学だ。
認知科学は,意識のメカニズムや記憶の仕組みを探る学問だ。私がここに惹かれる理由はシンプルだ。人間が「存在している」と感じるその瞬間が,どのようにして生まれるのか。これは単なる神経活動の結果なのか,それとも未知の何かが関与しているのか。例えば,記憶と言うものはしばしば静的な情報の蓄積と捉えられる。しかし,実際には記憶は動的で,環境や文脈によって常に再構成されている。私はその「再構成」の仕組みを探りたい。記憶はどのようにして現実を作り出すのか。感覚と記憶が交差する点に,意識の本質が隠れていると私は考えている。
一方で犯罪学は,個人が社会においてどのように逸脱し,どのように「犯罪」として規定されるのかを扱う学問だ。この分野が重要なのは,犯罪という現象が,人間の深層心理や環境の歪みを映し出す鏡であるからだ。犯罪は単なる社会規範の逸脱ではない。それは,個人の痛み,欲望,環境的な圧力が複雑に絡み合った結果だ。私が犯罪学を学ぶ理由は,犯罪を単なる行動ではなく,痛みの一形態として理解したいからだ。犯罪現象から特殊性を取り除き,痛みを個人に閉じ込めず,社会全体に分散させる方法を模索したい。
認知科学と犯罪学は,一見異なる領域に思えるかもしれない。しかし,これらは私にとって切り離せないものだ。認知科学が意識の断片化を解明するなら,犯罪学はその断片化が社会に与える影響を扱う学問だ。未来において,人間の意識は断片化され,個人という枠組みが解体されるだろう。その時,現行の司法システムは機能しなくなる。犯罪の責任を個人に帰することが不可能になるからだ。この新しいパラダイムに対応するためには,意識の仕組みを解明しつつ,断片化した意識が社会でどのように機能するのかを探る必要がある。それが,認知科学と犯罪学を融合する理由だ。
さらに,私の思想の根底にあるのは,「痛みの再定義」という視点だ。人間の痛みは,しばしば個人に閉じ込められる。しかし,痛みを社会全体に分散させることで,新しい秩序が生まれると私は信じている。そのためには,痛みを共有するシステムが必要だ。それは,単に共感を呼び起こすものではなく,痛みそのものをデータとして社会に還元するシステムだ。この視点は,認知科学における記憶や感覚の研究と,犯罪学における逸脱行動の分析を統合することで実現できると考えている。
私が認知科学と犯罪学を学ぶ理由は,究極的には人間の未来を作り直すためだ。意識と社会の関係性を解明し,断片化された人間が新しい倫理と秩序の中で生きられる世界を設計する。痛み,記憶,犯罪——それらすべては,個人の問題ではなく,地球という知性のなかで再利用される素材だ。この視点をもって,私は人間の知性を再構築し,未来を設計するために,これらの学問に取り組む。
未来は失われていない。今,見つけられないのならば,それが線形の延長にあるのではなく,全く異質な要素を結合して,断続的かつ離散的に現れるものだからである。
2024/11/24