梅田サイファーの秘密兵器"テークエム"のラップに惹かれる理由
私が初めてテークエムのラップを聴いたのは、ミュージシャンの一発撮り企画で有名なTHE FIRST TAKEに梅田サイファーが参加した動画だ。
率直な第一印象は「え?誰この人?」だった。
梅田サイファーと言えば、即興ラップで戦うMCバトルの最高峰UMBで3連覇を果たしメジャーシーンでもCreepy Nutsとして活躍するR-指定をはじめ、大阪は梅田の歩道橋でサイファー(輪になって順に即興ラップのセッションをすること)の集まりから派生した個性派ラッパーたちのHIPHOPグループだ。
MCバトル人気の全盛期にリリースされた『マジでハイ』がブレークした頃から梅田サイファーの名が広く渡っていった経緯がある。しかし当時テークエムは多くの楽曲に参加しておらず、私自身ある程度熱が冷めた数年後にこの動画を見たため彼の存在を認知しておらず、イメージしていたメンバーの中に見知らぬ髭面サングラスの人物が混ざっている光景は違和感の塊であった。
もっとも、そんな怪訝な気持ちはすぐに吹き飛ばされてしまうのだが。
1曲目の『梅田ナイトフィーバー’19』ではトップバッターを務めるテークエム。その歌い出しはラップと言うよりもまさに歌唱といった風にメロディアスなフロウが心地良く、バースの締めくくり「レコードが回る限り終わらない旅 いろんなとこで笑ったり泣いたり 誰かが生きた時代とか 一緒に見たい未来とか 見に行こう」のラインには彼らのこれまでの、これからの輝かしい軌跡が映り、希望の暖かみを感じさせるリリックだ。
一方、2曲目の『トラボルタカスタム』ではスキルフルなラップを披露し「普通じゃつまらない!!!!!!!」「古いものは奪ってく 俺ら流に変えてく 俺らマジで頑張る 遊ぶだけで進化する」と一転アグレッシブに強気なスタンスでシャウトする獰猛さも垣間見え、その多才さと感情表現の振れ幅に私は舌を巻き、すっかり虜になってしまっていた。
ラッパーを評価する要素の1つにリリシズムというものがあり、リリックに反映されるその人物でしか吐けない言葉遣いのセンスをそのように定義されるが、どのようなリリックが刺さるかは聴き手の感受性にもよるだろう。私はダンサーをやっていたこともあり、音楽の中でボーカルもある種の楽器として捉える節があるのだが、テークエムの言葉には意味を持って生のままで心に届いてくる初めての感覚があった。
ソロアルバム『THE TAKES』を一通り聴けば、楽曲に落とし込まれているテークエムの才能の根底にある属性が闇であることがわかる。『Mes(s)』では自身の壮絶な生い立ちが生々しく歌われており、己が置かれた呪われた環境から目を逸らさず血が滲むほど噛み締め、沸々と心の中で破壊衝動を育てていた内面が伺える。そしてそれを全てアートとして完璧に昇華された最たる例が『Wake up on garbage』だ。気に入らないモノを押し退けて「俺様はKING ゴミ山の上のKING」と繰り返し存在証明する様は、卑屈、嫉妬、自尊心といったごちゃ混ぜの感情が渦巻き、ホコリが舞うゴミ溜めに佇む姿が浮かんでくるほどに情景の解像度が高い音楽となっている。ダークな印象を受ける楽曲揃いかと思えば、アルバムの終盤『Leave my planet』『Good Joe sleep in a taxi』には憑き物が落ちたかのような優しく透き通った声で、不安定なメンタルを抱えながら決意、もしくは割り切りとも言えそうな心境を歌いながら前を向き、聴き手すらも救われたような気分にさせてくれる。
しかし、やっぱり私としては毒を吐いているテークエムにこそ彼らしさを見出す。
そういった意味で最も喰らった曲、EP『LABEL MUSIC』に収録された『I'm CLEAN...』をぜひともフルで聴いてもらいたい。
ネット社会の潔癖性と不寛容さを批判した楽曲であると私は解釈している。
「他人の事を皆が皆気にしすぎ ガキの悪戯をリンチでぶち殺す国」のラインからは、SNS上でちょっとした失言や尖った主張が大多数の声に袋叩きにされる、よくある炎上の画を想像するに難くない。個人的には、執拗に炎上対象やマイノリティを寄ってたかって人格ごと否定し、あまつさえ自身が悪を裁くクリーンな存在であるかのように振る舞う様には却って反吐が出る。テークエムも遠からずこのような場面を目の当たりにして嫌悪感を抱いていたのではないだろうか。
「Hey Shit Fuck Bitch Murder Killer Mothafuckaとか 汚い言葉大好きなクソガキさ俺は」と小気味良いリズムで煽るように牙を剥き出し、また「ほら今日もまた正義の名の下 次々犠牲者 今日も事件だ 平成令和 ソーシャル自警団」とユーモア混じりの皮肉を放つ。
「CleanじゃなくてClearでいたい俺は」
信用ならない世の中の健全さに唾を吐き、あくまで等身大で素直に生きる自身のスタンスの表明だ。
テークエムが書くリリックは決して万人に共感されるものではないが、不安定な心を揺さぶりながら現状の息苦しさを打破してくれる痛烈なdisがたまらなく爽快で、つい耳を傾けてしまう。
「何を言うかより誰が言うかが大事」とは、時に発言者の肩書きやイメージに固執して言葉の本質を捉えられない者への当て付けで用いられることもある文句だが、ことテークエムに関しては彼の口から発せられるからこそ人を振り向かせ、面と向き合わせる言葉がある。それはイタイ戯言などではなく、実際に痛みを孕んだメッセージだ。
ノンフィクション小説を読むようなこの音楽を私は愛して止まない。