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忘己利他と自利利他:空海と最澄からの学び
最澄は天台宗の開祖、空海は真言宗の開祖です。ふたりはほぼ同時期に活躍しました。
最澄が重視したのは「忘己利他」であり、自己を忘れて他者を第一にすることに意識を向けました。
一方、空海は「自利利他」であり、「自他ともに」という点を重視し、「自己を深めることと他者の救済は一つ」だと弟子にも説いています。
どちらも「利他」を探求しているので、これもまた、どちらが優れているとか正しいということではあ
利己でも自己犠牲でもない道:自利も利他も共に実る、日本的“利他”
10月のキーワードは「利他」です。
「利他」というと、ちょっとザワッとする方もいらっしゃるかもしれません。
それはもしかしたら「利他」にこんな解釈をされているかもしれません。
利己的ではないことが利他
自分本位ではなく他者本位の生き方
他者を思いやり、相手の立場に立って行動する…それがどちらかというと、自己犠牲の上に成り立つという印象がある
偽善的なかんじがする
実は「利己的では
吉田松陰や西郷隆盛も学んだ、細井平洲(へいしゅう)の教え
現代社会で語られる「リーダーシップ」は、多くの場合、他者を導くことや、さらには他者を動かし、コントロールする力として誤解されているように思います。
しかし、リーダーシップには3つの観点があります。
1)Lead the self
→ 自分を導くこと
2)Lead the people
→ 他人を導くこと
3)Lead the Society
→ 社会を導くこと
私たちが考えるリーダーシ
「良きこと」と「悪しきこと」という分離が無い:『すべては導かれている』
「すべては導かれている」
そうは言われても、素直にそうは思えない場面はいくらでも思いつきます。
例えば、何かしらで思い詰めている人に軽々しく「すべては導かれているんだよ」なんては言えません。
その人にとっての苦しさがあるでしょうから。
他人の人生に口出しをするわけではなく、自分の人生を生きるとき、私には以下のメッセージが心に響きました。
「悪しきこと」と思える出来事も、実は「良きこと」なん
時間を奪う「灰色の男たち」:ミヒャエル・エンデ『モモ』
「灰色の男たち」は『モモ』に登場する重要なキャラクターです。
彼らは物語の中で時間泥棒として描かれており、その存在は物語の中心的なテーマである時間との関係性を象徴しています。
その中で、こんなお話があります。
フージー氏は一流の理髪師としての生活に満足して暮らしていました。
ある雨の日、お客を待ちながらふとこんな考えが浮かびます。
フージー氏は別に、おしゃべりも、はさみを動かすことも嫌い
「今この瞬間」を充実させる、ベッポの言葉:ミヒャエル・エンデ『モモ』
さて、今回「灰色の男たち」について紹介しようと思っていたのですが、その前に。
『モモ』の中に、ベッポという登場人物がいます。
ベッポは街の清掃員として働いていて、毎日道路や公共の場所を掃除して、仕事を真面目にこなしています。
ベッポは時間を大切にしていて「今この瞬間」を充実させることに重きを置いています。
ベッポはとても長い道路の掃除を割り当てられて終わりが見えないとき、こう考えます。
時間への探求:ミヒャエル・エンデ『モモ』
先日の対話会は「死」について見つめる時間でした。
本を読んでいる人も読んでいない人も、それぞれに「死」について関心事を持ち寄って対話をしました。
その中で個人的に気づいたことは、私は自分が無くなることは恐れていないけれど、死の瞬間には恐れを抱いているということ。
痛いとか苦しいとか、そういう気持ちを味わいたくないと強く思っているんだと、改めて認識しました。
その瞬間のことは、自分では選べな
人生が私に期待すること
このフレーズを読んで、これまでの自分を振り返りました。
これまでの私は、人生を自分の従属的なもの、つまり、私の後に人生がついてくるような、自分で作り上げた結果が人生であるような気がしていました。これからどんな人生を歩むか、と未来を考えたときですら、自分が影響を与えられるものとして、人生を見ていました。
ところが、この一節は「私」と「人生」が切り離されています。
これまで、自分が人生に期待して
豊かな生活ってなんなんだろう・・?
Kindleで人気だとおすすめされた小説を何気なく読んでいたら、日本の近海の豊かさについての描写がありました。
海流や気候、地形、川、森林からの栄養、火山のミネラル、様々な理由から、日本近海には約3700種もの魚がおり、それは世界の海水魚の25%に相当する、というのです。調べてみると、だいたいそんなもののようです。
さらに先を読み、祖母の話と重なります。私が住んでいる西条市は、南に四国山脈、北
茶摘みをしながら、餅ばあちゃんの教えを実践
先日『餅ばあちゃんの物語』を見てから、餅ばあちゃんをイメージしながら行動したりしています。
先週末、お茶の葉を摘みました。隣家にズラッとお茶の木が植わっており、隣家のおじさんに「いつでも摘んでいいよ!」と言われています。
祖母に言わせると、昔は1年かけて家で飲むお茶を摘んでいたそうですが、今は祖母も面倒になって買いますし、季節の行事のような、年に一度、自家製の新茶を味わえればいい、というくらい