幼き日、将来の夢
オリンピック期間が続き、テレビやネットの見逃し配信で、たくさんの競技を観ている。
人間技とは思えないプレイの数々に、驚いたり喜んだりで忙しい。
血の滲むような努力の成果を遺憾なく発揮する姿に感動をもらい、ありがたやー……と感じる日々だ。
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選手に会えたら聞いてみたいことがある。
「あなたはなぜその競技を選んだのですか?」
水泳、体操など小さな頃から習い事として馴染みのあるスポーツだったり、親が元選手だったり、という理由なら想像できる。
不思議なのは競技人口が少なく、身近で触れ合う機会が少なさそうなもの。
例えば、砲丸投げや重量挙げ、アーチェリーなど。
どれも観戦していて楽しいのだが、数多くある競技の中で、それらを選んだ理由について聞いてみたい。
オリンピック選手レベルとなると、運動神経の塊のような人たちだから、複数の競技で迷うこともあるのかな。
私にはこれだ!というものに、早いうちに巡り合えるのは稀有なことだから羨ましい。
才能があれば尚のことだ。
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将来の夢を持つのは、スポーツ選手の卵に限ったことではない。
その他、多くの子どもたちもそうだ。
「将来何になりたい?」は子どもに向けた、ありふれた質問だ。
プロフィール帳(20年ほど前に、自分のプロフィールシートを友達同士で交換するのが流行った)の欄にも「あなたの将来の夢は?」という項目はよくあった。
私は将来の夢がない、大人から見たら可愛げのない子どもだった。
周りの子たちが「パイロット!」「ケーキ屋さん!」「看護師さん!」「お花屋さん!」とかキラキラしたことを言っているのに。
何かを成し遂げる自分が想像できず、何者にもなれないような気して、黙り込んでしまうのだった。
叶わなくても言うのは自由なんだし、子どもならではの恐れ知らずさを発揮して、周りを仰天させたら良かったなぁと今は思う。
当時は不景気だったこともあり、手に職を持って働ける「薬剤師」や、リストラされず堅実なイメージがある「公務員」を親から熱心に勧められていた。
親としては耳元で囁き続けて、私の頭にインプットしたかったらしい。
子どもの安定した生活を願う親心である。
私は別に嫌ではなかったので、将来の夢を聞かれて困ったとき、それらを答えることにしていた。
残念ながら、インプットは失敗に終わったのだけど。
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ふと気になったので、近年の小学生に人気の職業を調べてみたところ、「警察官」や「運転手」といった典型的なものがまず並んでいた。
ふむふむと目を通していくと、「YouTuber」や「会社員」が上位にランクインしていて驚いた。
それぞれ違った意味で、私の時代には目立たなかった夢だ。(YouTubeというものはそもそもなかった)
コロナ禍をはじめ、複雑な社会的要素が裏にあるのかもしれないが、今の子っておもしろい。
開かれた未来を感じる内容で、微笑ましく感じながら記事を読んだ。
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いつのまにか私は齢30。
どうしても現実の厳しさや可能性の限界が頭にチラつき、うじうじすることも多いけれど、いくつになっても「なりたい自分」を思い描くことはやめたくない。
自分の生きる軸になるような何かがこの世のどこかにあるのなら、それに向かって手を伸ばしたい。
まずは不甲斐ない自分もまた自分なのだ、と受け入れて、大事にするところからのスタートだ。
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追記
「子どもの頃の将来の夢ってなんだった?」という話を母と夫にしてみた。
母の夢は区役所の戸籍係
夫の夢はティッシュ配りの会社員 だという。
それぞれ突っ込みどころ満載な答えだ。
ぬぬぬ。