バッファロー'66
たぶんこの映画を観たのは18年ぶりぐらいだと思います。先月シネ・リーブル梅田でリバイバル上映していたので観に行きました。
くだらない映画だなぁと思いました。
──でも、最高でした!!
ビリーが刑務所から出てきてスコットを殺しに行くまでのせいぜい18時間くらいを描いているだけです。しかも動機は逆恨み。ビリーは、アメフトで地元チームのバッファローが勝って優勝する方に大金を賭けたのですが、負けてしまったためマフィア(?)のボスの怒りを買い、刑務所に入ることになってしまいました。バッファローが負けたのは、当時バッファローの選手だったスコットがゴールを外したのが原因で、ビリーは彼がわざと外したと思っています。だから「殺してやる」というわけです。
アホだなぁと思いました。
きっとこの映画の脚本を監督やプロデューサーに持って行っても、おそらく却下ですよ。だってリアリティないですもん。酷評されて終了だと思います。
例えばレイラがビリーについていく理由って、まったく分からないですよね。脅されているとはいえ、逃げたり警察に駆け込むチャンスはいくらでもあります。何せレイラを車の中に残して立ちションしに行くのですから。「いや、そこで逃げないのがこの映画の世界観だし、この作品の面白いところじゃない」と反論されるでしょう。その通りなんですけど、脚本だとここで何で逃げないんだって思われてアウトだと思います。
そもそもレイラのことは素性も何もまったく分かりませんしね。あえてそうしているのでしょうし、謎めいているからこそ、この作品のヒロインにふさわしいのかもしれません。でも、そのキャラクターにふさわしい納得のできる行動をしてほしいです。まだただの誘拐犯でしかないビリーに従って両親に会うのは納得できないです。正直、ちゃんとプロフィールやバックストーリーを作っているのかどうか疑わしいと思っています。
ビリーの両親もヤバいです。二人とも息子にまったく関心がありません。何年も音信不通になっていた息子が久しぶりに帰ってきたのに。母親なんて「ビリーを出産してたせいでひいきのフットボールチームが優勝した瞬間が見れなかった。産まなきゃ良かった」とか本人に言ってしまう有様です。
僕がプロデューサーならきっと「こんな親いねー」って言うと思います。
まともに人物造形されているのはビリーだけです。
でも、残念ながら面白いんですよね。僕が学んできた脚本のセオリーとか、一体なんだったんだって思っちゃいますよ。
きっとビリーを描くことにしか興味がないんでしょう。その他の登場人物はビリーを描くための、まさに脇役にすぎないんだと思います。おそらくビンセント・ギャロは「ビリーさえきちんと描ければ他の人物は何も描かなくて良い」と腹を括ったに違いありません。知らんけど。
ビリーだけに焦点を絞り込んで、そのために必要のない設定は削ぎ落としている、と考えると潔い気がしてきました。
映画の基本は主人公の葛藤や変化を描くことなので、ビリーに絞って描くというのは正しいんですよね。先ほど「僕が学んできた脚本のセオリー」が云々って書いたところで正反対のことを言いますが、こうして考えると『バッファロー’66』は極めて基本に忠実な、オーソドックスな作品なのかもしれません。
でも、それでもレイラのことは、もうちょっと描いて良い気がしますけどね。
製作年 1998年
製作国 アメリカ
原題 Buffalo'66
配給 コピアポア・フィルム
上映時間 113分
監督 ビンセント・ギャロ
製作 クリス・ハンレイ
製作総指揮 マイケル・パセオネック、ジェフ・サックマン
原案 ビンセント・ギャロ
脚本 ビンセント・ギャロ、アリソン・バグノール
撮影 ランス・アコード
美術 ギデオン・ポンテ
編集 カーティス・クレイトン
音楽 ビンセント・ギャロ
キャスト
ビンセント・ギャロ
クリスティーナ・リッチ
アンジェリカ・ヒューストン
ベン・ギャザラ
ケビン・コリガン
ロザンナ・アークエット
ミッキー・ローク
ジャン=マイケル・ビンセント
ジョン・サンスン
ボブ・ウォール
アレックス・カラス
ケビン・ポラック