わたしは、年長者の顔に泥を塗り、年長者の好意的指導を蔑ろにし、 その人が大切に持っている教えや経験を、軽んじ、憎み、傷つけてきました。 わたしは、神様が生きさせたいと願う、隣人との交わりによる喜びの内を歩めず、自ら乏しい者として、不敬の罪からくる苦しみ、重荷に耐えきれず、 絶望していたところに、主は来てくださいました。 わたしを助けるために、主は喜んで十字架につけられ、釘で穴をあけられ、 鞭で打たれ、死にて葬られ、罪びとの私のために、 その尊い、たった一人の神様の御子の命
小さなお花のように、ふと目を向けると ほほえみかけてくださっている、神様のとても腰の低い佇まいがすき。 クリスチャンの交わりの中で、ちょうど経済の話になった。 祈り求めていった時から 徐々に教わっていった神様の知恵について、 自分の中でも初めてうまくまとまり、言語化できて嬉しい。 今日のnoteのテーマは多分それなんだな! と、軽やかにキーボードを打つ。 ”神様が与えた金銭には、神様が決めている計画、行先がある。ということ” ・それに従って動くときに、傷つくような用
ありのまま、飾らず、ただ淡々とnoteを書き続けたいと思う。 今までは、あまりにもたくさんの欺きをしてきたから。 自分にも、他人にも。 魅せ方ばかりうまくなって、空っぽだったから。 ここ数年、そうやってひとつひとつ、 痛みをおぼえながら、世の中と調子が合う業を 1枚1枚めくり、手放してきたはず。 様々な段階を通って、段々罪と自分が分離してくるものなんだなぁと いう体験をした。 それは、自分が素晴らしいわけじゃなくて、努力を誇れるわけでもなくて、 神様は私のひとつひと
「わたしの愛はそんなに信じるに価しないのか わたしと今まで歩いてきた道は、そんなにあなたをまだ怖がらせるようなものなのか わたしが何でもできることを、不可能はないことを、まだ信じられないのか わたしがあなたに、どんなものでも恵みたいと思っている、愛してやまないことを、まだ知ることを拒むのか わたしとの歩みはあなたにとってそんな小さなものなのか。 わたしとの会話は、あなたにとって そんな小さなものだったのか あなたの祈りがあなたの身衣となっている、 過去祈ったものを
いつも偉そうで、 心の中でいつも悪態ついていて、 己の秤で判断してやろうと疑ってかかっていて、 親不幸で、 宗教とかネットニュースとか嫌いで、 自分に入ってくる情報すべてに否定感を持っていて、 批判家で、 すぐ怒って、 言いくるめるのが得意で、 自分だけは特別だって思っていて、 自意識過剰で、 自分は間違っていない、周りがついてこれないのだから仕方がない、と傲慢で、 周りをいつでも見下していて、 人間関係をすぐ断ち切ろうとする、 みじめな自分のことは考えないようにしていて、
今日のペンテコステ礼拝すごい恵まれた〜⟡.· 最近祈り課題にずっとあげていた内容に突破があった!!
私は、とてもたくさんの人を傷つけてきた。 思い返すだけでも胸が苦しく、その相手の気持ちを想像する時、 直視できず、逃げ出したくなるような衝動に駆られる。 なので、そのすべてと向き合えているとは、とても言えない。 そんな、 自分でも赦せない自分を、神様は赦してくださっている。 自分でも受け入れられない、罪からくる大きな痛みを、 わたしの愛する神様が、身に受けてくださって、 血を流されたこと、ほんとうに感謝します。 かみさま、 わたしは、人を疑わずに心から敬える、謙
noteを書き始めることにした。 自分が世に迎合したり、信仰をひけらかしたり、 ドラマティックに演出し始めたり… そういった誘惑に弱いことを自覚している為、 あまり気が進まない。 それでもつけはじめようと思ったのは、 神様を知っていく喜びを誰かと分かち合いたい。 信仰生活の喜びを内に秘めていることが難しい。 という燃え上がる衝動から。 ある人にとっては、わたしの罪が透けて見えて 心の中で裁きたくなるような内容になるかもしれない。 ある人にとっては、自分の信仰とは違