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【エッセイ】○○活の違和感

「○○活」という言葉の登場からしばらく経って、未だそれが生き残っている。
それどころか増殖していることに驚く。

「就活」から始まって、「朝活」「婚活」「妊活」「終活」「推し活」など、枚挙にいとまがない。

調べてみたら、どうやら「部活(部活動)」「就活(就職活動)」のように、略語として自然発生的に広まったのは少数で、多くは商業利用のためのキャッチコピーとして使われているとのこと。

端的に活動内容を表せる「〇〇活」という言葉は、使い勝手が良いこともあり日々新たなものが造られ続けている。

私は「活動」と聞くと、ハチマキを巻いて、敵陣に乗り込んでいく時の「それ、行くぞー!」といった気概をイメージする。
「就活」が自分の人生におけるキャリアを決める闘争であるように。

そのため目標に向けての努力という意味合いではなく、(目的はあるにしろ)行動だけを指して「〇〇活」という言葉が使われていることに違和感をおぼえるのだ。

たとえば「涙活」「菌活」「ヌン活」など。(ヌン活はスイーツ愛好家としては嫌いな言葉なので、即刻廃止してほしい)


「活動」が表すものが努力にしろ、単なる能動的な行動にしろ、「〇〇活」という言葉が世に蔓延している状況は確かだ。
人々はそれだけ自分の頑張りや日々の行いを周りにわかりやすく表明し、主張することを求められているといえる。

だとしたら、なんと窮屈な社会だろう。
何も活動していなくても、名前のない行為しかしていなくても、ただ生きているだけでも居場所がある、そんな社会になれば...と願う。

さて。アイス活するか🍨←

〈参考記事〉
https://style.nikkei.com

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